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極彩色

語りたがり考察したがり、めんどくさいじゃにーずをたく

再演ファウストを楽しみきれなかったオタクの話

A.B.C-Z 現場感想

ミュージカル「ファウスト~最後の聖戦~」を観てきた。

モヤモヤしていても一晩寝ればある程度のことはすっきり忘れる脳内ポジティブお花畑野郎だし、私は舞台の良し悪しを判断できるほどの目は持っていないし、わざわざ負の感情の入った感想をブログに書く必要もないだろうと思っていた。

けれど、観劇から丸一日以上経ってもどうしてもまだモヤモヤが抜けないので、こうしてブログという形で吐き出すことを許して欲しいと思う。誰に許しを乞うてるのか我ながらよくわからないけど。

色々無駄に考えすぎてしまったいちオタクの感想、というか吐き出しです。

 

ネタバレがあるので、まだ観劇していない方はご注意を。

 

私が観劇したのは7/19(日)の昼公演。東京楽日の前日である。

もうTwitter上で散々感想は目にしていて、どうやら今年は去年よりも酷いらしいということは覚悟していた。それでも、「オフィスト様見れれば」「舞台に立つ河合くんが大好きだし」という気持ちである程度楽しみにしながら観劇二日前にチケットを購入した。

 

良い感想と悪い感想の二つがある。まずは良い方からいこう。

率直な感想としては、「思っていたよりは全部が全部ひどくなかった」だった。

細かいところでより感情の動きが分かりやすくなる演出が増えていて、そのあたりはグッときた。

初演時からオフィスト様信仰の節がある私としては剣だけが残されているシーンが今回新たに加えられた演出の中では相当好きです。本当…ニクいことしやがる…。

それ以上に削られたシーンにより感情のつながりがあまりに薄っぺらくなって新演出で要所要所盛り上げても手遅れなくらいお客さん置いてきぼりすぎるっていうところはここではまだ言及しないでおきます。

 

初演時に物議を醸した「俺はこんなに美男子じゃない…!」という台詞。河合くんがやたらその台詞についてインタビュー等で言及するので、ファウストは真剣に言うシーンなのに、ここは河合郁人のキャラクターやインタビューでの言及をフリと捉えて笑うべきなのか、ここは舞台まして外部の作品なのだからこの台詞を本来の意味と捉えて笑わないべきなのか。そういう意図はないけど思い出してつい現実の河合郁人を思い出してしまい笑いそうになってしまう人もいて、毎回微妙な探り合いのような空気が流れていたことを覚えている。

なので今回の再演ではあからさまに「ファウストとして笑いどころだと示す」ということをしていてそこが嬉しかったし安心して笑うことが出来た。ありがたい。

 

オフィスト様のかっこよさがより磨かれている…!!!!!!両手に剣を持って敵をいなすオフィスト様がかっこよくないわけがない。ごちそうさまです。

 

も~~~~~ヘレネ様の登場シーンが昨年より格段に豪華で妖艶で最高!!!!!!!!!!スリットから覗く足も男性とは思えないくらいきれいで驚いた。ファウストとオフィストを目当てに観劇したのだけれど、ヘレネ様の登場シーンだけでチケット代の半分以上は余裕で元をとった気分。

昨年はもっと和風の衣装だったのだけれど、リリス(昨年はローズ)もごてっとした布多めの衣装だったので今年のヘレネ様は体にフィットした綺麗な黄金のドレスという差別化がよりはっきりしていたのもよかった。

 

思い返せば個々のシーンは昨年より丁寧に描かれているところもあり、シーンごとに見てみればそれなりに満足度の高いシーンも少なくなかった。

ここまでが良い感想である。

 

けれど舞台全体として見た時、それだけでは到底救えないほどに、酷かった。

これが悪い感想である。

「こういうシーンを入れればオタクは喜ぶだろう」「去年も来てもらった人にまたお金を落としてもらわなきゃ」「初演との差別化を図るために色々設定をいじってみよう」

制作陣のこういう意図が透けて見えた。

「舞台としてよりよいものを作ろう、その結果としてたくさんの人に見てもらおう」じゃなくて「ジャニーズ出しておけばファンは来るでしょ?そういうファンが喜びそうなもの作っといて何度も足を運んでもらおう、それでお金を回収しよう」という考えが全ての前提にあると私は受け取った。まず前提からおかしいのである。

