人間・加藤シゲアキ/職業:アイドル――WORLDISTA加藤ソロ「世界」感想

お題「NEWSアルバム『WORLDISTA』レビュー」

 

「世界」。NEWSのニューアルバム「WORLDISTA」に収録された加藤シゲアキソロ曲。

 

前回のWORLDISTAの記事でソロ曲について触れなかったのは、WORLDISTAの世界について考える上でソロ曲はまた違う文脈を持っていると思ったこと、ソロ曲にまで手を出すと更にまとまらない&時間がかかってしまうと思ったことが大きいのだけれど、もう一つ理由があった。

「世界」の感想、解釈はその時点で私の中にある程度あったのだが、それを気軽にちょろっと書いてブログに上げるのは何となく躊躇われたからだ。何故なら「世界」について語ることは、加藤シゲアキの心の内部を解釈して語ることのような気がしたから。「こうだろう」と思ったものはあってもそれがただの主観で全然違ったら、と思ったら、私の拙い文章で軽率にアウトプットしていいものかと二の足を踏んだ。

 

しかし月刊TVfan2019年4月号のインタビューにて触れられた「世界」の話に、ああやっぱりそういう話だよな、と思えた途端急にアウトプットしたくなったので、こうして衝動的にブログを書き始めた。

(折角なので再びお題お借りします)

やっぱり、と思えたといっても結局私が感じ取ったことでしかないので、ただの一人の新参ファンの「感想」として話半分で読んで頂けたら。

 

私はフラゲ日の朝一番から「世界」を聴いてしまってその後しばらく「世界…………」と頭を抱えていたけど、この「頭を抱える」の意味はネガティブなものではなかった。一番最初は「こ、こうきたか~~~~~~~~~~」と頭を鈍器で殴られたけど(加藤ソロは毎回そう)、でも結論としてはそんな加藤シゲアキが好きなんだよ………というところで、聴いて噛み砕いていく中でひたすら「これだから好きなんだよ…」という感情が増幅していくばかりだった。

 

この曲に思いを馳せる度思い出すものが2つある。

ひとつは昨年末のエッセイ「できることならスティードで Trip9 スリランカ」及びそれに付随するラジオでの言葉。

tk46.hatenablog.com(↑その時に感想も書いた) 

自分に悪意の矛先が向けられたとき、僕はいつも思う言葉がある。「自分に刃を向ける人を抱きしめられる大人であれ」誰かに教えてもらったものではない。自分を律するために編み出した一つの処世術のようなものだった。

(小説TRIPPER 2018 冬号 「できることならスティードで Trip9 スリランカ」)

(「できることならスティードで Trip9 スリランカ」の感想メールに対し)

 (傷つくことを言われたとき、自分に刃を向けられたとき)どうにか受け止める、余裕があれば抱きしめる、というところまでもっていきたい。実現できているかはわかりませんけど。

まぁ気持ちは!大事?(笑)

(SORASHIGE BOOK 2019年1月13日放送)

 

もうひとつは先月放送された密着ドキュメンタリー「RIDE ON TIME」NEWS回最後の小山さんと加藤さんへのインタビュー。その時の言葉と表情。

――アイドルの仕事自体は楽しいですか?

小山「それは好きですよ」

加藤「好きじゃなきゃできないよ!アイドルやれる人って狂ってると思う(笑)」

――アイドルこれからもやっぱりやっていく?

小山「はい」

加藤「勿論」

小山「勿論です」

加藤「覚悟決まるいい年越しだった。またアイドルとしてスタートできる」

RIDE ON TIME 「NEWS結成15周年の覚悟「生きろ」#3 stay gold」 2019年1月25日放送)

 

 

元々リリース前から「四畳半の自分が生きていく世界を表現できたら」とソロについてコメントしていた。そして思い出した直近の加藤さんの言葉たちに、この曲は加藤さん自身のことを歌っていると解釈して大きな相違はないだろうと思っていたのだけれど、TVfanを読んでやっぱりそうかぁと思った。

「この世界で生きていくという一つの宣誓、思い、覚悟」

 

 

「世界」について考える度に、好きだなーーーー、という感情が溢れて終わる。 

青臭くて泥臭くて、迷って悩んで苦しんでという夜もたくさんあるだろう。

アイドルは「性質」ではなく「職業」だ。人生において選択的に手にする肩書き。本当に手放したいと思ったらいつでも手放すことができるものだ。

でもそれでも「アイドルを選び取ろうとし続ける」「強くあろうと自分を奮い立たせる」、能動的にアイドル加藤シゲアキという大きな渦の中に身を投じる一人の人間である加藤シゲアキさん、が好きだ。いや~~~とても好きだ。

 

さっき読み返したら、加藤シゲアキさんを推すと決めたNEVERLANDの時のブログで似たような話をしていた。加藤さんを推したいという感情の起点、今の私と思ってることあんまり変わらなくてびっくりした。

WhiteのDVDを見て、加藤さんが気になった理由っていうのが、「この人、思っていた以上にむちゃくちゃアイドルしてる、アイドル楽しんでる」ってちょっとびっくりしたんですよ。なんていうか、私の中で加藤さんって「アイドルだけど人間」のイメージで。

(中略)

けど、加藤さんはアイドルとして生きていく道を選んで、歌って踊って5万人を熱狂させている。コンサート中、楽しそうに破顔する。ファンにファンサービスする。加藤さんが全力でアイドルしてスポットライトを浴びている姿は、思っていた以上に、キラキラして見えた。

tk46.hatenablog.com

私最近はもう好きなアイドルには「アイドルでいてほしい」以上に「とにかく幸せに生きてほしい」と思っている。もしアイドルであることと、一人の人間としての幸せの追求の両立が難しければ、迷わず後者を選び取ってほしいと思う。これは願いを通り越して祈りに近い。とにかく幸せに心から笑える日々を過ごしてほしい。そしてその幸せというのがもしアイドルの仕事と合致するものであるならファンにとって奇跡のような幸せだなと思う。

 

だけど加藤さんはアイドルという仕事について「好きじゃなきゃできないよ」と笑って言った。「覚悟決まるいい年越しだった」と言った。覚悟。

ああ加藤さんはアイドルの仕事が好きなんだな、本当に自分の意思で、覚悟をもってアイドルを選び取り続けてるんだなと思って本当に嬉しかったし、その言葉を聞けてからもう加藤さんについては「アイドルとして生きることが本当に幸せだろうか…」みたいな重い心配もしていなかった。だから「世界」を聴いて心配とか不安とかネガティブな感情じゃなくとにかく「まったくこれだから!!!好きだよ!!!!!!!!」と思った。

 

ファンが耳にして色々考えながら受け取ってくれると想定済みであろうソロ曲の歌い出しでいきなり「この手に情けない生き様を握りしめ」なんて書いちゃうところも、

「刃を抱く覚悟はあるのかと問いながら歌う」「強くあれと誓い立てる夜」なんて迷いや弱さのようなものも赤裸々に書きつつ、

最後のサビでは「ひたすらに走れ」と歌う。

「求めていたのは愛じゃなかったか 求めていたのは夢じゃなかったか 求めていたのは魂じゃなかったか」って、社会に揉まれる中で忘れてしまいそうな青臭い理想論を手放さずに握りしめて歌詞に込めてしまうその芯の眩しさまっすぐさ、

最後に「貴様が世界だ」と鋭く突きつけるような、強い言葉を持ってくるところ、

全部どこまでも加藤シゲアキさんでそしてそんなところがどうしようもなく好きな私はもうどうしようもないのかもしれないな!!!!!逃げ場がないくらいそういうところの全部が好きなんだな、これがもう。

 

また自分の過去記事を引用するんですけど、あやめで加藤さんに落ちた時私はこんなことを書いていた。

美しい世界を諦めない為の強さ、それこそがあの時東京ドームの真ん中で白い旗を掲げた加藤シゲアキさんという人の人間くさい強さなのではないか。

tk46.hatenablog.com加藤さんのこういうところが好きでこういう部分を信じているの、やっぱり最初から変わってないんだな私。

 

