私とKAT-TUNの10年間――2016年3月22日によせて

当日は寝落ちしたため一足遅れたけれど、2016年3月22日とそれまでの10年間の話をしたい。

 

2016年3月22日は、我らがKAT-TUNのデビュー10周年記念日であると同時に、私自身4年間通った大学の卒業式でもあった。当日は晴天であったけれど風が結構強くて、折角袴に合わせてセットして貰った髪型が乱れないかとヒヤヒヤした。晴れているけど風が強い、そんな一筋縄ではいかない感じがKAT-TUNの10周年記念日らしいと思った。

10年前の今頃も私は卒業式を迎えていた。小学校の卒業式である。10年前の私はまだランドセルを背負っていたのだと思うと、改めて10年という時の重みを感じられた。

 

10年前、ジャニーズのことをようやく「男のアイドルの人たち」ということを認識した程度の知識しかなく、芸能人にほとんど興味のなかった田舎のオタク小学生だった私ですら、当時「KAT-TUN」の勢いは肌で感じていた。

流行に敏感な女子たちは勿論、そうでもない私のような子たちでさえKAT-TUNの名は知らないまでも「仁亀」と聞けば「ごくせんの人」と理解できたし、当時私の周りで流行っていた交換日記では皆が「ごくせん」や「野ブタ。」の話題で盛り上がっていた。*1

特にKAT-TUN(というかごくせん)に熱狂していた女子たちが、クラスの女子全員に「仁派!?亀派!?」と聞いて回っていたことは今でも印象に残っている。ちなみに私は少し悩んで「亀梨くんかな…」と答えた。理由は「どちらかといえば真面目そうだから」である。当時ドラマや音楽番組の中でしか亀梨くんを知らなかった私がどうしてそう思ったのかは全く覚えていないが、今思えば当時の私が思っていた100兆倍くらい亀梨くんは真面目だった。ちなみに私にそう聞いてきた女子は仁派だったらしく、私の答えを聞いた亀派の女子に「でしょー!?」と得意げに言われていた。

そして遂に迎えたデビュー、たまたま見ていた音楽番組でKAT-TUNの姿を見た私は「あ、ごくせんの」とすぐに合点がいった。あの頃私はやはりジャニーズに全く興味はなかったが、ごくせん的な校舎のセットの中で歌っていたのと、東京ドームでのデビューコンの中継は今でも何となく記憶にある。当時は仁亀しか顔も名前も分からなかったけれど、他のメンバーの印象もぼんやり記憶している。聖くんはアイドルなのに坊主ということに衝撃を受けたしラップもゴリゴリな感じでちょっと怖かった。中丸くんは比較的普通というか地味でKAT-TUNっぽくないな、何でこのグループなんだろうって思った気がする。*2上田くんは最初本気で「え?女子!?じゃないよね?ジャニーズは女子いないよね…??」とびっくりした。田口くんは背が高くてキラキラ(KAT-TUNっぽいギラギラ寄り)というか、他メンバー程のびっくり感はなかったかも。

不思議なもので、いくらドラマで仁亀の二人は知っていたとはいえ、当時芸能人に疎かった私がこんなにも印象に残っている芸能人はKAT-TUNの他にはいない。毎週テレビでSMAP×SMAP学校へ行こうを見ていたからSMAPとV6は全員の顔と名前を認識していたけれど、それ以外のジャニーズの人はてんで分からなかった。毎年年越しはジャニーズカウントダウンだったからグループは認識していたかもしれないけれど、小学生の頃の私が誰をどういう風に認識していたかは全く覚えていない。辛うじて花男で潤くんのことは知っていたしWISHのCDも家にあったから、「嵐の松潤」くらいは認識していたかもしれない。ジャニヲタになる前に強烈に印象に残っているのって、後はデビューした時のHey! Say! JUMPくらいだ。(全くの同世代グループだったから)

デビューからいきなりのミリオンヒットに東京ドーム公演で、世間もKAT-TUNに注目していた。完全に「KAT-TUNの時代」だった。だから、SIGNAL、僕らの街で、keep the faithのPV解禁時のことも覚えている。たまたま学校に行く前に見ていた朝の番組で流れていたらしい。へえ、KAT-TUN次はこういう曲歌うんだ、すげーな、と思っていたことを記憶している。喜びの歌は、特急田中三号のドラマを見ていたので(確か電車男の直後くらいで、オタクものつながりで見た)その時に毎週聴いていた。

