「5×20」という矜持――ARASHI ANNIVERSARY TOUR 5×20

嵐の、アルバムなしのコンサートに行くのは初めてだった。アラフェス等は全て落選、嵐ブラストもなんやかんや足を運べず、アルバムをひっさげたツアーの東京公演にしか行ったことがなかった。*1

 

2018年12月16日。ARASHI ANNIVERSARY TOUR 5×20名古屋公演に行ってきた。2年ぶりの嵐コン。初めて行く嵐のアルバムなしのツアー。どうくるのかわからなくて、そして嵐コンを心から信頼している(というかむしろ、信仰しているといったほうが的確だ)私は、あの嵐が20周年ツアーで何を提示してくるのかと、ドキドキソワソワしながらナゴヤドームに足を踏み入れた。

 

 

開演時間になり、会場が制御ペンライトも含めて一斉に暗くなる。そしてOP映像。モニターに映る「ARASHI is…」の文字の後、5人の写真と名前が順番に映し出される。そして1999年から順番に、20年分の嵐の写真がカウントダウンされるように1枚ずつ出てくる。

そして1曲目「感謝カンゲキ雨嵐」と共にステージの上の方から登場する5人…DVDで何度も見た5×10が脳裏にフラッシュバックせずにはいられない。嵐ならやりそうだなって思った、納得の演出なんだけど、実際にやられるとウワーーーーとなって、OPで感極まる芸人はここでもう軽く泣いてた。

2曲目の「Oh Yeah!」は本当にに大大大好きな曲。嵐を好きになったばかりの時、何度TimeのDVDを見たかわからない。あのころ何度も何度も見た大好きな曲が、あのころはなかった制御ペンライトによって20周年ツアーで鮮やかに彩られるのは、改めてすごく嬉しかった。

 

その後もシングルや定番曲が続いた後、ある曲のイントロが流れ始める。

「La tormenta 2004」。嵐のメンバー紹介曲。

いっっっや、もう、何年ぶり!?08年の国立ぶり!!!?みたいな…2010年から嵐コンに行き始めた私は今まで一度も生で聴いたことが無くて、もうここまできたら聴けないもんだと思っていたから、イントロ流れ出した瞬間小さく叫んでしまった。

DVDでしか見たことがなかったこの曲を初めて目の前で見て聴いて、DVDで何度も見たこの楽曲が目の前で繰り広げられていることに、嵐のDVDを何度も何度も見ていた日々が心の中に蘇った。あのころ、映像でしか知らない時代の嵐も、嵐の映像をずっと見ていた嵐だけが自ユニだった頃の私も、全部今に地続きなんだとなんだか点と点が一気に線で繋がれたみたいな感覚になった。

 

今回のツアーは、蓋を開けてみれば9割方がシングル曲、そしてその他は嵐コンの定番曲。1曲を除きそれがほぼ全てだった。

最近嵐の曲踊ってないからいけるかなーー!と私は少しだけ思ってもいたけれど、そんな心配はまったくの杞憂で、気づいたら体が勝手に動いていた。マジで。あの曲もこの曲もその曲も懐かしくて、楽しくて。体が振りもコールも全部覚えていた。

嵐は私の青春だ、と、改めて思った。

嵐にはまった高校時代。私の高校時代のほとんど、私の世界の中心にいたのは嵐だった。嵐が好きで、毎日嵐の曲を聴いて番組を見て。5人でわちゃわちゃしている嵐がかわいくて楽しくて、歌って踊っている姿がかっこよくて、一気に夢中になった。

 

あれから時が経ち、2018年。ここ数年、ジャニーズアイドルは様々なグループが活動にピリオドを打ったり形を変えたりなど、大きな変化があちらこちらで起こっていた。そんな日々を経て、私も「アイドルがそこにいてくれることは当たり前ではない」と痛感したし「○○人でないとこのグループじゃない、うちのグループは人が抜けてないから云々」だなんてこと言えなくなっていた。当たり前などないし、アイドルでいることはひとつの人生の選択にすぎなくて、彼らがその他の選択肢よりもアイドルを選び取り続けてくれるからそこにいてくれているだけなのだと。

だけど。

嵐は、あのころと変わらずに、5人でそこにいた。私が嵐を好きになった頃、当たり前だと思っていた5人のままで、あのころの曲を2018年の今も、20周年を掲げたツアーのドームで歌っていた。

青春がずっとそこにある。今も、そのままの形で走り続けてくれている。それはなんて奇跡なんだろう。

 