いや~~~今年も色んな意味でめちゃくちゃ「シゲシゲしい」ソロだ。さてこの曲にコンサートでどんな色をつけてくるのか楽しみでこわくて楽しみでならない。

 

アイドルとして生きる人間加藤シゲアキが、好きだ。

私の「世界」感想でした。

 

 

WORLDISTA (通常盤)

WORLDISTA (通常盤)

 

 

 

 

#想像することがみちしるべ ――アルバム「WORLDISTA」感想

お題「NEWSアルバム『WORLDISTA』レビュー」

 

2019年2月20日。本日はWORLDISTA ver.10の発売日――もとい、NEWSの10枚目のアルバム「WORLDISTA」の発売日。

まだ拾い切れていないところだらけだと思いますし粗削りなまんまの状態の記事ですが、ちょっとこれはアウトプットしないと辛抱たまらんという感じなので、アルバムの感想及び私が拾い集めたこのアルバムに散りばめられた想像の種たちをざざっとここに書き記しておきます。

映像の解釈やソロ曲の感想まで手を広げるともっとまとまらなくなりそうなのでとりあえずグループ名義の楽曲の話のみを。

(↑お題お借りしました!ありがとうございました!)

 

1.ログインシークエンス-INTER-

アクセスコード、と聞くとEPCOTIAが浮かんでくる。こちらもアクセスコードが必要な世界。脳内コネクトシークエンスってワードめっちゃアガる…!

「WORLDISTAの世界へ、ようこそ」ゲームの世界にログインした感~~~!!!!!

しかしここで少し気になったのが一番最初の言葉が「WORLDISTA ベータプログラム」であったこと。リリース決定時の文言にも「バージョン10の発売日」とあったのでてっきり製品版を我々は体験しているものだと思っていたのだけれど、まだβ版、ということだったりする?

もし本当に意図的に「β版としてのWORLDISTA」を我々が体験しているとすれば、例えばEPCOTIAの時空の歪みのような、イレギュラーなバグが起こる可能性だって…?なんて、コンサート演出の可能性を想像してみる。

考えすぎかもしれないけれど、なんといったってこの世界のキーワードは「想像」。なのでそんな想像も今のうちに書き記してみるよ。

 

2.WORLDISTA

ログインシークエンスからのこの壮大なイントロ、どう考えてもこのゲームは神作確定だと分かる。

仮想空間、ゲーム、と聞いていたからもっとデジタル感ピコピコ感ある曲になるのかなと思っていたけれど重厚感があって壮大で、また曲の端々からNEVERLANDとEPCOTIAのエッセンスを感じ、4年かけて作り上げる「アルバムプロジェクト」の一つのピースであることを感じさせる。そしてサビ前などで挟まれるデジタル感に、ここからどんな世界が広がっていくのかワクワクが止まらない。

1番では「NEO ERECTORIC WONDER STATE」とWORLDISTA(アイギア)を制作した会社の名前が盛り込まれていた部分が2番では同じ頭文字である「NEVERLAND EPCOTIA WORLDISTA S…」とアルバムプロジェクトの各アルバム名に変わっているのも面白い。空想の「WORLDISTAがある世界」と現実の「NEWSのアルバムプロジェクト」が1曲の中でリンクしている。

この曲はラジオにて発売前から解禁されていたので、歌詞が耳コピで頭の中にあったのですが歌詞カードを見てその答え合わせをするのがまた面白かった。

「あすを描く」は「明日」ではなく「未来」と書くし、英語表記かと思っていた箇所は「イマジナ ギミヤラ」!しかしこの箇所の英語表記は実は、歌詞カードの背景に隠されている。「IMAGINAR GIVE ME YOUR LOVE」。この配信時代に配信をせずCDだけで売るジャニーズ事務所、「歌詞カードを手にした人しか分からない」遊び。曲を聴きながら歌詞を頭の中で変換して、歌詞を確認して「ん?」となり、さらに想像する。もしくはさらに答えを探しに行く。

また個人的に面白いと思ったのが、「想像する旅」だと思っていた箇所の表記が「想像スルタビ」だったこと。アルバムプロジェクト=NEWSとの旅、と思っていたので私の脳内ではここの変換は「旅」かなと思っていたのだけど、カタカナにすることで「想像する旅」とも読めるし「想像する度」とも読める。

そう、このアルバムのリード曲であるこの曲に既にたくさん種は仕掛けられていて、そしてこの曲こそがこのアルバムの全体、そして最後に仕掛けられたあるメッセージを体現している。

 

3.オリエンテーション-INTER-

「WORLDISTA」の世界がどこにでも行けるのなら、NEVERLANDやEPCOTIAの世界にも行けるのでは?という予想を発売前に見かけて、確かに!!!と思っていたんだけれど、ここで!!公式で!!!!言及された!!!???

コンサート演出としてあるかなと思っていたけれど、音源の時点で触れられるとは思っていなかった…。公式側もそれも折り込み済みだということが分かってしまったので、コンサートではどうくるのか、今からソワソワドキドキしてしまう…。

このオリエンテーションパート、ゲームのまさにオリエンテーションって感じ。一番最初のお試しクエスト感。

 

4.DEAD END

このタイトルからBLACKHOLE級のドス重い曲を想像していたので、めちゃめちゃ爽やかな曲がきてめちゃめちゃびっくりした、タイトル一回確認した。DEAD ENDというタイトルはDEAD ENDを「超えろ」ということ。まったくの予想外だったけど(このびっくりを絶対想定されて作られている…)、これはこれでとても好き!!!!疾走感があって爽やかで。爽やか前向き盛り上がりソング×NEWSは間違いない。C&R早くやりたい!!!!!!!!晴れた夏の日にドライブとかしながら聴きたい曲(まあ私はペーパードライバーなんだけど)

熱量を「バワリー」と読むの、珍しいな~と思っていたんだけれど、このとっかかりを曲が終わったらすっかり忘れて先に進んでしまった。なんてこったと今思う。この話はまた後程。

それにしたってNEWSが歌う「超えろDead End」という歌詞が最高すぎるし染みる。好き。

 

5.CASINO DRIVE

私が好きじゃない訳がないソング。こちらもラジオで発売前から解禁されていました。前曲とは打って変わって夜の色と危険な香りがする曲。しかし前曲の疾走感のイメージ(DEAD ENDはイントロに車のエンジン音もありましたね)を今度は車のイメージで引き継ぐからか悪い意味での違和感はなく、本当にNEWSの音楽チームの優秀さを強く感じる。

増田さんも言ってたけどサビのゲリマカゲリマカマイダーリン(ラジオでの増田さん発音)(かわいかった)の所の音とのハマり方が超気持ちいい!!!かっこいい!!!!!

コンサート演出も楽しみ、というようなことを増田さんがラジオで言っていたのでコンサート超絶楽しみにしちゃいますわこりゃ…Sweet Martini並みの劇薬を期待してしまいますよ…

 

6.インビシブル ダンジョン

ダンジョン、というからごつい感じの曲くるかなと思ったら美しく揺蕩うような音。EPCOTIAで言うところのAVALONやIT’S YOUを彷彿とさせる、と思ったらやはり☆Taku Takahashiさんが携わっていらっしゃる〜〜〜!

