新卒派遣社員A.B.C-Z担が「ABC座2016 株式会社応援屋!!」を観て正社員になるまでの話

2016年10月下旬、「ABC座2016 株式会社応援屋!」の私的千秋楽からの帰り道。冬の足音が少しずつ聞こえ始めた夜の日比谷の街を歩きながら、その時が来たらこのタイトルで記事を書こうと決めた。ようやく書ける時が来た。

私的なことすぎるかなとも思うけれど、あの秋の夜の、そして大学卒業を間近に控えた春に複雑な胸中でいたかつての私はこういう記事を読みたかった。なので、あの頃の私のような思いをしている人がもしもこのブログに辿り着いたならという思いも込めて、こうして公開のブログという形で書くことにする。

タイトル通りの話です。

 

 


1.大学四年春:「学生が終わったら後は余生」

卒業式まであと1ヶ月を切った大学4年生の3月初旬、私は新卒就活を「辞めた」。終えたんじゃない、辞めたのだ。一番最後はゼミの教授から教えてもらった求人で、メールで必要書類を送った。そしてお祈りメール*1が来た。私の新卒就活終了。長くてしんどかった一年の終了はとてもあっけない。次に取りかかったのは、派遣サイトの登録だった。

私は真面目に就活をしていたとは到底言えない。他の人に比べたらぜんっぜん努力なんかしてなかった。だけど説明会に行って数十社にエントリーしてそれなりに考えて考えて手書きの履歴書を書いて誤字をしたらイチから書き直して、ごく稀に書類が通ったら面接を受けた。九分九厘書類で落ちた。そして十割一次面接で落ちた。これは誇張じゃなくてマジ。

私は就活があまりにも下手だったし、就活に完全に「向いていなかった」。書類も、面接も、筆記試験も。

勿論それでも血が滲むような努力をして内定を勝ち取っていった人たちは本当にたっくさんいると思う。本当に、本当にすごいと思う。私は努力も中途半端で、甘ったれだった。でも当時の私は私なりにもがいて、精神を病む一歩手前までいきながらずるずると一年近く就活した。秋頃になると駅を歩きながら急に泣きそうになったり、面接の日の朝は軽い吐き気を覚えながら面接会場に行ったりした(そして頭が真っ白になって片言の面接で終わってしばらくその時に使った路線がトラウマになった)。就活しんどかった話ならまだまだできるが、本筋と離れるので以下割愛。

そして就職は決まらず、卒業直前についに諦めた。ちなみに私が卒業した年の就職内定率はおよそ95%。私は「そこからあぶれた5%」側の人間だった。

就職留年や、卒業してからも就活を続けるという選択肢もあったが、私は「まずは派遣でいいから社会に出てみよう」と思って派遣会社にいくつか登録した。二社ほど見学という名の実質的な面接を行い、そのうちの一社から良いお返事を頂けたのでそこで働くことになった。

希望していた事務職、残業ほぼなし。通勤時間が長いことと業種が全く興味が無かった、という点はあったものの、「新卒でたいした武器も無くても採ってもらえるんだなあ」と思ったしありがたいと思った。どうにかなんとなく生きていければそれでいいと思った。

私は、どう考えても私に社会人は向いているとは思えなかった。私の人生は学生以降はもう崖、みたいなイメージ。その先の人生に希望なんて持てなかったし、どうにかなんとなく生きられればいい。「学生が終わったら後は余生」と高校生くらいの時から思っていた。

 


2.新卒派遣社員と「株式会社応援屋!!」


大学を卒業し派遣社員として働き始めた会社はそれほど規模も大きくなく、特に事務方は比較的まったりとしている会社だった。

私の仕事は正社員の事務員さんの補佐だった。簡単な事務作業、残業ほぼなし。募集要項で見た通り。人間関係も良好で、特に関わることの多い自部署の人と総務・経理の人たちはすごく優しくていい人ばかりだった。

社会人になったばかりということで不慣れなことは多々あったが、仕事量が少ないこともあって少し経てばなんとなくできることも増えていった。一日の間で暇な時間は多かったものの、「これで給料が貰えるんだからありがたい話だよな」と思っていた。

しかし仕事をだいたい覚えると、あまりにも暇だった。

最高に暇な日は始業五分で仕事が終わった(書類の処理一件)。後は電話番と、後から発生した仕事をたまにやる。ほぼ無の時間。暇すぎて自主的に資料を整理したり、電話メモをひたすら作ったり、自分がやっている仕事をExcelでマニュアル化したりした

なまじ通勤時間が長いので起きるのが早い上に暇すぎるので眠くなる。なので平日は早く寝て早く起きた。仕事は暇なのにプライベートの時間が少ない…なぜ…と思ったが、平日はいち個人としての私は「生きてない」ものとした。こういう退屈や我慢の対価として給料を貰っていると思うことにした。社会人って、そういうものだと思っていた。

 