20周年イヤーに突入し、20周年ツアーを始めるにあたって嵐は色んなところで20年やってきたことについてインタビューで聞かれていた。そのたびに、5人はなによりも「5人で20年やってきたこと」の大きさについて語っていたように思う。

5人で。1人も欠けずに1人も増えずに、5人のままで20年やる。それがどれだけ奇跡のようなことなのか、今の私には、ほんのわずかならわかるかもしれない。だけどそんなこと、5人が何よりも思ってきたことなんだろうと思う。

今回のセットリストは前述の通り、ほぼシングル曲と定番曲。セットリストだけ見れば、ごくごくスタンダードなアニバーサリーツアーなのだと思う。
だけどそれなのになんで、私はこんなにもコンサートが終わった後呆然として何も言葉にならなくなっているんだろう。

それは多分、嵐を見た人しか、嵐の20年に少しでも参加した人にしかわからないものなんだと思っている。私なんて、本当にわずかにしか嵐の歴史のピースに参加していないけれど、それでも。

二宮さんは、コンサートを「普通の男の子が神格化する瞬間」であると言う。

嵐は、今やほとんどの国民が「知っている」グループだと思う。けれどそれは、バラエティなどで見せる「普通の男の子」の部分だ。嵐に足を踏み入れた人は、彼らの「神格化した瞬間」を見ることになる。そしてそれは、嵐を「知っている」人たちのうち、ほんのわずかでしかないのだ。そしてそうでない人には「楽しかったコンサート」で終わるかもしれないところを、神格化した嵐を知っている人だから、受け取れるものがある。見える景色がある。そういうコンサートなんじゃないかなあと思った。

排他的になるつもりはなくて、私はできることならいろんな人に是非気軽に嵐コンを見てほしいと思っているけど、だけどそれとこれとは別に、文脈とか思い出とかってある程度ファンとしての時間を過ごした人なら絶対的にそれぞれの中にそれぞれのものがあるっていう、そういう話。

 

そして結局のところ、「嵐の20年」に向き合おうとすると、やっぱりこういうセットリストになるんだろうと思う。嵐の20年を3時間で全部描くなんて無理な話で。でも、そんな中で嵐の20年のアニバーサリーツアーです、ってなったらこうなるんだと思う。それは諦念などでは全くなくて、「嵐が積み上げてきた20年」を示すなら解はこうだよなあっていう。潤くんっぽいなあ、と思うし、嵐の20年の解ってこういうことなんだよなあ、って。

 

嵐は花いちもんめのように5人で手を繋いで内側向いてやってきたとよく思われているし自分も少しそう思っていた、と翔さんは最後の挨拶で言った。でも違ったのだと。棒倒しのように、5人で手を繋いで外側を向いていた。ライバルはメンバーじゃなくて外だ。5人で外野と戦ってきた。

相葉さんは、この5人じゃなかったら、1人でも欠けていたら1人でも違うメンバーだったら今ここには立っていなかっただろうという話をした。

 

このコンサートは嵐にしかできないと思った。

「5×5」から「5×10」そして「5×20」の今まで、「5」の数字がずっと変わらなかったこと。

私は、「この○人じゃないと○○じゃない」なんてジャニオタとしてはもう簡単に言えない。だけど、嵐は。それぞれのグループにはそれぞれの在り方があるということを大前提にして。嵐は何度も「この5人じゃないと嵐じゃない」と言ってきた。

これは私のイメージの話でしかないんだけど、色んなグループにはそれぞれの在り方があって、例えばグループの色やプライドがあってそれを旗のように掲げ守り続けているグループ、色や形が変わっていこうとそのグループの名こそを何より守り続けるグループ。そうやって「グループ」という誇りがあってそれを守り続ける人たちがいる。

嵐は、「嵐の人たちがいるからそこに嵐というものが生まれる」のだと思う。5人で外側向いて手を繋いで、その真ん中に嵐って概念があって、だからもしそこから一人でも欠けたら違ったらその形が変わって、真ん中にある「嵐」が違うものになる。うまく説明できてるかわからないけど、私にはそういうイメージにみえている。

 

嵐は今や国民的アイドルで。すごい人気と知名度、たくさんの賞や記録を持っていて。
でもさ、嵐にとって多分、この20年の歩みの中で一番大きいことって「5人で20年やってきた」。それなんだろうなって、インタビューとかでも思ったけどコンサートを見て改めて思った。