ぐっと盛り上げた「この手で」の後からの、どんな壮大な展開がくるかと身構えたら一瞬音が途切れて想像よりもシンプルな音の構成のサビ、というこの力の入り抜きの加減が気持ちいい。とにかくNEWSの歌声を含めた音が綺麗なんだ!!!!NEWSの歌声を含めた!!!!(ここ大事)NEWSの歌声を加味した芸術としての作品なんですよ…

 

7.第一チェックポイント-INTER-

ここでコヤマスが登場。案内人の役割もありつつ一緒に遊ぶ存在でもある。ポケモンで言うところの四天王的な存在なのかな、と想像。

5000バワリーをゲット。バワリーの量でランキングが決まり、トップメンバーになるとワールディスタカップというものに参加する資格を得られるらしい、ということが明かされる。

次はe-スポーツゾーンへ。なるほどここからのサッカータイアップ曲連続はそういうことか!と納得。

 

8.SPIRIT

ようやくきました音源化!やったー!!EPCOTIA ENCOREで披露されたことも記憶に新しい。

私この曲本当に各パート割りが秀逸だなと思っている。

加藤「諦めることだけただ諦めてしまえばいいんだ」小山「ずっとずっと遥か遠く呼んでる声がした」とコヤシゲがしっかりサビ前を繋いでいって、

サビのでテゴマスの突き抜けるような世界をぐっと広げるような歌声がサッカーのテーマソングにぴったり。

増田「いっそう邁進変わらぬ意思を」手越「誰にも奪わせないSPIRIT」、そしてラストサビの手越さんの「この魂(うた)は終わらない」、最高です。

 

9.BLUE

こうやって改めて聴くとなんだか色んな思い出が脳裏によみがえってぐっときてしまった。一番に思い出したのは味スタの景色。

15周年の夏に発表されたこの曲、昨年の6月から「NEWS担」を名乗るようになった私にとってこの曲はほぼ私のNEWSのオタクとしての歴史にも近い。こうやってアルバムの一曲としてこの曲をまた聴ける、そんな未来にいる今が嬉しいな〜〜と思ったのでした。

BLUEは力強い応援歌でありつつ、W杯のテーマソングということで「日本」を感じさせる雅な雰囲気の音が端々に使われているのがまたこの曲に深みを与えているところでとても好き。

 

10.FIGHTERS.COM

開始1秒でこりゃ勝ったわ…と思った曲。スポーツをテーマにした曲や物理的に強そうな曲は数あれど、この路線というのは新鮮。特に増田さんパートで客席コンサートでぶっ倒れないか心配です、私含め。

雑誌を読むと、この曲はコンサート演出ありきで製作されたみたいな話もあったのでどんな演出でくるのか楽しみ…。NEWSの歌唱力とパフォーマンス力、チームNEWSの演出力をもってどういうピースがこの曲に嵌められるか。

 

11.発表会-INTER-

「発表会」とは…?と楽曲リストを見たときはお遊戯会的なものしか頭に浮かばなかったんだけど、なるほど「WORLDISTA ver.10」の発表会。

なるほどWORLDISTAの発表のところから追えるわけね、ととても納得したと同時に、WORLDISTAを楽しんでいる最中の我々にこのタイミングでこの音源が提供された意味なんてものも想像してしまう。

この発表会はWORLDISTAの世界を旅する我々に対して何か影響を与えるものなのか?わざわざ過去に遡ってこの「現実世界」の音源が挟まれた意味とは?何かのヒントが隠されているのか?コンサートではこのパートはどうなっているのか、どう関わるのか。想像は尽きない。

この感覚、ポケモンで言うところの洋館の中に残された手記みたいな…あの時の心がざわざわするような違和感と興味、他とは雰囲気の違うあの場所…。

 

12.Digital Love

めちゃめちゃゲーム音楽っぽいピコピコサウンドから始まるイントロ、無条件で高まる世代ですこんにちは。

ここで気付いたけどここで初めてまっとうな(?)ラブソングがきた感。12曲目にして。クセが強いんじゃWORLDISTA!!!!

素直に良い、綺麗で可愛くてでもどこか懐かしいゲームのSEみたいなサウンドもある、デジタルが良いスパイスになっているラブソング。かわいくて綺麗ででもちょっとクセもあるオシャレラブソング、NEWSに最高に似合います。

宇宙旅行のサプライズ」というフレーズが歌詞にあって、ここでEPCOTIAワープポイントの可能性くるか…!!?と深読み想像してみたりなんかして。これまでのアルバムプロジェクトの天才ぶりを目の当たりにしてしまったから、どこで何がくるか!?と身構えながら聴いてしまう!

ここで718バワリーを獲得。

 

13.リボン

madoromiに続いて楽曲提供頂いた、シゲ部でもおなじみ?Kacoさん作曲の楽曲。

Kacoさん色の静かで美しくて切なくて優しいメロディライン。

サビ入りの「まだ」の「ま」の音がすごい。半音下げてるかなんかだと思うんだけど(音楽素人すぎる説明の貧弱さ)この不穏さ?悲しさ?みたいなものを感じさせる音からサビに入るっていうのが…すごい…

そしてとにかくあれなんですよ NEWS 歌がうまい すごいうまい

誰かだけが上手い、とかじゃなくてみんな上手い。本当に。こういう曲を「聴かせる」ことができるほどに仕上げられるってものすごいことだと思う。

リボンというタイトルから可愛らしい曲をイメージしてしまいそうになるけれどこのKacoさん節のメロディと美しく切ない歌詞。「まだなにひとつ なにひとつ リボンかけて返せない」からとった「リボン」なのか、と知った瞬間脱帽。

 

14.クイズ-INTER-

クイズとは?と楽曲リストが公開されたとき思っていたんだけど、クイズゾーンもあるのねWORLDISTA!ここではテゴシゲが登場。2人の回答する声がかわいい。

ここからクリスマスという振り、からのサンタのいないクリスマスへ。

ここのコーナー、コンサートでは色々な応用がききそう。この音源通りの流れの振りとして使うのか、それとも別の使い方をするのか、日替わりのようにも使えそうだし、このカードをどう使ってくるのかというコンサートの楽しみがひとつ増えた。

 

15.サンタのいないクリスマス

クリスマスソングがない!と気づいたNEWSくんたちたっての希望によるクリスマスソング。2月だってクリスマスを歌えるんですよ、そうWORLDSTAならね。

ザ・クリスマスソング!といった可愛らしいメロディライン。後ろで鳴るシャラン!の音がかわいい。かわいいけれど歌詞は切なかったりもする。

 

16.Strawberry

「生きろ」受注生産限定盤に収録されていたこの曲もアルバムに。クリスマス気分から、発売当時の9月に気持ちがタイムスリップ。季節だって一瞬で移動したって不思議じゃない、そうそれがWORLDISTA。

発売当時やEPCOTIA ENCOREの思い出に浸りながら聴いていた、ら、元々の音源では終わりだったところからの続きが…!!???聴き慣れた曲だからと少し油断していたからめちゃくちゃびっくりした。追加された優しい歌声が染みて染みて。15周年記念ソングについて、アルバム用にサプライズプレゼントまで用意してくれるNEWSくんたち、まったくこれだから愛おしいぜ。

 

17.「生きろ」

この世界観ガチガチのクセ強アルバムの最後を、アルバムオリジナル曲ではなくこの曲で飾るっていうのがもう、もう…実際に聴くと想像していた以上にじんとしてしまったな…。

MUSIC DAY、味スタ、ゼロ一獲千金ゲーム、各種音楽特番、EPCOTIA ENCORE、RIDE ON TIME…この曲と見た大切な景色が多すぎて一言では言い表せない。

WORLDISTAという仮想空間をテーマにしたこのアルバムを締めくくるのが、泥臭く地に足をつけたこの力強い応援歌。アルバムのために製作された曲ではなく、言い表せないほどの思い出と感情を乗せたこの曲がアルバムの最後を飾るということで広がる色。じっくりと噛み締めている。

 

18.エンディング-INTER-

2012万718バワリーを獲得。ワールディスタカップのメンバーに選ばれた。

バワリーとはアイテムをゲットするための単なる仮想通貨ではなく、あなたの「熱量」。その熱量を持っているからワールディスタカップに参加できる。NEWSのメンバーも一緒に大会に参加できるのを楽しみにしている、との旨。

…ここで私が気づいただけで2つの伏線回収がされているから1つずつ整理していく。

まずこの何気ない「2012万718バワリー」という数字の並び、我々は知っている。というか、少し前にヒントは与えられていた。思い出すはクイズゾーン「NEWSの2012年7月18日に発売されたシングルは?」「チャンカパーナ」というやりとり。そう、この数字の並びは再始動のチャンカパーナの発売日。こんな伏線があると、残す回収されていないクイズの内容「NEWSが初めて発表された日は?」「6枚目のアルバムのタイトルは?」も何かあるのではないかと想像してしまう(私が鈍すぎてもうどこかで回収されていたらごめん)。