部署の人たちはとても優しくて感謝しているし会社自体は今も嫌いではないけれど、しかし数ヶ月経って慣れてくると色々と見えてくるものもあった。

「このやり方はアナログすぎて非効率じゃないか?」「この事務処理のミスは前にもあったけど防げないのか?」「こういう時これが不便だけど改善する方法はないのか?」「この仕事こういうやり方をしてるけど私的にはあんまり納得できないんだけど…」。(ちなみに派遣社員ながら部署の会議にも参加させて貰えたので、こういう疑問や不満をいくつかぶつけてみた。課題としては認識されているようだったけど、必要なコストや技術を考えるとすぐに改善はできなさそう、ということだった)

不満はあっても改善する為の知識も技術も地位もガッツもない私は、そのモヤモヤを燻らせた。家族や同じく社会人の友達と仕事の話になるとそういう愚痴が多くなった。

愚痴を言えばその場はスッキリするけれど、根本的な解決はしていない。そして、そんな風に愚痴ばかり言う自分も本当は好きじゃなかったと、今振り返って思う。

仕事に対するモヤモヤに加え、仕事の簡単さ単調さに「今はいいけど、この先このままでスキルは身につかないのでは?」という焦りも生まれ始めたし、仕事が全然面白くなかった。いや、仕事は面白いものとは限らないと思う。思うけど。

夏を過ぎたあたりで、今まで本社オフィス内のみしか知らなかった私が会社が持っている別の施設を見学しないかという誘いを上司から受けた(別に見学する人たちがいて、そのついでということだった)。現場を知ることで新しい視点も得られて仕事を少しは面白く感じられるようになるかも、と思って見学に行った。――結論。全く、興味を持てなかった。

ここが結構、私にとってでかかった。あっ私本当にこの業界に興味を持てないんだな…とショックを受けた。この先この業界で前向きに働いていくビジョンを持てないと気付かされた。

私は興味のあるものとないものの差が激しい。私のオタク活動を見れば分かる通り、興味があるもの、心がときめくもののためならガンダッシュするけど興味がないものにはとことん食指が動かない。勿論興味が無くても割り切って働けばいいんだけど、前述の色んなことも積み重なっていて、そしてまだ新卒。もしずっとここで働けたとしても、この会社しか知らずに数十年働いていくのか?毎日つまらないと思いながら、なんとなく向上心も興味もなく仕事をして、平日は無の顔をして。正直言ってこの会社が数十年後も安泰かなんて分からない中で、私がこの会社で働き続けて何を得られるか、と考えた時に「もっと他の会社も見た方がいいんじゃないか」と思った。

遠くないうちに辞めて転職したいという気持ちは日に日に強くなっていった。いつ辞めるか、という決心はまだつかないままだったし、新卒就活で箸にも棒にもかからず、正社員歴も無い私が果たしてそんな簡単に次の就職先は見つかるのか?というのも分からなかった。

季節は秋になっていた。


秋といえばA.B.C-Z担にとってはA.B.C-Z座長公演「ABC座」の季節だ。私は例年通り足を運んだ。その時の演目が「ABC座2016 株式会社応援屋!!」。A.B.C-Zが「株式会社応援屋」の社員となり、人々を応援していく物語だ。

まっすぐで泥臭いその物語は、正直なところ私は一度目の観劇でそこまではピンときていなかった。あまりにも前年のABC座「サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム」が好きすぎて引きずりまくっていたのもでかかった。とはいえ勿論好きだったし音楽もあまりにも最高。チケットは既に複数回分とれていたので、週末のたびに日生劇場に足を運んだ。

回を追うごとに応援屋の世界に慣れてきて、どんどんと大好きになっていった。全力で舞台上を駆け回る応援屋の皆が愛しくて仕方なくなっていった。

今年のABC座も良かったなぁ…終わって欲しくない…と思いながらその日も日生劇場に向かい、私にとって最後の四公演目はチケットを譲ってくれたフォロワーさんと一緒に観劇した。開演を待つ間お互いの仕事の話になった。曰く、そのフォロワーさんも転職を考えていて情報収集をしているという。わかりますー!私も転職したいんですよー!私の今の仕事はこうなんですけどー!という話で少し盛り上がって、そして開演時間になった。
その日の公演ももちろん最高で、一番最後のナンバー「サポーターズ!」が終わりに近付いた時、あぁ終わってしまう…聴き納めだ…明日からまた仕事だ…はー今年はどうかDVDになってほしい…と心底願った。ステージ上のみんなの「A!B!C!からのZ!」に込められたパワーに心が満たされていく。

そして一番最後。緞帳が下りる直前、戸塚くんが叫ぶ。


「皆さんのこと、応援してますよー!!!!!!!!」


そのシャウトが耳に届いた時。あ、転職しよう、と思った。

驚くほど心に直で響いて、すとんと腹が決まった。

 