 

元々この舞台の制作陣はそのようなきらいがあることは分かっていたが、再演にあたってよりその色が強くなっていた。その象徴として今作で新たに加わったものが

・「河合郁人女装記念」日替わり台詞入りあぶらとり紙の配布

・河合くんの男女二役

・平日限定アフタートーク

である。日替わりグッズやアフタートークに関しては、ファウストと制作陣がかなり被っている昨年冬の舞台「ルードウィヒ・B」でも行われていた。恐らくそれで味をしめたのだろう。

加えてグッズに関しても、五関さんと河合くんのメンバーカラーである青と紫をはじめ、今作に出演していないメンバーのカラーである赤・桃・黄のTシャツまで販売されている。今作の主要顧客として制作陣もA.B.C-Zのファンを見据え、媚びていることは嫌になるほど明らかだった。

 

そうして「ファンが喜んで食いつきそうなものを用意しておけば」精神で作り上げられた脚本演出があの必要なシーンまで削ぎ落としオタク媚びのシーンを増やし下手に新たな要素を加えようとして話を散らかした、一本の作品として破綻した舞台の出来上がりである。

物語の鍵のひとつとなる重要な要素として、「オフィストが愛を知る」ということが挙げられる。これがなければファウストと慣れあったりもしないし、最後に人間の為にガブリエルと刺し違えるというシーンは生まれない。

しかし再演である今作では冒頭のオフィストとファウストの冒険をはじめ「二人が友と認め合うまでの過程」がかなりごっそりと削られている印象を受けた。

アバレやカスメらとのシーンでも、今作では貧困層の出身で人間らしい生き方をしたことがないというバックボーンがあるファウストがいきなり(オフィストの指導があるとはいえ)手練れの盗賊らしいアバレやカスメをねじ伏せるしそのままいきなりヘレネを倒そうとする。

確か初演ではヘレネ討伐の前にオフィストに剣の稽古をつけてもらうシーンがあり、最初は片手で応戦していたオフィストがいつしか本気になるというあの過程が好きだった。私はそこでオフィストがファウストのことを認めたのだと思っていた。しかし今作ではそのシーンは残っているもののヘレネ討伐後、ファウストは女性のままである。

二人の関係の節目ともいえるシーンに手を加えられたことで、この物語の軸となるはずのオフィストとファウストの関係性の変化がぼんやりとしたままになってしまっている。

「前作を見てればわかるでしょ?察してよ?」ということなのだろうか。再演で初めて「ファウスト」に触れる人のことは置いてけぼりなのだろうか。

 

しかしそこには頑張って目を瞑ろうとしても、私がどうしても、未だに納得がいっていないシーンがある。今回制作陣が目玉としているだろう、ファウストが女性になるシーンだ。

頑張って咀嚼しようとしてもちょっと…よくわからない…。

男の精力を食らうヘレネを倒すために女性になる、まではまあ理解できた。前作はオフィストと剣の鍛錬をしていたから男のままで倒せたけど、今作はそのシーンがもっと後に来るからファウストの実力が男のままで勝てるほどにはなかったのだと思った。

しかし問題はその後の展開である。

まず前提として、ヘレネ討伐に来た理由を整理すると

・処刑の前にマルガレーテと時間を過ごしたい

・そのためにはヘレネを王宮に連れ帰らなければならない

・ただし、ファウストが逃げて帰ってこなかったらマルガレーテの命はない

という話になっていたはず。

しかし女性になったファウスト

・女になってマルガレーテの気持ちが分かった

・私はこのまま(女のまま)で生きるの

・このままでは王宮に帰れないからヘレネを代わりに連れ帰って

と言うのである。

まず「分かった」というマルガレーテの気持ちって何?と思うし、女性になっただけでマルガレーテの気持ちがわかる…??と疑問だし、マルガレーテの気持ちが分かったからといって女性のままでいるという結論に至るのは相当な論理の飛躍である。マルガレーテの気持ちがわかったなら男に戻ってファウストの帰りを待つマルガレーテと結婚して幸せに暮らせばいいのでは…?????