次に「バワリー=我々の熱量」であるということ。ここで今更気がついた、「DEAD END」で「熱量」に「バワリー」という読みが与えられていたこと。そこで既に伏線張られてたかーーー!!!スルーしてしまっていたーーー!!!!!まだまだ想像力の足りなさを思い知らされた。

そしてコンサートはワールディスタカップの会場である、という設定がここの内容から推察される。

ここまで世界観ガチガチに作ったアルバムを製作しておいて、いつもなんだけど、最後はファンの「愛」を信じてくれて、こうしてこっちに手を差し伸べてくれて、コンサートで待ってるよって言ってくれる。本当NEWSってそうなんだよな、そういうところなんだよな、って思う。愛しさが溢れてしまうな。

 

さて、ここで終わりかと思いきや、まだ音源は続いている。「発表会」の音源の続きらしき音声。

WORLDISTAカップに出場するための大事なメッセージがパンフレットに隠されているという。「ver.1のゴーグルでパンフレットを見てみて下さい」

 

初回盤についている映像の中では過去のWORLDISTAゴーグルが映し出されている。そうそれはこのアルバムWORLDISTA初回盤についている3Dメガネシートに酷似している。我々はこのアルバムを買った時点で、WORDISTA ver.1のゴーグルを手にしていたというのだ!

WORLDISTAはパラレルワールドの近未来、想像の中にしかない世界。そう思っていたはずなのに、我々の手の中にはWORLDISTA ver.1がある。現実と想像が混線するようなこの瞬間、最高に面白い。

 

そしてWORLDISTAゴーグルver.1でパンフレット=ブックレットを見てみると、あるメッセージが浮き出てくる。

ここまで沢山種を撒かれて、そしてその種を拾ってきた。そしてここからコンサートの日まで、この力が我々を導いてくれるだろう。それこそがこのWORLDISTAを楽しむ最大の準備だ。

そう、もうお分かりのフレーズ。私たちの合言葉。

 

 

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愛の力を信じたい――小説TRIPPER「できることならスティードで/Trip 9 スリランカ」

例えば自分の好きなものに誰かが刃を向けているのを見た時。私とは全然違う世界の見え方をしているんだろうなという人が、私には想像の及ばなかった角度から過激な言葉を投げかけているのを見た時。

私は何万回、拳を握りしめたか。怒りで頭が沸騰して、心の中で鉄パイプぶん回してきたか。喉まで出かかった口汚い言葉を飲み込んだか。いや、短気な私は、時に飲み込みきれなかったこともあっただろう。今は、飲み込みきれない時は完全に自分しか見ない場所(日記アプリとかメモ帳とか)かお友達しか見ていない鍵付きのアカウントに投げて、怒りの矛先がツイッターだったらその対象のアカウントをブロックして私の世界から見えないようにして終わらせるようにしている。

感情に任せて言い返してやりたい、と何度思っただろう。けれどそういうことを不特定多数が見られる場所でやったら、関係のない人にまで何かが起きていることが知られてどんどん広がってしまうかもしれないし、私の意図しない方向に更に転がってしまうかもしれない。そして多分、お互いの感情は残念ながらどうしたって相容れないこともある、とある時悟るように思った。お互い違う感性や信条の持ち主、違う人生を生きてきた人間なんだから。理解なんてし合えない相手に、憎しみに憎しみで返したらどこまでも終わらない負の連鎖だ。だから私は、握った拳で誰かを殴るのではなく、それを天高く掲げてただただ大好きだと叫ぶことに決めた。

誰かが何かを嫌いだと叫ぶなら、それをかき消すくらいの大声で愛を叫び続ければいいんだ。いくらかの年数オタクをやってきて、ジャニオタをやってきて、今の私が見つけた落としどころはそれだった。

 

NEWS・加藤シゲアキさんが小説TRIPPERで連載しているエッセイ「できることならスティードで」、12月発売の最新号は加藤さんがプライベートで行ったスリランカ旅行の話だった。スリランカの旅の思い出、最大の目的であったバワ建築をはじめ旅で触れたスリランカ文化などについて語る中で、加藤さんはある言葉を引用する。

「憎しみは憎しみによって止むことはなく、愛によって止む」

これは仏陀の言葉であり、スリランカ第二代大統領ジャヤワルダナがサンフランシスコ講和会議で行った演説でも引用された言葉だという。この演説が日本の分割統治を救ったとも言われている、と。

 

そして加藤さんは、自分に悪意の矛先が向けられたとき思う言葉がある、と続ける。

「自分に刃を向ける人を抱きしめられる大人であれ」――誰かに教えてもらったものではないそうだ。加藤さん自身が編み出した言葉。彼はこれを一種の処世術のようなものだと言う。

この一文を読んで、思わず数秒止めてしまった息をその後ゆっくりと吐き出しながら、そうか、そうかぁ…と噛みしめた。

 

まずこのことについて語る上で、私が前提とするのは「私の好きなものに刃を向ける人」で、加藤さんが前提としたのは「自分に刃を向ける人」である。私は結局、ただのファンと言う名の他人であるから、刃を向ける人=向けられた対象からすれば他者、と同じ土俵にいる。刃を向けられる本人とは、絶対的な立場の違いがある、ということを整理した上で。

 

私は、諦めた。刃を向ける人と理解し合うことを。そういうもんだと思って、自分とは違う世界を見ている人なのだと思って、私の世界から極力不可視化することで私の心の平穏を保つという術――これもある種の処世術といえば処世術――を身につけた。「憎しみは愛によって止む」という結論自体は首肯しかないし、大まかにいえば近いところに私が出した結論もあると言えるかもしれないけれど、私はそういう人たちと相対すること自体を止めて見なかったことにするという結論を出した。

 

しかし加藤さんは、「抱きしめられる大人であれ」と言う。

加藤さん自身、それを実践するのは容易ではないと自覚していた。時に感情的になりそうにもなる、なってもいいのではないか、とまでエッセイに記す加藤さんは本当に人間くさくてバカみたいに正直だ。そして私はそういう加藤さんのことがどうしたって好きなんだけれど。

 

こんな仕事をしていたら、きっと美しいだけじゃない世界もたくさん見てきただろう。悪意にだって色んな目線にだって履いて捨てるほど晒されてきただろう。私がいちファンとして想像するよりもきっと色んなものが渦巻く世界に20年近く身を置いてステージに立ち続けて。

なのにどうして諦めずにいられるのだろうと思った。どうして向けられた刃を前にしても、そう思おうとできるのだろうと思った。

そう考えて、でももしかしたらこんな仕事をしているからこそ信じたいと、信じようと思えるのかもしれない、とも思った。愛というやつの力を。

これは私の勝手な妄想だと思って聞いてほしいんですけど(というか、それを言うならそもそもこの記事が全部そうなんですけど)。愛と悪意を同時に、豪雨のように浴び続ける仕事。そんな中で生き続けている加藤シゲアキさんが、時に感情に負けそうになりながらもまだ愛の力を信じようとしてくれる。もしその意思の理由に、これまで彼が浴びてきた愛が少しでも関われているのなら、アイドルを愛する者として、アイドル加藤シゲアキを愛する者としてこれほど嬉しく幸福なことはないではないか。

 

加藤さんは生まれながらに強さを持っていたわけではない、と思う。なんて言ってしまうには私はまだ加藤さんを知って日が浅すぎるとは思うからあくまでもド新規の私フィルターで見た話でしかないのだが、多分加藤さんに限らず、ほとんどの人間はそうだと思うのだ。

だけど彼は強く在ろうとする。そう感じるのは今回のTRIPPERだけではない、過去のエッセイもそうだし色んな媒体で触れてきた加藤シゲアキの言葉や生き様、そして作品たちから感じてきたことでもある。そしてその強さは優しさだ。

 