しかし中学でも変わらぬKAT-TUNフィーバーが続くなか、前よりも少し「ジャニーズ」という存在を理解してきた私は、特に深い理由もなく「ジャニオタのクラスの女子たちこわい」*3という理由だけでジャニーズと聞くだけでどこか色眼鏡で見るようになっていた。別にジャニーズの出ているテレビを見なくなったわけではないしSMAPやV6など昔から見ていた人たちは嫌いじゃないけれど、「アイドルってニコニコして手を振ってるだけでしょ」なんて思うようになった。まあよくある「斜に構えている自分カッケー」という典型的な厨二病である。

 

その後私はゆるゆると二次元オタクの方にシフトしていき、ドラマも音楽番組もあまり見なくなっていた。中学校も後半になると、デビュー当時と比べればクラスでKAT-TUNの話題が徐々に減っていき、嵐や関ジャニ∞の話題に変わっていった気がする。

そんな私がもう一度KAT-TUNを目にしたのは、私が高校一年生になった2010年初頭のこと。嵐と共演したMステSPである。

2009年の秋に突如嵐を好きになり、そのMステも嵐のために見ていた。久しぶりに、そして他グループヲタになって改めて見たKAT-TUNは相変わらずギラギラしていてクールでスタイリッシュで、当時わちゃわちゃ仲良しが可愛くて平和でそこが大好きだった嵐と比べると真逆の人たちに見えた。曲はD-MOTIONとかを歌っていた気がする。「KAT-TUN相変わらずギラギラしてんな~スカしてんな~」と思ったくらいで、特に強い興味は起きなかった。

その少し後くらいに、たまたまネットサーフィンをしていて見た嵐ファンブログで「cartoonKAT-TUN」について触れていた記事があった。私はそこで初めてKAT-TUNが冠バラエティ番組を持っていることを知った。「KAT-TUNとバラエティ」という単語が全く結びつかなかった私は逆に興味をそそられて、最終回直前の数回だけ視聴した。よく覚えているのは冬デート回で、はしゃぐ上田くんを見て、上田くんがこんなにも女の子大好きなことと楽しそうにはしゃぐ人なんだということを知ってびっくりした覚えがある。カツカツは普通に面白くって、「KAT-TUNってバラエティできるんだな…」とそこにもびっくりした。「バラエティできるんだな」って今思うとすごい面白い感想だな。

 

カツカツが終わって再びKAT-TUNへの糸口を失った私は、変わらずただの嵐オタとして過ごしていた。ある日飛び込んできた「赤西仁KAT-TUN脱退」のニュースにも、あ、そうなんだ~…と思ったくらいだった。

その次にKAT-TUNを見たのは、「Going!」を5人で披露していた音楽番組だった。…と記憶しているのだけれど、Goingは5月発売で、その音楽番組を見たのは秋の夕方だった気がするから(少なくとも5人になった後だった)どこかで記憶が違っている可能性がある。とりあえず、明るい曲を歌っていた。「KAT-TUNこういう爽やかな曲も歌うんだ、いいじゃん、5人でもがんばってるんだな」と思って、KAT-TUNのことがちょっと好きになった。当時嵐と共演の多かった関ジャニ∞のことも認識し始めてDDになる兆しが見えていた私はそこから気付いた範囲でKAT-TUNも目で追うようになっていった。

 

そこからは、大体過去の記事で書いた通り。

tk46.hatenablog.com

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私が高校三年生になった2011年4月1日のMステ、「PERFECT」で見事KAT-TUNに落ち、その年の秋に受験が終わり来年のツアーが来るだろうタイミングでFCに入り、「受験が終わったからようやく心置きなく聴ける!」*4と思っていたR-One KAT-TUNの終了を悲しみつつ、晴れて大学生になった2012年4月に初めてのKAT-TUNコンサート「CHAIN」に参戦した。

そこでもまたKAT-TUNのパフォーマンスに圧倒され、これまで嵐のコンサートしか知らなかった私は雰囲気や会場の使い方の違いに感嘆した。特に「儚い指先」と「GIVE ME,GIVE ME,GIVE ME」はコンサート後ロスになるくらい美しくてかっこよかった。

 