このABC座が千秋楽を迎えたら、派遣会社に辞めると言おう。そうこの時に決めた。
舞台上での言葉はリップサービスと捉える人もいるかもしれない。そういう場合もあると思うしそれを否定するものでもない。しかし、この戸塚くんのシャウトは、きっと戸塚くんの心からの本心だ。そう信じるに足るものだった。曲がりなりにもこの時点で三年超彼らを見てきた。彼らが本気の人たちだって知ってる。いつでも全力で、心から優しくて、ファンに対して真剣に向き合ってくれる人たちだって知ってるつもりだ。

戸塚くんは特に「愛」の人だ。

戸塚くんは本気だ。本気で我々を「応援」してくれている。私たちの日々を、人生を、応援してくれる。

そのままでもなんとなく生きていくことはできたかもしれない人生を、もっといい方に変えるために挑んでみようか。そう決断するに足る、頼もしくて愛に溢れた「応援」だった。

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今や大切な、思い入れの深い舞台となった応援屋。

(ちなみにこの一年後、戸塚くんが構成を考えたコンサート・55ツアーにて一番最後に我々を応援するナンバー、前述のABC座2016の最後にも歌われた「サポーターズ!」を入れてきた。愛するアイドルを応援していたらこんなに応援されていたなんてことある?私は初日の大阪城ホール、あのイントロに気付いた瞬間A.B.C-Zの愛の深さに衝撃を受けその場で崩れ落ちかけたよ)

 

 

3.転職活動の始まりと「私の人生とは?」

 

ABC座が千秋楽を迎えた後、私は派遣会社に辞意を伝えた。今すぐにという訳ではないが、派遣先の会社と折り合いのつくタイミングでということで、最終的に翌春に契約を終了することになった。

(ちなみに私のフォロワーさんで、知ってる限りでこの応援屋をきっかけに転職した人が私含め3人いる。応援屋のちからすごい)

そして本格的に転職活動を始めることにした。最終目標は正社員、できれば最初から正社員で入りたいがどうしても難しければ契約社員や紹介予定派遣、それでもダメなら一般派遣でまず経験を積むという形にしようと思った。

※注釈を入れておくと、正社員だけが正義だとは思わない。非正規やその他の働き方が悪いと言いたいわけじゃない。あまり社員に優しくない会社の正社員よりも、福利厚生が手厚い会社の非正規の方が給料も精神衛生的にもいいということはざらにあると思う(だからこそ私は最初非正規を選んだ)。それに正社員よりも非正規の方が自分に合っているという人だっていると思う(だからこそ略)。

ただ、私は元々正社員を目指して就職活動をしていたし、今後一人の人間として生きていくにあたって、私の人生を考えた時に安定性や収入、スキルアップやキャリアを考えて、「正社員になれるならそれに越したことはない」と思ったので、まずは正社員を目指すことにした。合わなかったらその時に考える。


まずは何社か転職エージェントに登録して、できれば正社員難しければ契約社員、ということで色々条件を伝えて仕事を紹介して貰うことにした。新卒から派遣で正社員経験なしということで難しいかと思ったが、選考を通過できるかは別問題として紹介して貰える仕事自体は山ほどあった。

(転職エージェントを通じての転職活動は、履歴書等々必要書類は登録時にWebベースで入れたものを送るので新たに作成する必要はほぼなし、日程調整等もシステムやエージェントさんを介して行うので楽すぎて衝撃を受けた。新卒就活…とは…???)

大量に応募して大量に書類で落ちつつ何件かは面接まで進める、という転職活動を行いながらこれまで通り働いていた。ある日、私は仕事で使う備品を借りる為に総務部を訪れた。総務部長のおばさまと挨拶を交わしてちょっと雑談をしている中でこんなことを言われた。

「(私)さんさえよければ正社員になってもいいんだからね」

そういう風に思ってくれていたのは心から嬉しくありがたかった。私はありがとうございます、と笑って返したけれど、首肯はしなかった。

さらにありがたいことに、部署の飲み会の中で既に私が退職予定と知っている次長と課長にも次の就職先が決まるまでいても全然いいんだよー」と言って貰えた。内定ゼロで卒業、マジで新卒で右も左も分からず社会人適正ゼロの使えねえ人材だと自分のことを思っていたので、数ヶ月経ってそう言って貰えるのはめちゃくちゃありがたいことだった。

他にも、この頃になると自部署内外から(部署内外と言うとでかく聞こえるが小さな会社だったので…)私の仕事を褒めて頂けることが多かった。びっくりした。不慣れなことだらけで使えねえと思われてると思っ略。嬉しかった。

働き始めてすぐの頃だったらこの話をちょっと真剣に考えていたかもしれない。まあお金貰えるしなんとなく生きていけるし人間関係もいいし、案外仕事も認めて貰えているみたいだし、個人的な仕事のやりがい的なものなんて諦めて納得できない部分にはそっと目を瞑って淡々と働くのも悪くないかと。だけどここで働き続けるつもりも正社員になるつもりももうこの時点でなかった。

 