加藤さんは諦めない。なにも諦めずに、全部抱えて進んでやらぁ、みたいな感じで、作家に俳優にそして勿論アイドルにこの冬も走り続けている。

そういう人がいること。そういうアイドルがいることこそが、ひとつの希望になり得るものだと私は思うのだ。この世界の希望だ、なんて言いたいけれどそれは主語を広げすぎたかもしれない(私としてはそう言いたいくらいではあるのだが)。だから、言い方を変えて「こんな世界に生きる誰かにとっての確かな希望だ」。誰かって誰だよ、と言われたら、少なくともここに一人はいる。

 

私はやっぱりちょっとしたことで内心怒りまくってしまうし、すぐに諦めてしまうし、加藤さんの言葉に深く感銘は受けたけれど実践できる気はまだまだしない。私と加藤さんだって違う人間だ、同じようにはなれない。けれど、違うけれど、その言葉を心に刻むことならできる。短気な私がまた拳を握りかけた時、強く在ろうとする加藤シゲアキの背中を何度でも思い返したい。私には眩しくも見えるけれど、その眩しさは希望の証でもある。全部諦めそうになった時、愛の力を信じたいと、そう思わせてくれる希望。

そしてもし加藤さんがそう在ろうとする源に彼が浴びてきた愛が仮にあるのだとしたら。NEWSが加藤さんが好きだと示せたらと、愛を1ミリでも届けられたらと、私は加藤さんのうちわを握りしめてペンライトを振って。そんな無数の光のひとつになりに年末の京セラドームに足を踏み入れたいと思うのだ。

 

 

「5×20」という矜持――ARASHI ANNIVERSARY TOUR 5×20

嵐の、アルバムなしのコンサートに行くのは初めてだった。アラフェス等は全て落選、嵐ブラストもなんやかんや足を運べず、アルバムをひっさげたツアーの東京公演にしか行ったことがなかった。*1

 

2018年12月16日。ARASHI ANNIVERSARY TOUR 5×20名古屋公演に行ってきた。2年ぶりの嵐コン。初めて行く嵐のアルバムなしのツアー。どうくるのかわからなくて、そして嵐コンを心から信頼している(というかむしろ、信仰しているといったほうが的確だ)私は、あの嵐が20周年ツアーで何を提示してくるのかと、ドキドキソワソワしながらナゴヤドームに足を踏み入れた。

 

*1:東京以外も飛ぶ気はあったのだが、これまで東京でしか当たったことがなかった

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2018年/星の旅人たちへ

tk46.hatenablog.com

さて。ここから半年が経った。

あっという間にもう12月、年末なので、今年の話は今年のうちにしてみようと思う。

6月からの話を沢山するので、嫌な方はお気を付けくださいね。

 

正直に言うと、半年後の今まで加藤担やれてる自信がこの時あったかと言われれば答えはNoだった。それはこの時書いた言葉が嘘だったってことは全くなくて、この時書いたことは全部本気で思っていたし今も変わっていない。

しかしもう10年目に突入した私のジャニオタ人生の中で、色んなグループに軽率にハマっては熱量が落ち着いて…を繰り返してきたから、私は私の感情の未来をあんまり信用していない。今この瞬間どんなに好きでも、明日急にスンッ…と熱が落ち着くかもしれないとも思っている。しかもこんな風に啖呵切るみたいな始まり方をして笑、反骨精神だけは無駄に強いオタクの私はこの騒動がある程度落ち着いて彼らの安定した活動が戻ってきたら安心して茶の間に戻ってしまうんじゃないかって自分の感情を疑っていた。加藤さんとNEWSのことを「好きでいる」自信は揺るぎなくあったけど、「自担」は私にとって圧倒的に特別なものだから。(このブログでも書いた通り、ネバラン円盤で狂ってから加藤さんを「自担」と呼ぶまでずーーっと半年近くうんうん悩み苦しみ続けていたくらいに)

 

でもまあ結果的に、私は今日も元気に加藤担をやっている。この記事を書いた時から変わらず、塚田くんも加藤さんも自担である。

 

この記事を書いたのは件の報道があった翌日の夜、加藤さんがビビットで事の経緯を説明した録画を見た直後である。そう考えると、ここから色んなことがあったし、私の感情も色々動いたなと思う。

私はもう人生の半分を軽く超えてインターネットにいるし、ジャニオタになってからも色々経て割とネットのあれやそれやへの心の対処は心得ている方だと思っていた。しかしそれでも、感情が波立ったりぐらついたりすることが沢山あって(彼らが好きだという気持ちは一切変わらないが、色々な言葉を目にして考えたりすることが多かった)、いや~私もまだまだだなと思ったりした。

特に私が、油断していたこともあり結構食らったのは元々一方的あるいは相互に知っていたジャニオタの人たちからも、今回の件について(…は色々意見があるのは仕方のないことだとは思うけれど)、それだけではなく元々彼らを快く思っていなかったのだろうなと思われる言葉もこの機に噴出してきたこと。また小山さんが復帰してからも「何でNEWSはあんなことがあったのに○○できるの」といったような(自グループと比較したメディアの待遇に対する不平不満も含めた)言葉がリツイートされてきたりしたこと。

私は近年は「私が見ていてハッピーな気持ちになるTL(リストも含め)」を作ることを心掛けてきたし、基本的に私がそうして構築してきたTLはいつもそういう状態だったので、結構びっくりしてしまった。知っている誰かに負の感情を持ちたくなかったので、私の感情が落ち着くまでミュートとかワードミュートとかで一定期間自衛をしたりもした。

そんなことがあったので、報道からしばらくは、仲のいいオタク友達や信頼しているフォロワーさん、信頼できると思ったNEWS担の方というごく一部の世界以外はいつどこで彼らに対する負の感情を踏んでしまうか分からない…とNEWS担としての自分は自衛の為の殻を作った。多分ほとんどNEWS担がいない私のフォロワーさんたちの中にもNEWS、あるいは小山さんや加藤さんのことを嫌いな人もいるんだろうなとその時思ったけど、私のアカウントなので私の信じる「好き」を拾い集めて発信し続けた。

 

…と、辛気臭い話が続いてしまったけど、私が振り返りたいのはここからの話。

そんな風に私は自分の殻に籠ることで色んな言葉が飛び交う日々の中で自分の感情を守ろうとした。そうしているうちにツイッターでその話題も減っていって、小山さんも復帰して、NEWSの活動も再び安定していった。けれど上記のようなことがあったので、私の中では「みんな言わないだけで色々思うこともあるのかもしれないな、もしかしたら嫌いなのかもしれないな」と心の奥の方で長いこと警戒態勢は解けなかった。それでも、それはそれで、言わないでくれてありがとうって本当に思った。私の視界に存在していなければ、見ないままでいることができるから。だからあれからしばらく、私はNEWS担以外のフォロワーさんに自分からNEWSの話を振ることに躊躇う時期があった。

だけど、そんな風に気を張っていたけど、嬉しいことがたくさんあった。

よく鑑賞会をしている友達が以前と変わらずNEWSのDVDを喜んで一緒に見てくれたこと、私のNEWSについてのマシンガントークを聞いてくれたこと。たまたまテレビでNEWSを見た他ユニ担のフォロワーさんが「NEWSコン楽しそう!」と興味を持ってくれたこと。また別のフォロワーさんが「つきしろさんがNEWSの話されてるから私もついチェックしちゃいます」と言ってくれたこと。6月を経てもNEWSバック担のフォロワーさんが変わらずにNEWSコンの話で一緒に盛り上がってくれたこと。夏の味スタや年末のEPCOTIA-ENCORE-は当初私は全滅だったけれどお友達に拾ってもらい行けることになり、そのことを言ったら一緒に喜んでくれるフォロワーさんがいてくれたこと。味スタに誘ってくれた友達がコヤシゲのことをもしかしたら良く思っていないかもと思っていてNEWSでは誰担か言わずにいたら、うちわでまぁ当然バレて終演後に「シゲ好きだったんだね!まっすーかと思ってた(笑)でもシゲ優しいもんね(^^)」と言ってくれたこと。オタク友達と遊んだ時、私が密かに遠慮して味スタの話をしないでいたら「味スタどうでした~?」って興味を持って聞いてくれたこと。そして色々思うことはもしかしたらあったかもしれないけど、口に出さずにフラットでいてくれた方々、などなど。