大学生になり行動範囲が広がった私はどんどん好きなグループが増え、色んなグループのCDを買い色んなコンサートに足を運び充実したジャニヲタライフを送りつつ、でもそろそろKAT-TUNのツアーも来ない?まだー?と思いながら過ごした2013年の夏。季節が秋に変わった頃、忘れもしないリーガルハイ二期初回放送日、一通のメールが携帯に届いた。「KAT-TUNメール伝言板・臨時号」。田中聖くんの脱退を知らせるメールだった。

勿論動揺した。当時周囲にKAT-TUN友達がほとんどおらず、彼らについての週刊誌的な情報をほとんど見聞きしてこなかった私にとっては突然すぎてわけがわからなくて、翌々日ドラマ番宣のために朝から生放送に出演していた亀梨くんの様子を通学電車の中からTwitter検索で必死で確認したことを覚えている。

けれどその後の日曜日にシューイチで4人揃って――初めて「4人」のKAT-TUNを見た時に本当にもう聖くんはいないんだと胸がチクリと痛んだけれど――VTR出演して、ミニアルバムの発売と初のカウントダウンコンサートを発表した時は本当に嬉しかった。これからどうなるんだろう、とずっと思っていたけれど、「KAT-TUNは大丈夫だ」と思った。今にして思えば、メンバーも同様の最中で「大丈夫」なんかではなかったのだろうけれど。

まだ学生の身分、お金もなく京セラカウコンは少し悩んで諦めたけれど、ミニアルバムは待望の上田くんソロPVがあったこともあり2種とも購入した。勝詣も申し込んだ。*5

それを最後に、私は一度KAT-TUNに関しては茶の間に戻った。

 

KAT-TUNのことを嫌いになったわけでは決してない。ずっと好きなことには変わりなかった。テレビ出演も細かいWS以外は大体捕獲していた。ただ単純に、他に大好きなグループが増えて、限られたお金のかけ方を考えた時に優先順位が少し変わっただけだ。ただそのタイミングだったのは、皮肉にもその「KAT-TUNは大丈夫だ」と思った瞬間が一つの区切りになってしまったのかもしれない。

KAT-TUNが久しぶりの全国ツアーを行った2014年は私は別のグループを全力で追いかけていた。comeHereツアーが行われている頃、私は別のツアーのために初めてのコンサート遠征もした。comeHere代々木公演が行われた日は奇しくも別グループの自担が初めて出演した外部舞台の公演に行っていて、渋谷と代々木の間あたりの飲食店でcomeHereツアーバッグを持ったお嬢さん達とかち合ったのをよく覚えている。本当はチケットがあれば行きたかったけれどFCを一旦辞めた身分、申し込みもできず、譲りツイートを探してもなかなか見つからなかったので国際フォーラムでグッズだけ買って帰った。マウスパッドは今も愛用している。使い心地最高。comeHereアルバムは夏ごろにレンタルして聴いたけれど、COME HEREのPVをCMで見てずっと気になっていたので迷うくらいなら初回盤を買えばよかったかと今じわじわと思い始めている。

 

少プレを見て、数か月に一回放送されるタメ旅を見て、ゆるく追う茶の間としてはKAT-TUNに関して十分満たされていた。嵐をはじめ別グループつながりで知り合った友達と鑑賞会をするときや録画のダビングを渡すときにKAT-TUNの映像をつけるのだけは忘れず、布教も細々続けていた。2015年に入ると、新曲に特典としてコンビ曲とそのメイキングドキュメンタリーがつくと聞いて久しぶりにKAT-TUNのCDを買った。*6

再び私の中での転機が訪れたのは、以前の記事にも書いた通り2015年の春。私は大学四年生になっていた。「オールスター大感謝祭」への上田口での出演、「全世界極限サバイバル」の上田くん、そしてcomeHereツアーのDVDの発売。その時既にバリバリの演出厨系ジャニヲタをこじらせていた私はcomeHereツアーの演出の凄さと完成度に衝撃を受け再びKAT-TUNに向かって急加速。嵐つながりで知り合ったオタ友さんが元KAT-TUN担で今もコンサートに行っていることをその少し前に知り、チケットをとってもらって久しぶりにKAT-TUNのコンサートに行ったのはcomeHereツアーのDVDを見た翌月のことだった。そこからはもう言うまでもなく、更に沼落ち。興奮してなかなか寝付けないコンサートは他にあっても、興奮のあまり寝たものの早朝のWSの時間に自然に目が覚めて早朝のWSをリアルタイムで見た経験は初めてだった。

 