前述の通り、私は「学生が終わったら後は余生」だと思っていた。

私は物心ついた頃から漫画アニメゲーム大好き、そのまま当然のようにオタクになった。好きなものを楽しめればそれでいい。物語の中のキャラクターの人生に一喜一憂することはあっても、私自身の人生への関心はどんどん薄くなっていった。年々世間の広さを知って自分は平々凡々またはそれ以下の能力しかないことに気付かされていったこともあるだろう。高校生でジャニオタになってもしばらくはその延長線上で、彼らの活躍に明日からまた頑張って生きよう(泣)と元気を貰うことは多々あっても、最終的に長い目で見た人生で言えば「どうにかこうにか生きて、私の人生は別にいいから、オタクとして楽しく生きられたらそれでいい」という気持ちだった。彼らの輝きと私の人生は別の線の上にあって、コンテンツとして楽しませて貰うという、そういう楽しみ方だった。そして社会人適性ゼロ(っていうか、人間適性ゼロ)だと年々気付いていったので尚更、社会人以降の自分の人生に期待なんてなかった。

A.B.C-Zに出会った時も最初はそうだった。私は当時大学生だった。

そのままの人生観だったら、「なんとなく生きてられりゃいい」だったら、別に仕事変えなくてもまた頑張らなくてもそのままぬるっと社員になって、通勤時間辛いなら会社の近くに家借りて、平日はどうにか我慢して、細々と生活していけばよかったんじゃない?と思う。だけど私はそれを選ばなかった。

いつからだろうか?考えてみたけど、この年くらいからなんじゃないかと思う。

A.B.C-Zが大好きでただ追いかけていた。それを楽しめていればそれでよかった、はずだったけど、この頃から「A.B.C-Zのファンとして胸を張れる自分になりたい」という気持ちが芽生えてきた。

あたたかくて優しくて眩しい、いつでも楽しみながら全力で頑張る彼らに恥じないファンになりたいと思った。

「オタクとしてコンテンツを楽しめれば、それを応援していければ、自分の人生は別にいいや」と二十数年の人生の中で結論づけていたはずの私が、「A.B.C-Zのファンとして胸を張れる自分になりたい」と思ったのだ。コンテンツと消費者」という、対象と私を明確に違う世界線に置いていたはずの私のオタク人生。そのはずだったのに、A.B.C-Zは私の人生そのものを光の差す方に引っ張っていってくれた。もうね私のオタク人生の地殻変動。彼らにはそれほどの引力とファンに寄り添う優しさ、人を全力で「応援」するパワーがあった。少なくとも私にとっては。

 


4.二度目の派遣社員へ、そして私の「強み」

 

応募先は沢山あったものの正社員の壁はやはりあるようで、退職日までに次の就職先を見つけることはできなかった。無職で転職活動を続けながら、「いきなり正社員はやっぱり厳しいだろうか」と思ってエージェントでは契約社員の比重も増やしつつ、派遣サイトでも探す。それなりに面接に行って、契約社員前提の紹介予定派遣の話が決まりかけるがサイレント自然消滅(やっぱりもうちょっと社内で検討していい?と言われその後連絡がなかった)したりしながら、転職活動をしていた。一応は実務経験があるので、それに基づいて自分はこんなことやりましたこれができます、と話せるのはだいぶ楽だった。新卒就活に比べて!ムチャクチャに!気が楽だった!!!!!!新卒就活とは!!!!!(二回目)

なんやかんや活動しつつも決め手に欠け、しばらく経つと貯金残高の減りがじわじわ見え始め(無職でも現場は常にやってくる、えび担年中現場ある)「経験が積めそうなら一般派遣も辞さない」の比率が高くなっていった。まだ一社しか経験してないので世間を知る、スキルを身につける、そして履歴書に書ける内容を増やせたらまぁ経験値になるよなと思った。

いつものように派遣会社の方から電話が来て何件か紹介してもらう。一社目、二社目も話を聞いて条件や仕事内容などあまり気が進まなかったため流す。しかしこのところ断ってばかりだな…と申し訳なくなってきた三社目、こちらも話を聞いただけではあまりピンとはこなかったが、条件等々決して悪くはなかった。むしろ良かった。「断ってばっかで申し訳ないし、とりあえず行ってみるか」という気持ちで応募してみることにした

 

当日、会社に足を踏み入れる。オフィス、綺麗。打ち合わせスペースも綺麗。面談を担当してくれた募集先部署の人も物腰柔らかで話しやすく、「前職ではこんなことやりました、パソコンスキルはこんな感じです」と話すと「これができるならうちの部署ではこの仕事とかいいかもねー」と就業前提で具体的な話をしてくれたのも印象的だった。半分派遣会社の方に気を遣って来たはずの会社、面談終了時点で私の好感度爆高。ここで働けたらいいなー、と素直に思った。しかし「こんなちゃんとしてるとこ私が受かるはずないやろ…世間の広さを知れたという経験だけで十分いい土産だった…」と思いながら帰った。

数日後、昼飯のカレーを食べた後携帯を見ると派遣会社から電話が来ていた。慌てて折り返す。件の会社からぜひ働いて欲しいという返事が来たという連絡だった。マジかよ???????