しかもヘレネを連れ帰ったからと言って、「ファウストが帰ってこなければマルガレーテの命はない」と言われているのである。つまりこの取引ではファウストが帰ってくることが条件のひとつであるにも関わらず、「女のままだから帰れない」と言う。じゃあ男に戻ればいいのでは…。マルガレーテを助けたいならファウストが帰ってくることが一番確実な条件でしょ…???!!

しかしあれだけ引き延ばしておいて最終的には「国王になりたい」「国王になるには男に戻らなければ」という話になりあっさりと男に戻るのだけれど。ちなみにその後女ファウスト時のあれこれについての言及は一切なし。国の体制的に女性は王になれないしきたりがある、とかがあるのかもしれないからその理由付けはいいとしても、「これまでの女ファウストのくだりは何だったんだ…?」という感想だけが残る。折角1幕最後で女性のままマルガレーテとデュエットしたのだから、せめて女ファウストとマルガレーテのエピソードか何かあれば…。

 

しかし女ファウストのくだりについてモヤモヤした点はそれだけに留まらない。

ファウストが「女になったファウスト」として描かれているとは思えない問題。

女になった途端台詞はオール丁寧語だし、手はお腹の前でずっと組んでいるし、「私はこのままでいいの…」とか急におしとやかになるし、男の時はあんなにマルガレーテ!マルガレーテ!だったのに女性になってもうマルガレーテに会えないと言いながらも女のままで生きると言う。

性別が変わっただけで魂は同じはずである。記憶も引き継がれているはずである。なのにここまで180度すべてが変わってしまうのか。

元々ドラマ等で描かれるステレオタイプ的すぎる女性像が苦手な私としては(どんなに大好きなアイドルくんがいい役どころで出ていてもそれが耐えきれなくてどうしても見られなかったドラマだってある)この「ファウストとしての人格」を無視し、元々のファウストの性格からは似ても似つかない「ステレオタイプ的な『姫』像」を安易に女ファウストに宛がわれたことが耐えられなかったのである。

正直に言うと、制作陣の思惑通り「再演ファウストを見に行こう」という思いの後押しになったもののひとつに「河合くんが女性を演じる」ということがあったのは事実である。河合くんがどう女性を演じるのか見たい。そう思って劇場に足を運んだだけに、女ファウストを取り巻くシーンがこんな安っぽくて雑に作られていることに対しての落胆はものすごく大きかった。楽しみにしていたシーンなのに、河合くんも全力で女性役を研究して演じていたのは伝わってきたのに、一番私の中で苦手な部類のシーンになってしまって素直に河合くんの演技を楽しめなかったことが悲しかった。

 

そして何よりもこのシーンに関して一番悲しかったのは、あまりにもこのシーンが明らかに「客寄せパンダ」として作られたものであることだった。

悔しかった。色んな事が悔しかった。

どう見ても話の流れの中で女ファウストのシーンは必要ではなかった。それどころかこれを入れたことで話がより散らかってしまっていたのは明らかだった。なのに脚本に組み込んで、その上2幕まで女ファウストを引っ張るのである。2幕はもはやファウストが女である必要はなく、1幕の最後で「女として生きる」というこれまで積み上げてきたキャラクター性や伏線を全て壊すような台詞を入れてまで、である。私には「女ファウストのシーンを引き延ばしてファンを食いつかせたい」という魂胆が強く感じられた。むしろそうでなければ説明がつかない。

「女装させときゃファンは食いつくだろ」ってナメられた脚本を作られたこと。それに少しでも乗ってしまった自分もそうだ。そんな考えで無理やりねじ込まれた女装が明らかに舞台を一番ガタガタにしていたこと。そんな状況でも、沢山考えて沢山研究して沢山練習してたであろう河合くんの女ファウストとしての立ち居振る舞いが非の付けどころがないくらい素晴らしかったことが脚本演出に対する悔しさに拍車をかけた。