嵐が嵐に対してどれだけの感情でいるかなんて、いちファンでしかない私には何百分の一もわからないのだと思う。そして同じものを見てもそれぞれにそれぞれの見方や感じ方がある。それを大前提として。

私が5×20を見て感じたのは、「5×20=5人で20年やってきたということ」彼らにとってどんな思い出よりもどんな賞よりもどんな感傷よりもただただ、一番にそれなのだと。「5×20」であることこそが彼らの何よりの矜持なのだと、そう目の当たりにした気持ちになったのだ。

 

最後の挨拶で、「それぞれタイミングはあると思うけど、嵐に興味を持ってくれて、嵐を応援してくれてこうして3時間一緒に過ごせて…たまんないっすね」と嬉しそうに優しい目で会場中を見渡した潤くんは、「まだ5人で見たい景色があります」と言った。今までありがとう、これからもよろしく、という言葉で挨拶を締めくくった。

「いま、夢の先の未来」――これは翔さんが去年ラップに書いた詞だ。

当たり前なんかない、売れることも売れ続けることも難しいこの時代に、押しも押されぬ「国民的アイドル」の地位に10年以上5人で立ち続けている嵐。沢山のとてつもない景色を見てきていま、夢の先の未来にいる嵐が、まだ5人で見たい景色がある。そう言ってくれること、なんかもう言葉になんないな。潤くんの言葉を借りるなら、たまんないな、って話ですよ。

 

コンサートの本編最後はこのツアーの為に作られた、10周年の際に制作された楽曲「5×10」を踏襲した楽曲「5×20」。

歌詞がもう全体的に、あ~~~~嵐だ~~~~~~って感じなので、早く音源化して何度も聴きたいしツアーに入れなかったけれど今あるいはかつて嵐を愛したことのある人たちに早く聴いて欲しいんですけど、そこでね、嵐は「"5" is my treasure number」って歌うんですよ。そして曲の後半、「皆と一緒に歩いた20年最高だよ」って5人でステージの真ん中にぎゅっと集まって笑う。

20年なんて途方もない時間、たくさんのことがあって。楽しいことだけじゃなくて辛いこと苦しいこと悔しいこと山ほどあったはずで。たまたま集められた5人、いつしかその「5」が宝物になって、5人が5人のままで、この20年を最高だって笑ってくれる。

あーー、今この感情をどう言語化しようかすごく考えたんだけど、やっぱり浮かばないや。感想を言葉にしようとブログを書いているというのになんたる。始まったばかりの20周年イヤーをかけて、探していくしかないかな。

 

「5×20」で閉められた本編の後、アンコール。ファイトソングにエナジーソングという定番曲の後、言わずとしれたラブソー。そしてアンコールの最後に嵐が選んだのは、「Happiness」だった。

知名度抜群盛り上がりも抜群、嵐としてはド定番曲、みんなで笑顔で楽しんで終わろう!っていう意味での選曲ともとれるけど。私が深読みしすぎなのかもしれないけれど、それでもいいんだけど。

20周年ツアーの一番最後に「走り出せ 走り出せ 明日を迎えに行こう」って歌う。聴き慣れきったはずの歌詞が胸に迫る。いつもの曲でも、このツアーで、この位置に置かれたからこそ。

 

終演して規制退場を待っている間座席で「はーーーーー…………」「嵐だったな…………」以外の語彙をなくし、新幹線に乗ってビールを飲みながらぽつり…ぽつり…という静かなポエム合戦をし、なんていうか直後は「楽しかった」とか「最高」とかそういうありふれた一言では感情を片づけられなすぎた。

一夜明けて今日のお昼頃ようやく「…楽しかった、楽しかったな…!?」とようやく楽しいという感情が追い付き、最終的に今思うのは、これもやっぱり単純な一言では片付けられないし全然足りないけれど結局言葉にするとあまりに月並みな「嵐のことが好きだ、大切だ」という話。

 

まだまだ20周年イヤーは始まったばかりだから、まだ言うのは早いかなという気持ちもありつつ。

私は君たちを好きになれて、ほんのわずかでしかないけれど君たちと一緒に夢を見られて幸せだったし、「担当」という看板を下ろしてしまった私が言っていいのか分からないけれど、2018年の今もなお嵐が心から大好きだと言える私であの場所にいられて幸せだ。

 

嵐、今まで本当にありがとう。そして、これからもよろしく!

5×20、おめでとう。

 

*1:東京以外も飛ぶ気はあったのだが、これまで東京でしか当たったことがなかった