ひとつひとつが、本当に嬉しかった。この場を借りて改めて、ありがとうございました、と言いたかった。NEWS担としての私は6月から向こうずっと気を張っていたけど、こういう出来事で「厳しい目だけじゃないのかな」って少しずつ少しずつ肩の力を抜くことができていった。

あと、「NEWSが好きだ」という強い思いを持ち続けて6月からの日々を駆け抜けてきたNEWS担の方々にも、ものすごく救われた。ブログやツイートを見て沢山勇気やパワーを貰ったし、中には「感情のはけ口によかったらここを使って下さい」とマシュマロなどの匿名サービスを解放している方々もいた。どうしても感情がうまくまとまらない夜、私も何度かお世話になった。その節は、本当にありがとうございました。

 

そして私が私の予想に反して「NEWS担」を熱量高く今日も更新できているのは、何よりも大きいのはNEWSが提供してくれるものが私にとって「面白い」からに他ならないなぁと思う。

長く好きでいることが下手な私はコンサートやパフォーマンス、作品たちによって「好き」を更新され続けることでそのグループを好きで居続ける熱量が保てるタイプである。

本当にね、NEWSがつくるもの、面白いんですよね。少なくとも私にとってめちゃくちゃ面白い。何で今まで知らなかったんだろう!?って思うくらいに。

コンセプチュアルでレーザーやら炎やら水やらを駆使した圧倒的世界観のコンサート。確かな歌唱力と全力のパフォーマンス。キラキラのアイドルのイメージで正直私がハマることにしっくりきていなかった彼らの、NEWSやステージにかける思いや価値観についてインタビュー等で触れるたび「うわ~~~わかる」「えっ好きだな…」と思うこともしばしば。CDがリリースされれば、カップリング曲まで含めて衝撃的なくらいに全曲あまりに良すぎて慄く。

私がNEWSを好きで居続けられたのは、情や意地でもなんでもない。何よりも単純に、彼らが提供してくれるものがずっと面白かったからだ。そんなコンテンツを提供し続けてくれた、「好き」を更新させ続けてくれた彼らと周囲のスタッフの方々に感謝しかない。

 

私が大好きなNEWSの曲の歌詞、私が大大大好きな加藤さんのパートがある。

4+FANの「やっぱ僕らファンタスティック!」。加藤さんの沼にずぶずぶに浸かり始めた時、この歌詞自体も最高だし、好きになる以前私にとって「アイドル」としてのイメージが薄かった(アイドルアイドルした人ではないんだろうなと思っていた)加藤さんがこのパートを歌うことが、しかもいつもとても力を込めて歌ってくれていることが、あまりにも最高すぎてすぐ大好きになった。

6月のことがあって。色んな言葉が飛び交ったけど、私は加藤シゲアキそしてNEWSにひとつも失望しなかったし、他の誰にとってそうでなくなっても、少なくとも私にとって君たちは今もずっとファンタスティックだよ!!!!って何かある度にずっと思っていた。

8月11日。味の素スタジアム、15周年コンサート"Strawberry"初日。4+FANが流れ始めた。アリーナトロッコでお客さんの近くまで来てくれる4人。

あの歌詞のところが来る。加藤さんは、あの日もとっても力強く、「やっぱ僕らファンタスティック!」って歌い上げてくれた。それが本当に本当に!!心の底から嬉しかった!!!!!そうだよ、君たちはファンタスティックだよ!!!!!って、気付いたらペンライト突き上げて歓声を上げていた。最高にかっこよかった、自担。自担なんですよね。へへ。

あの時はまだ、この私にとって大事な思い出を私フィルターで呟くことで何か意図しない方向に使われたりするのが嫌で呟けなかったけど(もちろん今も、沢山の人の色んな感情が消えたわけでは決してないと思うけれど)、今書きたいからここに記した。

NEWSへ、ずっとステージの上でファンタスティックな君たちで居続けてくれてありがとう。

6月の私へ、年末の私はえび担としては言わずもがな分かっていると思うけどNEWS担としても抱えきれないくらいに幸せだから楽しみにしておいてくれ。

 

ところで最近、「Touch/ヒカリノシズク」の通常盤を購入した。「星の旅人たち」を聴くためだ。

というのも、少し前にシゲ部とKラジの両方で近い時期に「星の旅人たち」が流されたことがあった。これ…EPCOTIA-ENCORE-でワンチャンある…?と思ったことはさて置いて笑、ド新規なのでそこで初めて聴いたのだけれど、すごく良い曲だな!!!!!とすぐ好きになったので音源が欲しくて買った。

聴いていくうちにもっと好きになったし、NEWS担に評判がいい気がするこの曲、すごくわかるなーーーと思った。

「星の旅人たち」ってめちゃめちゃNEWSじゃん!!!って思った。

私が特に好きなのはここの歌詞だ。

遥かな宇宙(そら)にきらめく星

幾千のその一粒に

僕らだけの星(きぼう)がある

探しに行こう

他の誰かにとってそれは幾千のうちの一粒の星でしかないのかもしれない。けれどそれは僕らの、僕らだけの星(きぼう)だ。それってめちゃくちゃNEWSらしいし、我々にとってのNEWS自身でもあるじゃないか、と勝手にそんなことを思った。

幾千のその一粒にある、僕らだけの星。僕らだけの希望。それはどこかアイドルの話に似ている。そしてそれは私にとってのNEWSだ。

 

一度はどうなるかと思ったレールはどうやらしっかりどこまでも続いていたみたいで、あと3週間で年末、NEWSの初単独カウントダウンコンサートが待っている。ありがたいことに参加できることになって、今から楽しみで楽しみで仕方がない。宇宙の果てまでついていくって言って加藤担になったら、本当に年末再びEPCOTIAライナーに搭乗できちゃうことになるなんてね。笑

「終わりなき journey to the star」。そんな詞に彼らを重ね合わせて、未来を楽しみにできる今が幸せだと思う。

 

私はこの2018年にNEWS担になって、めちゃめちゃ幸せだったし心から楽しかった。

書きたいことを思いつくまま書いていたら普段以上にまとまりのない記事になってしまったけど(そして、まだまだ全然書きたいことがたくさんありすぎたけどもうこれ以上書くと本当にまとめられないので割愛)今年の話は今年のうちに置いておいて。そして何よりもとにかくこのことを、この年末に書き記しておきたかった。そんな記事でした。

 

きみを自担と呼ばせてほしい

本当ね、何で今!!??って思うじゃないですか。私もそう思ってます!!!!!!!!!!!!!!!