半信半疑ながら私も快諾し、数週間後からそこで働くことになった。そこの募集は一般派遣で明確にその先の道が用意されているわけじゃなかったが、直接雇用とかに繋がらなくても経験値になりそうだからそれで十分だと思った。
かくして私は二度目の派遣社員となることになった。


就業初日、色々な事務手続きに追われながら社内のことを教わりつつ、昼過ぎに様子を見に来た派遣会社の担当お姉さんと軽く面談をする。曰く、紹介予定派遣という枠組みで募集はしていないが、この会社は派遣から契約社員、最終的に正社員になる可能性もあるのだという。そうなれたらいいですねー、頑張りましょうねー、と話した。

ちなみに本格的に仕事が始まって、仕事の流れを教わると、前の会社で「こうだったらいいのに、こうしたほうが効率的なのに」と思っていたことがほぼほぼこの会社では解決していることに気づき衝撃を受けた。実現してる会社が見事にあった…世界って…広いんだな…って思った…。

とにかく社会人経験が浅いのでメモとりまくってどうにかこうにか仕事をこなした。少し覚えてきた頃に、「仕事早っ!?」とか、「資料すごい綺麗!」と驚かれることが増えた。え、そうなの!!!????

しかし仕事を教えてくれる先輩はめちゃくちゃ優しいので、ありがたく受け取りながらリップサービスも入っているんだろうと思っていた。しばらくしたら課長と定期の面談があった。ダメ出しされるんかな~~~ぴえ~~~契約切られませんように~~~と思いながら打ち合わせスペースに行くと「(私)さんはこの仕事向いてると思う」と言われた。え、マジです????????

思い出して下さい。私、全国で5%の枠に入った見事な無い内定すよ。どの会社にも箸にも棒にもかからなかった社会不適合者ですよ。

 

私はできることとできないことの差がめちゃくちゃ激しい。話すのが無理自分をアピールするのが無理。人とコミュニケーションを取ることへのストレスが超絶でかい。だけど、私は自分で言うのもなんだが真面目と評価されることが多いし(実情は真面目に見られやすい「だけ」の部分も多いし、いわゆる「真面目系クズ」に近いが…)、こうしてキーボードを叩いて文章を書いたり、資料やデータをまとめたりすることは好きだし得意だった。大学時代は長文はてなブログを書いたりジャニオタ的データ分析をしたり自ユニをTwitterでダイレクマーケティングしたりすることに明け暮れていた。

考えてみれば昔からそうだった。小学生の頃から人見知りは酷かったけれど、ノートをまとめるのは得意で「こういうノートのまとめ方をしましょう」みたいな感じで何人か教室の後ろにコピーを掲示されたうちの一人だった。地味で目立たないが授業は真面目に受ける方だったし、内申的な部分の評価はよかったと思う。大学受験の推薦枠も第一志望の希望学部でばっちりとれた。大学のゼミでは意見を書記的にとりまとめていたし、レジュメはいつも見やすいと褒められた。ジャニオタになってからはジャニーズビッグデータを探求するのが好きで、より効率的に調査・集計する方法はないか?絶対あるはずじゃないか?と関数やショートカットキーを独学で探し出して効率を上げるのが楽しかった。自担グループが好きすぎるあまりダイマシートを作っては「何をどうアピールすれば面白がってもらえるか?どうレイアウトすれば見やすく効果的に希求できるか?」と考えていた。

どれも就活では取り立ててアピールポイントにならなかった、あるいはなるとも思わなかったものだ。自己PRで書いたとしたって、真面目とか効率を上げたとかそんなん書く人掃いて捨てるほどいる。エピソードにあっと言わせる説得力がなければ、アピールポイントしてありふれすぎている。前述の通り、私は新卒就活を九分九厘書類で落ちているし、私は社会人に向いていないと思っていた。いやそれは今でも思っている。私は世の中のほとんどの会社に向いていないと思う。本気で。


だけどなんと奇跡的なことに、この会社の仕事が「私の得意なこと」にハマった。こんなことあるのか。

勿論全ての業務ではない。一部ではある。だけどその一部の業務というニッチな部分に私の得意分野がハマった。びっくりした。就活では大手から中小までどの会社にもぜんっっぜん見向きもされなかった強みが生かされる仕事があった。仕事に何の役にも立たないと思っていた、趣味ロードを爆走して培ったスキルが回り回って仕事で生きた。
えっ……そんなことある……???びっくりした。

世の中、何が自分の武器になるかわからない。

ある場所では誰も武器として見てくれなかったとしても、武器として扱ってくれる場所が世界のどこかにあるかもしれない。

 

 

5.契約社員とGwZ、からの

 

仕事に慣れてきた頃、課長から契約社員にならないかと言われた。私はその話を受けて契約社員になることになった。初めての!直接雇用!です!派遣会社の担当お姉さんもとても喜んでくれた。

ここまでだいぶトントン拍子できたので、正社員もトントン拍子に――というところまではさすがに甘くはない。正社員になるまでにはそれなりに条件があって、「上司の一存でなれます!」というようなものではなかった。まあ、みんなめちゃくちゃ頑張って新卒採用試験受けて晴れて正社員になってるわけなのでそれに異論は全くなかった。