夏から秋にかけてはKAT-TUNの曲を作業用BGMにしながら卒論を執筆し*7、後は細かな修正を残すのみでほぼ卒論にOKが出た11月下旬。ほっと一安心して、「来年はKAT-TUN10周年に全力を注ぐぞ~!まずは今日の番組だ~!」なんてKAT-TUNの曲を聴きながら浮かれて帰宅したその日、田口くんが生放送の音楽番組の中で、KAT-TUN脱退の意思を表明した。

そこからのことはリアルタイムでこのブログに記しているので(記さなければ落ち着かなかった、とも言う)詳細は割愛するが、もうとにかく落ち込んで落ち込んで、本当にこの先KAT-TUNはどうなるんだと不安ばかりで、闇の中にいる気がした。

それでもメンバーが発信してくれる言葉やパフォーマンス、レギュラー出演番組の温かさ、そしてファン同士で感情を分かち合うことでどうにかKAT-TUNファンとして歩き続けて、充電期間発表など感情がジェットコースター状態に何度もなりつつも、今、前々からずっと楽しみにしていた3月22日を迎えた。

 

10年前の私に今の状況を説明しても「は?」と言われることだろう。私の趣味趣向も、KAT-TUNのかたちも10年前とはあまりにも変わった。

けれどKAT-TUNの本質は、きっと10年前と何も変わっていない。ギラギラしていて、かっこよくて、美しくて、でも実は喋らせると小学生男子みたいに騒がしくて。

振り返ると私の10年間、「KAT-TUN」という存在はほとんどいつもそこにあった。ジャニーズに全く興味のなかった頃から。私の青春時代は、KAT-TUNがメジャーシーンで戦ってきたこの10年間と重なる。小学校を卒業して、中学校、高校、大学、そして社会人になるこの春までの丸10年、いつだってKAT-TUNはそこにいたのだ。

KAT-TUNは時代を抱いた」と表現されることがある。まったくその通りだと思う。10年前のあの頃KAT-TUNは確かに時代を抱き、席巻し、この時代の中をどんな強風の中であろうとしっかりと二本の足で立って生き抜いてきた。それはきっと充電期間に突入するこれからの数年だってその先だってそうだ。「KAT-TUN」の看板は下ろされることもなく、時代の中に在り続ける。今なら分かる。それがどれだけ凄いことか。それに彼らのどれだけの覚悟が込められていることか。

 

私はKAT-TUNという船に途中から乗船した。途中は本船を降りて後ろから小舟でついていったり、本船に戻ってきたりした。きっとこれからもそうだろう。けれど途中で完全に船を降りるということは今までなかったし、できなかった。

私がKAT-TUNを好きになって5年、そのたった5年間でさえ何度も荒波があった。けれどKAT-TUNという船に乗ったことを後悔したことは一度もない。そしてきっとこれからもないだろう。KAT-TUNが荒波に巻き込まれるたびに「絶対なんて存在しないんだ…」と思ってきたけれど、それだけは唯一確信していることだ。

 

 

2016年3月22日。KAT-TUNメジャーデビュー10周年、おめでとうございます。

その足跡はきっと、彼らが思っている以上に多くの人の胸の中に刻まれていることだろう。

これからもKAT-TUNで在り続ける人、以前KAT-TUNで在った人、「以前KAT-TUNで在った人」になろうとしている人。そしてKAT-TUNに関わってきた全ての人たちに光あれ。

 

拝啓KAT-TUN様。これからもKAT-TUNの在る時代の中を、共に戦っていきましょう。*8

10周年はきっとこれからのもっと大きな光のための通過点。

高くもっと跳べる、一緒ならどこまでも跳べる。*9――ねえ、そうでしょう?

 

 

*1:ついでに言えば「花男」でも盛り上がっていた

*2:でも当時は思えばチャラ丸だったから、そうとまで思ったのはもっと後だったか…?

*3:怖いというより、単純に今思えば、クラスの日陰にいた地味オタクコミュ障な私は日なたにいるイケイケドンドンな女子たちと性格が全然違って距離をおいていたというだけなのだが

*4:推薦受験だったため授業中寝ないために0時には就寝する日々を送っていた

*5:結局外れたけれど

*6:KISS KISS KISSの「シャッフルKAT-TUN

*7:元々ロック調の曲が好きなのでKAT-TUNの曲のテイストが好きだった

*8:上田くんが会報で「これからも一緒に戦っていこう」って言ってたから…

*9:「君のユメ ぼくのユメ」より