極彩色

語りたがり考察したがり、めんどくさいじゃにーずをたく

4年と9か月、そして4か月を経て

「嵐担を降ります」、そう宣言してから4か月と少し。
ファウストに悶えた梅雨が終わり、えびコンにお金も時間も熱量も全てつぎ込んだ夏も終わり、イットランズに通った秋が始まり。
嵐のニューアルバム「THE DIGITALIAN」が発売しました。

近年のアルバムのクオリティに上がりまくったハードルを今年も難なく越えていくアルバムの完成度の高さ、一つ一つの楽曲の素晴らしさもさることながら(いやこれも1つ1つ語りたいくらい最高で感動したんですけどそれを語ってると話がずれまくるので今回は割愛します)、今回のアルバムの最大の注目ポイントといえば、Beautiful World以来についたPVのメイキング(BWの時はアルバム自体についていたわけではないけれど)でした。少なくとも私の中では。

フラゲ日の夜。ドキドキしながらDVDを再生して、PVを見た次に、メイキングと定点カメラ映像を見ました。
そこには、私が大好きだった、ずっとずっと見たかった、嵐がいました。
何かの企画や台本があるわけでもなく、ただそこにいて、カメラに少し語ってみたりして、そして自然に集まってだらだらと下らなく平和なやりとりをしている5人。
大野さんにだけわざと強く出る潤くん。カメラを持ってメンバーを(というか、大野さんと相葉さんを)いじって回る二宮さん。男子高校生みたいにちょっとしたことでふざけあってる翔さんと相葉さん。メンバーからのいじりにもいつものふわっとした雰囲気で応えてくれる大野さん。
定点カメラ映像で、潤くんが間違えた時の謎のハイテンション、「間違えてもそのままだからね!」みたいなこと言っておいて潤君が間違えたあと結局撮り直ししようって流れになる4人。2番に入ったところで、翔さんが突然テンション上げてそこからかっこいいダンスなのに謎のテンションで踊る5人。
見ていて、久しぶりに思い出せました。あぁ私はこんな嵐が好きだったんだと。ただ嵐が好きで、嵐のファンでいることが毎日楽しかった頃の気持ちを。

いつからか、メディアでの扱いや見せ方の私が見たかった嵐とのずれにモヤモヤして、ここ数年の一部の嵐ファンの過激とも言える言動や行き過ぎたネタ合戦とそれに対するファン内外の反応に胃を痛めて、1年に1回でもチケットが取れるかどうかと当落の度に一喜一憂して、毎日毎日情報をチェックしてワイドショーを録画しCDやDVDの発売情報解禁の度に少しでも早くCD屋に駆け込んで予約してを繰り返すのに疲れて。
嵐が好きなことはいつだって本当だったけれど、気が付いたときには無意識のうちにそれが義務になって、そして重荷になっていたんだって、今更になって気が付きました。
「ホームは嵐、自ユニは嵐以外ない」。色んなグループを好きになってふらふらと浮気をしても、ずっと心の中では疑うことなくそう信じていました。でもその思いに固執しすぎて、「好きだから全部追っていた」はずだったのが「好きならば全部追わなければならない」という義務感に変質してしまっていました。

嵐のレギュラー番組、何週分も見ないまま溜めてしまっています。
ワイドショーも、よっぽど気になるものじゃなければ無理して録画しなくなりました。
毎週の習慣だったテレビ誌チェックも、オリスタチェックも、気が向いたときにふらっとするくらいです。
5年間可能な限り毎週聴いていたラジオも、びっくりするくらいあっさりとその習慣を忘れるようになってしまいました。
レギュラーは、リアタイできたら見る。録画になっちゃったら、気が向いたら。音楽番組は、パフォーマンスするものだったら大体チェックする。コンサートは、ツアーの方は積んだり探したりはしないけど(定価以上は出さない主義ですが、そもそも今の嵐で定価譲渡なんて幻だと思っているので)できるなら行きたい。そんなスタンスです。その程度、と思われるようなスタンスです。
だけど私は、嵐が好きです。嵐の5人が、嵐の楽曲が、嵐の優しく楽しく幸せな空気感が、嵐の作り出すコンサートという最高のエンターテイメントが大好きです。
好きだから、これからも素直に好きだって言い続けたいから、「好きだから追わなきゃ」じゃなくて「好きだから、好きなように追う」ことにしました。
私は、私の見たいと思った嵐だけを追うことにしました。

「降ります」と言った4か月前は、前述の通り私は嵐担であることにどこか息苦しさを感じていたのと同時に、降り先であるA.B.C-Zの作り出す圧倒的な幸福感にどうしようもなく惹かれて、その気持ちのままにA.B.C-Z担を名乗ることを決めました。
嵐から距離をとって、別のグループの担当になって4か月経って気付いたのは、あぁ私はやっぱり嵐が好きだというただただ純粋な気持ちでした。
きっと今の私が今の嵐を純粋なままに、息苦しさを感じずに好きでいられるのはこの距離なんだと思います。何も考えずに、ただ嵐の楽しい空気を浴びられる距離。外野のあれこれを気にせずにいられる距離。
嵐のことが好きだ、と思います。けれど今の嵐を今の私は「担当」「自ユニ」と呼ぶことはしません。私が嵐に対してとった距離は、それに値する距離ではないと思うので。仮に私が今の状態のまま嵐をその位置に置いてしまったら、また苦しくなってしまうと思うので。(それに、私は今は心の中にA.B.C-Zの隣にも上にも他のグループを置くつもりは全くありませんし)


ここ1~2年、私は「嵐ファン」だと言うことを少し躊躇ってしまうことがありました。
それは前述の通り一部のファンの言動が原因だったり、嵐ファンであることが無意識に重荷になってしまっていたりしたせいです。

でも今は胸を張って、義務でもなんでもなく、心から言えます。
私は、嵐のファンです、と。