ただでさえシンガポールの滝沢歌舞伎も控えていて、サマパラの直前まで歌舞伎やってるにも関わらずサマパラの演出もするつもりらしくて、サマパラの演者としても練習をしなきゃいけないのに。この夏の河合郁人はものすごく忙しいのに。歌舞伎のシンガポールも、今年のサマパラも、今年しかないのに。

何でそんなときに客寄せのために不必要なシーンを作って新たに女性役を練習させて負担かけてるんだ。それ、いらない負担だったでしょう?女性役を研究する時間でもっと彼は沢山のことができたでしょう?そう思うと悔しくてたまらない。何で適当に作ったシーンに河合郁人の労力をかけさせなきゃいけなかったんだ。

もし仮にこの先女性役をすることがあって、今回の経験が生きることがあるかもしれないけど、でもファウストじゃなくてよかった。今じゃなくてよかった。私はそう思ってしまう。

五関さんも河合くんもむちゃくちゃデキる人なのに。どんな状況だってどんな作品だって全力で挑む彼らだからこそ、それに対して全力で返されないこと、用意されるべきもっといいステージが彼らに用意されなかったことに対して私はものすごく悔しく思う。

A.B.C-Zとして勢いが少しずつつき始めたのではないかと感じられた2015年、何でよりによって昨年の時点で不信感の漂っていた舞台にまた縛りつけられなければならないのかとさえ思ってしまう。

彼らの全力と仕事への真摯な態度に対して、「ジャニーズだからいいでしょ」って彼らのこともファンのことも甘く見た脚本演出で応えられるなんてこと、あっていいはずがない。

 

東京公演の千秋楽で、初めて再演ファウストスタンディングオベーションが起きたという。それに河合くんが「初めてのスタンディングオベーションです」と言及していたと。

その話を聞いて私は胸がチクリとした。私はカーテンコールの時、「立とう」「立ちたい」とは全く思わなかったのである。

スタンディングオベーションとは、素晴らしい舞台に対する最大限の称賛だと捉えている。だからこそ、「スタンディングオベーションをすることでこの舞台を素晴らしいと評価はしたくない」と思った。過去に見た素晴らしい舞台たちと同列に扱うことは躊躇われた。だから私は五関さんと河合くん、他の演者の皆さんに最大限の拍手を贈るに留めた。

だけど、河合くんは気にしていたのだろうか。これまでの舞台なら千秋楽かどうかに関わらず日常的に起きていたスタンディングオベーションが今回は起きなかったこと。トリプル主演と銘打っているとはいえ、ファウストという物語の主人公は河合くん演ずるファウストである。真面目で繊細な一面もある河合くんは、ずっと、気にしていたのだろうか。

そうじゃないのに。見ていてこっちが勝手に辛くなるくらい頑張っていたのも、河合くんをはじめすばらしい演技を見せてくれたことも分かっているのに。それでも手放しで「すばらしい」と立ち上がることはできないと思わされたこと、彼ら自身の演技は最高だったことを彼らにきちんと伝えられなかったことに胸が痛んだ。かといって、それを聞いてもなおスタンディングオベーションをしなかったことを後悔しなかったことも悲しかった。

東京楽のカーテンコールの話を見て、「ごめん」と思った。もっと素直に楽しめる客じゃなくてごめん、なのか、全力で向き合った舞台なのに好きになれなくてごめん、なのか。何に対してかは自分でもはっきりしないけれど。

とにかく彼らがこの舞台に対して全力で、ポジティブに楽しみながら向き合っている(と少なくとも表に出している)ことが救いである。同時に苦しさでもあるのだけれど。

 

 

感情のままにキーボードを叩いていたらこんなに長くなってしまった。只今9500字を越えたところである。長いよ。一万字インタビューかよ。

 

こんなにぐちぐち書いたけれど、まぁ一個人の意見なので…。大阪公演行く方はフラットな気持ちで楽しんできてほしいなと。思っています。

私は舞台に立つA.B.C-Zが大好きなので、河合くんと五関さんの素敵な新作の舞台がまた遠くない未来で観られることを願いつつ。

 

とにもかくにも、再演ファウスト東京千秋楽おめでとうございました。大阪公演も怪我などなく無事に終えられますように。

おわり!