かくして、次のフェーズは契約社員から正社員を目指すというところになった。すぐになれるとも思っていなかったけど、この会社も仕事も好きだったし元々正社員を目指して転職活動を始めたわけなので、正社員を目指さない理由もなかった(どうしてもなれなさそうだったらまたその時に人生を考えようと思った)。なれたらいいけどなー、将来的にはねー、と思いながら挑んでみることにした。

 

時が経ち、ようやく条件が整って受験できた一度目の登用試験は落ちた。最初は記念受験のようなつもりだったのでま~そんなに甘くないよな!という予想の範疇だったが、私よりも同じ部署の人たちが残念がってくれたことにびっくりした。ありがたかった。
この頃になるともうだいぶ仕事にも契約社員という立ち位置にも慣れてきていた。仕事もそれなりに頑張りながら、オタク活動も超謳歌していた。良くも悪くも慣れてきていた。

 

2019年8月。私は浮かれていた。なんたって!待ちに待ったA.B.C-Zのコンサートツアー「Going with Zepher」が明日から始まるんだから!!!!!私は初日二公演のチケットをばっちり持っていた。明日は朝から会場の幕張に行くから、前日のうちにATMでグッズ代をおろしておかなければ。どうせほとんど買うんだからなハッハッハと思いながらコンビニのATMで現金を引き出そうとして、預金残高を見た。

思ってたよりめちゃくちゃ少なくて引いた。

え…こんなに少なかったっけ????怖い。とりあえず必要な金額を引き出して原因を考える。

要因は普段の節約意識のなさと、とにかく数が多いA.B.C-Zの現場は個人のものも少なくとも一回はほとんど足を運び時には多ステし(コンサートは毎年多ステ)、愛するジョイポリ×A.B.C-Zコラボに通い詰め、リリースの度に全形態購入は勿論お布施!!と言って複数枚買い足すことを繰り返し、コンサートがあれば軽率に遠征をしていたからである。ちなみにGwZツアーでは初めての広島への遠征を控えていた。(そして結論としては旅費は高かったけど広島本当に本当に楽しかったので絶対また行きたい)

毎月給料が入っているはずなのにさすがに貯金が減り続けるのはヤバい。生活費を今一度見直して節約意識を高めよう。そして……ちょっとオタ活に出せる出費を考え直さないとまずい。

私は落ち込んだ。私の考えなしの出費に大反省した情けなくなったと同時に、「これまでのようなオタク活動は控えないと生活がヤバい」ということに凹んだ。これまでのようにA.B.C-Zをはじめ好きなアイドルたちにいやっほーーー!とお金をつぎ込めない、遠征ももっと絞らないといけない、ジョイポリももう少し減らして…。仕方ない。身の丈に合ったオタク活動こそ息の長いオタク活動に不可欠だ。破綻しては元も子もない。ほんとに!!ほんとにな!!!!そう頭では分かっているけど、お金を払いたいものに払えないのはとても寂しい気持ちになった。

 

内心凹みながらも迎えた初日。グッズデザインも最高、そして開演1曲目からかっこいい曲でキメてきて大人の色気大爆発オシャレかっこいいそして楽しい、優しくて頼もしい。最高。A.B.C-Z新境地に私のテンションは言うまでもなくブチ上げ。A.B.C-Z最高すぎない?え?自ユニ最高なんですけど…好きすぎるが…………(GwZ、DVD&BD出てますよかったら見てね:A.B.C-Z Concert Tour 2019 Going with Zephyr[Blu-ray初回限定盤]

昼公演最高すぎて頭ぐわんぐわんしながらフォロワーさんと合流し夜公演へ。幕張2日目のチケットはとっていなかったのでこの次であり私的ラスト公演は翌週の広島だ。噛みしめながら夜公演を全力で楽しむ。

コンサートではMCの途中で何人か交代でハケて衣装替えタイムになるのは多くのグループであると思うが、GwZでは誰が残って誰が衣装替えに行くかの班をグッパーで決めていた。その回は1:4で分かれ、4人が衣装替えをしている時五関さん一人MCタイムとなった。本人は最初こそ不安げだったが、もうそこからはスーパー五関様タイム。青に染まるペンライトの海。五関さんの一挙一動で阿鼻叫喚する客席。さながら宗教。(最高)

青いペンライトの海の中でどこか芝居がかった口調の中、五関さんが語り出した。

 

「みんなに聞きたいんだけどさーぁ?今年個人舞台も色々あったし、俺もこの間まで奇子やってたし、コンサートもあって、このあとえび座もあるわけじゃん?正直言って、みんなお金ないっしょ?(笑)
生活費切り詰めて切り詰めて、そうやって回数重ねて来てくれるわけでしょ?だからさぁ…、来てくれたからには、その分楽しませるし、後悔させないよ!ってこと!!*2

 