いつかこの記事を書く日が来たらタイトルにする予定だったもののひとつ、今その言葉がしっくりきたからそのままタイトルにしたけど、こんな気持ちでつけるとか夢にも思わなかったし、本当はもっとハッピーに湿っぽくて重くてポエミーな記事になると想定していた。いやまあいつもか。

今書くべきなのかとか、わざわざブログにする必要性は?と思わないではないし、メンタルびっくりするほど弱いので少しだけ怖さもありますけど、でももうどうしようもないなって思ったから、アウトプットしたいから、今宣言したいから書きます。

 

私には掛け持ち向いてないと思ってずっと躊躇っていたけど、久しぶりに掛け持ちをします。

NEWS加藤シゲアキさんを、もう一人の自担と呼ばせてほしい。

 

簡単にこれまでのあらすじを言うと、軽率に足を運んだNEVERLANDであやめを見て加藤さんに落ちたのが昨年6月。

tk46.hatenablog.com

その後のんびりNEWSと加藤さんを眺めていたはずが、NEVERLANDの円盤で再び溺れ始めた今年の1月末~。

tk46.hatenablog.com

 

NEWS担、加藤担の人たちに憧れていた。

勿論一口に担当と言っても沢山の人がいる。好きだなと思う人もいれば絶対相容れないと思う人もたくさんいる。それはどのグループでも同じことだ。これはあくまでも、他担の私がNEWSファン界隈のごくごく一部を覗き見して「私が好きだなと思ったNEWS担/加藤担」の人たちの話をしている。

私が見た、楽しそうにNEWSを愛しているNEWS担の人たちはまっすぐで愛情が深くて素敵だなと思った。特に、私は加藤さんのファンだから、巧みな言葉の中に加藤さんへの惜しみない深い愛が滲み出ている加藤担の人たちを見て素敵で聡明ででもどこかかわいらしいなあと思いながらNEWS界隈をよく覗き見していた。

NEWSはびっくりするほどファンにまっすぐでファンが大好きで、ファンもNEWSが心から大好きで、それが本当に伝わってくる。だからこそ、私は軽い気持ちで担当は名乗れないなって思っていた。

これはあくまでも私の考えで私のめんどくさい価値観でしかないから、多分本当は担当ってもっと気軽な気持ちで言っていいものだ。定義なんてないわけだし。本当に!!そう思う!!!思うんだけど!!!!

私はA.B.C-Z担になって、塚田くんを自担にして、「自担」がいかに大きいものか知った。これだけ信頼して、自分でも驚くくらい底なしに大好きになれる存在がいるんだと私は彼らで知ってしまった。

 

ゆえに、2月に書いた記事で私はこう書いた。

私にとって担当って「担う」っていう文字がある通り、担うものというと大げさだけれど、それの「当事者」であるということだと感じていて。そして同時に一緒に走っていきたいか、未来を当事者として一緒に見たいか、っていうことなんだろうとA.B.C-Zと塚田くんの担当をしていて思う。NEWSと加藤さんにそれを感じていないかというと、「まだわからない」が正直な気持ちです。今後そうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。それは私にも全く分からない。

ただ現在、A.B.C-Zや塚田くんと同じ熱量と視点で応援しているかというとそれはまた違う形なので、そこに並べるのはまだ違うなという、軽率に並べてしまうと双方に失礼な気がして、「まだ担当ではない」というところです。

加藤さんが好きで、でもこれは自担なのか?って、自担にしたい、できるかも、って突発的に思っても、でも…と「自担と呼べるほど加藤さんとNEWSを私は背負う覚悟はあるのか」と葛藤して、私は今後もNEWSを自担にできないまま過ごすのかなあと少し寂しさ悲しさを覚えながらも、「えび担兼NEWSファン」「加藤さんのファン」「加藤さん推し」「加藤の女」と言ってお茶を濁す日々だった。

 

結局EPCOTIAもすごく面白くて楽しかったけど、まだ「ファン」以上を名乗る腹を決められず。7月11日の加藤さんの誕生日か、味スタか、今年中には結論が出せるだろうかと思いながら、またこれまでと同じようにマイペースにNEWSファンとしての日々を過ごしていた。

そんな中で訪れた6月7日の夕方だった。

 

その件に関しての私のスタンスの詳細をここに書くことはしませんが、どうしたって断片的な情報しか我々は知り得ない以上、大なり小なりの憶測を含めた視点で過剰に何かを批判することも過剰に擁護することも私個人の考えとしてはできないと思ったことと、誰かを被害者だ加害者だと言って詮索して断罪することもする気はないことと、私が知り得た=報道された範囲での2人の言動に対して全てに石を投げる気も起きなければ全てを肯定する気もない、という3点だけ。

 

それでも嫌いになんて全くなれなかった。結局それでも私は好きなんだよ、という結論にしかなれなかった。好きだということと、信じて愛して仕事を任せてくれた関係各所への申し訳なさ。帰り道に途中下車してロフトに寄って紫と緑の便箋を買った。

昨日から何度も思い出すのは、EPCOTIAコンサートの最後に「NEWSが絶対HAPPYにするから!だから、宇宙の果てまでついてきてください!」と言った加藤さんの姿だった。

 

私は基本的に宗教型のオタクで、特にいつも自担に関しては宗教だなって思っている。めちゃくちゃ信じてるし、心から信じられるから自担にした。私はアイドルはステージの上での姿が信じられれば、彼らが公開する気のない部分公開する必要のない部分=プライベートでどんな人間であろうが極論法や人道に反することさえしていなければなんだっていい、とさえ思う。

小山さんと加藤さんのことが嫌いな人がたくさんいることは、NEWSに興味を持つずっと前から何となく察していた。ジャニーズ外に推しができて疎遠になってしまったけれど昔仲の良かった友人(出会ったのは別のグループつながりだったけど元NEWS担でもあった)からも嫌いだって聞いたことがある。彼女らの言う通り本当は救いようのないひどい人なのかもしれない。その言葉も考えも全部嘘なのかもしれない。我々がアイドルに対して知り得る絶対本当の情報は顔しかないとよく言われるけど、もしかしたら本当に私は顔以外彼らの何の真実も知らないのかもしれない。例えば…と思ったけどこれを書くとチュベローズのネタバレになってしまうので割愛。でも読んだ人ならあのことかって察して貰えると思う。笑

それでもなあ、仮にそうだとして、「騙されているならそれで構わない」と思ったんだ。

ステージの上で上手に騙してくれて、私はそれを見てうっかり好きになってしまって、その夢がずっと覚めずに楽しくファンでいられる。ステージの上でうまく騙して、夢を見させ続けてくれていたなら、私は上手に夢を見させてくれたことに感謝するし、その手腕に感服するし、その時点で私の負けなのだ。この夢をまだ続けようとしてくれるなら、私が自分の意思で覚める時まで覚めなくていい。

騙されていたっていいと思えるから自担にしてんだよ!!!!って、どんな文脈だったかはもう覚えていないが以前考えていたことを思い出した。

あーなんだもう自担じゃん、って思ってちょっと笑った。

 

ずーっと理屈こねてきたけど、もう誤魔化せないところまできてたんじゃんね、私。

こんな時にバカなのかもしれないけどどうしようもなく加藤さんのことすごく好きだし小山さんも、勿論増田さんも手越さんも、NEWSも好きなんだよ。

今なら呼べるし呼びたいと思った。そう呼ばせてほしいと思った。飽き性で気分屋の私の感情が今後どう動くかなんて分からない。ファンなんて無責任なものだから。自分の今後の感情までの自信と保障はないけど、今言いたいから腹括った。

限りなく無力に近い微力でしかないファンだけど、ほんの少しだけだけど背負わせてくれ、その名を。

 

こんな時に本当盲目なバカなファンがいるなって嗤ってくれて構わない。ただ心弱いので直接凸るんじゃなくてどっか見えづらいところでやっていただけると大変ありがたいです(小心者)

 

先程、今朝のビビットの録画を見た。

昼間にファンの方のツイートと信頼できるネット記事で一部の文字起こしは見ていたけれど、やっぱり見るのは少し怖かった。けれどそれも致し方ないことだと思って再生した。

映像での説明や街の人の声をワイプで険しい顔で見つめる加藤さんに息が詰まった。VTRが明けて加藤さんから説明がある。どんな事情であれ、好きなアイドルが険しい表情で謝罪し、頭を下げているのを見るのは、単純にしんどい。

泣くつもりはなかったし泣くと思ってなかった。もし泣くとしたら、加藤さんの様子や街の声などの風当たりにしんどくて泣くんだと思ってた。

ビビットファミリーの皆さんが、加藤さんを前にコメントをする。もっと厳しい意見が沢山飛んでくると思っていた。けどかけられたのは全て正論で、厳しくも優しく、なにより全員のコメントから加藤さんへの愛情が滲み出していた。加藤さんを好きで信頼していた、今もきっと信じてくれているからこそのお言葉たちで、加藤さんめちゃくちゃ愛されてるんじゃん、って思ってありがたくてあたたかくて優しくて涙が出てしまった。出演者の方だけじゃない、編集も思っていたよりずっと優しくて、加藤さんビビットの皆さんにこんなに愛されてるんじゃんってこんな時に痛いくらい実感してしまった。

「本当に自分に失望しています」という言葉が加藤さんらしすぎて、刺さった。

分からないけど。私には本当の加藤成亮のことなんてひとつも分からないのかもしれないけど。人間・加藤成亮ではなく、私が信じた私フィルターで見た「アイドル・加藤シゲアキ」の話なんだけど、私が思っていた加藤シゲアキ像が万が一実際と絶望的な隔たりがないのだとすれば、加藤さんは本当にその言葉通りに思っていそうで「失望」の二文字が重くのしかかる。こんな時でも加藤さん、そして小山さんのことも、どうしても心配になってしまう。ちゃんと美味しいごはんを食べてるかとかしっかり眠れているかとか気持ちが塞ぎすぎていないかとか。

加藤さんは自分に失望したかもしれないけど、私は加藤さんに失望していないんだよ。

 

さらっと書くつもりがやっぱり無駄に長くなってしまったし重くなってしまった。

 

ENDINGのないHAPPY ENDING、NEWSが絶対HAPPYにするんでしょう。私はまだあの言葉信じてるから。待ってるから。加藤シゲアキを好きになった私の負けだ。

「あやめ出の加藤さんファン」は何度でも言いたいけど、「騒動出の加藤担」は嫌だからね!自分でこのタイミングで宣言しといてなんだけど!笑 いつかまた落ち着いたら仕切り直したいくらいだよね!笑

だから、信頼回復してこう。こうなった以上、変えられるのは未来だけだ。素敵な景色でこれからの未来を彩っていくしかない。

EPCOTIAの後、「宇宙の果てまでついていく」って言いたかった。でもまだ迷っていた。だから言えなかった。その言葉を昨夜、私は躊躇いなくファンレターに書けた。

 

宇宙の果てまでって腹を括ったから。

2018年6月8日、加藤担はじめます。

 

A.B.C-Z最高HAPPY論

55ツアーを経てから、A.B.C-Zに関しての焦りとか悔しさとかっていうのが、びっくりするくらいなくなって。まったくのゼロだったかっていうとそれは嘘になるかもしれないけど、ほぼゼロ、と言っていい。本当、自分でもびっくりする。無理をしているわけでも負け惜しみでも皮肉でもなく、今A.B.C-Zに対して前向きな気持ちしかない。

何でだろうって考えたんだけど、5周年のA.B.C-Zが、55ツアーが最高で最高で最高だったから、これに尽きる。

 

A.B.C-Zのファンになってから数年間は、どこかでずっとよそと比較していた。「先輩はこうだったからこうなってほしい」とつい比較をしてしまったり自分の好きな型にはめようとしてしまったり、「後輩がどんどん大きい会場でコンサートをしていく、すごい仕事を掴んでいく」と内心焦ったり、A.B.C-Zのポテンシャルをめちゃくちゃ信じていてA.B.C-Zが大好きだからこそやきもきすることもあった。まぁ、A.B.C-Zのパフォーマンスを見れば「うわーーーんA.B.C-Z最高ーーーー!!!!!!!!(;;)(;;)」って浄化されるんですけど。

 

それが少し変わり始めたのは、SLTの時。

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A.B.C-Zのコンサートは私が「こうなってほしい」と思っていた方向ではないのかな、と思った。でもね、それでも、めっちゃくちゃ楽しくて幸せだったんですよ。最高だったんですよ。

「私の望んだ型にはまらなくてもA.B.C-Zって結局最高じゃんか、なんでだろう、何かの型にはめようとすること自体、誰かが歩んだのと似た道を望むこと自体、彼らには不要なことなのかもしれない」と思うようになった。

 

翌年、5周年。A.B.C-Zが強い」と強く思うようになった。これはお世辞でも虚勢でもなく、本気で。

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そして55ツアー。

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この記事で私はこんなことを書いている。

A.B.C-Z、これからも進んでいく中で色んなことがあるかもしれない。色々思うようにいかないこともあるかもしれない。でもそういう時私はこの日のずっとLOVEを思い出して、このずっとLOVEの思い出があればきっと諦めずについていけるって本気で思うくらいに、幸せで大切な公演でした。

これはあれから半年以上経った今でも本気でそう思ってるし、この日の記憶が冒頭の話に繋がる決定打だ。

 

世間的に見れば売れてないかもしれない。これからも売れないと思われてるかもしれない。事実数字も他のグループと比べて芳しいとはお世辞にも言えないし、コンサートの会場だって小さい。テレビだって他のグループに比べれば出ていない方だ。今度華々しい後輩のデビューも控えている。東京ドームでやりたいなんて言ったら鼻で笑われるかもしれない。そんな世知辛い現実も、頭の片隅では理解しているつもりだ。

けどそれがなんだっていうんだろう。

 

「信じてる」と言うとちょっと力強すぎるかもしれない。そんなに気負っているつもりはなくて。

ただただ、A.B.C-Zが最高で。誰が何と言おうと私にとってA.B.C-Zは最高で、そして間違いなくこの先のA.B.C-Zも絶対最高だ。それが私にとっての事実だし、その事実があるだけで焦りも悔しさも全部なくなった。

これは諦めでは一切ない。開き直りでもない。求めるハードルを低くしたわけでもない。

A.B.C-Zの東京ドーム公演で黄色のペンライトを振ってみんなでペンライト遊びする日を私は本気で楽しみにしているし、今よりもっともっとたくさんの人がA.B.C-Zのパフォーマンスを見て笑顔になる日々がくると思っている。願いというよりは、ただただ純粋な気持ちで、くるだろうってわくわくしている。

 

「売れる」って結局どういうことなんだろうって最近思う。いやわかる、なんとなくわかる。なんとなくの形やモデルケースは存在するけど、「100%この道を通ったら売れる道です」「こうなったら売れたって言えます」なんて定義実は存在しないはずで、じゃあ「A.B.C-Zは今こうだから売れません」なんて言えないはずで、まあそもそもA.B.C-Zに関しては売れる売れないというひとつの定義に強く拘ったってそこまで大きな意味はあるんだろうかと最近もはや思っていて(いや売れていろんなことができるようにはなってほしいから結局売れてほしいは売れてほしいんだけど)。なんかこれって視聴率と視聴質の問題みたいだなって書いていて思ったけど話がずれそうなのでその話は横に置いておく。

つまり、A.B.C-Zの歩む未来は間違いなく楽しくて面白いことがたくさん待ち受けているはずだ、というその確信だけはある。なぜならA.B.C-Zは最高だから、絶対大丈夫。外野の言葉やノイズなんて関係なくて、それだけあれば充分。多分これが、私がA.B.C-Zに対して「前向きな気持ちしかない」っていうことだ。

 

そりゃあね、真剣に現状を憂いて打開策を考えようと悩んだり、ネガティブに捉えようとすればいくらでもできる。笑 でも、それ以上にびっくりするほどの前向きさが勝ってしまう。

 

今のA.B.C-Zは強いし、愛しかない。

私がA.B.C-Zに出会ったのはちょうど5年前の春。あの時、いつでも不器用なくらい全力で体当たりで挑み続ける彼らに気付けば惹かれていった。パフォーマンスの時の楽しそうなキラキラの目から、幸せすぎるコンサートから目が離せなくなった。あの時感じたきらめきは、驚くことに今なお色褪せないどころか何十倍にもどんどん大きくなっていっている。

だから本当に、今A.B.C-Zを見ているのはひたすら楽しいのだ。

 

何で最近の私こんなにA.B.C-Zについてウルトラポジティブなんだろうな!!?wと我ながら面白くなってきたので文字にしようとしてみたけど、うまいこと書けなかった。これで少しでもうまくアウトプットできているだろうか。

ということで、決まりましたね今年のツアー。日程がなかなか社会人には鬼だけど笑、今年もA.B.C-Zのコンサートがある、全国各地回ってくれる、ということにわくわくして仕方がない。いざ6周年。今年もA.B.C-Zの夏がくるぞ!