あまりにタイムリー。頭を殴られた気がした、いい意味で。青い光のうねりの中私も青色に灯したペンライトを全力で振った。

そしてコンサートの終盤、あたたかく優しい応援歌「幸あれ」を情感込めて歌う5人に胸がいっぱいになった。からの一番最後、アッパーなダンスナンバー「FORTUNE」。あんなに歌って踊って踊って新体操してアクロバットして、一番最後の曲まで彼らは全力で踊る。眩いほどの色とりどりの照明や紙吹雪に包まれる彼らの輝き、力強さ、頼もしさに「やっぱり私はこの人たちが大好きだ」と思った。

「もう今までのようなオタ活できないかも。。。ぴぇん。。。。」と思っていた昨夜の私に心の中でちゃぶ台を返す。「こんな弱音言ってる場合じゃねぇ私は全力でA.B.C-Zのオタクをやりてぇんだ」とオタクとしての気をとりなおした(正気を再び失うとも言う)。

しかし勿論金銭的な無茶はできない。まずは生活費を見直し日常的な無駄な出費を減らす。オタクとしてのお金のかけ方もひどい部分はちゃんと見直して、給料の範囲内でやっていけるように調整する

これで当座の対策はオッケー。そして、長期的に考えて、使いたいお金が足りないなら給料を増やせばいい。

契約社員のうちは恐らく給料はほぼほぼ上がらない。そこまで偉くなりたいという気持ちは無いけれど、もっと自由に使えるお金を増やしたかった。そして、正社員になれば自分の仕事の出来次第で上がる余地はいくらだってある。

彼らのステージを見て、改めて彼らが好きだし私ももっとちゃんと生きよう、「彼らのファンとして胸を張れるようになろう」と改めて思えたし、これはのんびりだらだらやってても仕方ないな、と気合いを入れ直した。

日々の仕事の中で正社員登用の査定に関わってくるポイントもいくらかあるんだけど、忙しさにかまけてそれを結構後回しにしてしまっていた。「他にもやらなきゃいけないこと沢山あるしなぁ、まー私なんぞまだ受からんだろうし…」とどこかで言い訳をしていたけれど、これまで私がやっていた仕事も回しながらそっちにもちゃんと意識を向けるようになった。それを積み重ねながらまた日々が巡っていった。

 

その年の秋。舞台「ABC座2016 株式会社 応援屋!!」が「オレたち応援屋!!」に名前を変えて、応援屋というモチーフを残して大胆にリメイクして2020年に映画化されることが発表された。

 

そして迎えた翌年、2020年応援屋イヤー。世界は想像だにしていなかった形となり、私の仕事も登用試験もイレギュラーな部分は多々あった。

登用試験も例外ではなく、イレギュラーな部分は多かったがしかし一応は執り行われた。多分今年は、日々の仕事ぶりについての評価の比重が高くなっていたと思う。私も必要書類を提出し試験を受けて結果を待った。

 

そして先日結果が届き、正社員登用試験に無事合格した。

なんという巡り合わせか、舞台「株式会社 応援屋!!」から始まったこの道のりは、映画「オレたち応援屋!!」の公開年に無事に着地することとなった。

 

 

6.おわりに

 

いやなんかここまで長文書いておいて肝心の正社員なりました!って部分がだいぶあっさりなんだけど、細かい状況とか選考の内容とかはさすがに誰でも見られるインターネットに書くのはアレなので、こういう感じになってしまったんですけどご容赦ください。ご容赦されたい。

インターネットでは謙遜するもの、というものが染みついてるインターネットに長いこと住んでるオタクなんだけどこんな記事くらいではちょっと謙遜ラインを緩めてもいいだろうか。正社員登用が決まって、社内の人から何人もお祝いのお言葉や日々の仕事のお褒めの言葉を頂いた。なんかもうほんとそんなに…そんなに評価頂いていいんですか?みなさん優しすぎないですか?私ですけど大丈夫ですか??(??)ってこっちが恐縮してしまうくらいだったんだけど、自己評価よりも案外私の強みは結構強みなのかもしれない、と今回ばかりはちょっと受け取ってみようと思う。


自分語り記事なのにどうしていつものごとくこんなに長く…。自分ごとすぎてアップするのもかなり迷ったんですけど、でも一番最初に書いた通り、かつての私はきっとこういう記事を読みたかった。

だからもし私みたいな人、就活が向いてなさすぎてしんどい、就活に失敗した、私は社会に向いていない…と思っている人が万一この記事に辿り着いた時に、こういうケースもあるんだなって思って貰えたら嬉しい。

 

就活ってやっぱり向き不向きが強いものなんだと思っている。だけど社会人経験が無いとその就活こそが大きな「社会」への窓口だから、「就活がうまくいかない=社会人になれるような能力がない」と思い込んでしまいがちだ。

だけど就活にも向き不向きがあるし、仕事にも業種や職種、仕事内容、そして会社ごとに向き不向きがめちゃくちゃある。私はたまたま本当に運がいいことに、私の性質や能力と相性のいい会社に派遣という形で入ることができた。実際に働くことで、面接では全ては見えないそして私自身も自覚していなかった実務的な部分での強みが見えた。
私は就活、面接とは相性最っっっ悪だったけど、この会社の実務への相性は良かったようだった。

そういうことだってあるのだ。

ここまで書いておいてなんだけど、私は昔からはちゃめちゃに運がいいタイプだと思っている。人生において重要な局面にとてもいい巡り合わせがあることが多い。今の会社への就業もそうだし、大学進学の時も、引っ越しの時も、びっくりするほど運が良かった。

私みたいなケースがあるからみんな大丈夫だよ!なんとかなるよ!なんてことは無責任に言えない。最初の就職で躓いてそこから抜け出せずに苦しんでいる人も沢山いる。本当に、ちゃんと然るべき時に頑張っていいスタートを切るのに越したことはない。
だけど。だけど!!!!「就活失敗したら100%人生オワコン」なんてことないし、「最初の会社に3年勤めないと就職先がない」ということはないし、「就活がうまくいかないから私が働ける会社なんてこの世の中に無い」というわけじゃない。「仕事は我慢によって対価を貰うもの」のような形が全てとは限らないし、「社会に出たら趣味のこと何もできない」というわけでもなかった。

新卒から派遣で社会に出ようと思った時にめちゃめちゃ「新卒派遣」って検索した。新卒派遣もアリだよ、って書いてる記事もあれば、新卒から派遣はやめとけ抜け出せなくなる、って書いてる記事もあった。勿論リスクはそれなりにある。

でも世の中に100%の事象はない。100%うまくいくということはないし、逆に言えば100%うまくいかないなんてことはないんだ。

いわゆる「就活負け組」の5%だった私が時間がかかったけど納得のいく形で、というか本当に恵まれすぎているくらいの形で正社員への切符を勝ち取った。しかし、レアケースかもしれないけど、こういうケースもある。私が!!!!証明だ!!!!!!!!!!

 

さてもう一度起点に戻ろうか。

「学生が終わったら後は余生」

→そんなことはなかった。学生時代よりも圧倒的に金銭面も含めて自由がきくので(ただし昨夏の私のようにはなるな)、趣味がもっと楽しくなった。

「大人、楽しいよ!」って言えるようになるのがいつからか私の大人としての目標になった。うん、今は結構言えるかなあ。少なくとも、意外と悪くないもんだよ。余生ではない私の人生はまだまだ続いていく。

A.B.C-Zのファンとして胸を張れる自分になりたい」

→それはまだまだこれから次第。これから次第だけど、学生時代、前職の時よりも圧倒的に今の自分の方がいいなって思う。仕事の話するときも愚痴は相当に減って、ポジティブなことの方がめちゃくちゃ多くなった。

今の会社で初めて有給休暇をとってA.B.C-Zのコンサートに行った時は嬉しかったなあ。応援屋に背中を押されて仕事を変えた私が、ちゃんと納得のいくところで働いて有給を行使してA.B.C-Zに会いに来られた。接触のあるイベントでもなんでもなかったしいつもの塚田くんのうちわしか持ってなかったから彼らに何かを伝えられたわけではなかったけど一人で勝手に嬉しかった。

転職を決めたあの日の帰り道の私と比べたらずっと、だいぶ、胸を張れるようになったと思います。

今はこんなご時世で次にいつ5人に会えるかは分からないけど、その時まで日々をどうにか頑張って少しずつでも前進して、次に会える時にはもっと胸を張って会える自分になれるようにしたいね!河合くんも昨日よりも今日がもっと良くなるようにって言ってるしね!えいえいおー(とか自分の人生に対して前向きなことを言えるようになったのもほんとA.B.C-Zの力ですね)

 

A.B.C-Zって本当に不思議なほどあったかい力がある人たちだ。それは彼らが、その人に寄り添おうとしてくれる優しさがあって、いつでも全力で、時に迷ったり転んだりしても前を向いて楽しみながら走り続けて。

彼らには「応援」という言葉がとても似合う、ということに「応援屋!!」の上演以降気付かされた。今ではものすごく腑に落ちるような気持ちだ。2016年に彼らが突然冠した「応援屋」、いち舞台作品だったそれがこうして今も広がっている。「応援」と言う言葉は彼らの代名詞のようにさえなっていくかもしれない、と今は思う。優しくてあたたかくて力強い彼らの持つパワーはきっと色んな人たちを笑顔にして前向きにできるものだから。

 

この記事を書きながら、「なぜ正社員になることがおめでたいのか?」「私は正社員登用の辞令を受けて何を得たのか?」と考えていた。前述の通り、「正社員だけが正解」なんかじゃないこの世の中で。(私は「常識」「普通」(これはカッコつきの「常識」「普通」です)というレールを妄信することが好きじゃないので尚更)

社会的地位?安定?給料?勿論それも要素としてはある。(具体的に年収がどのくらい増えるのかまだ分かっていないが特にお金は助かる…オタクなので…)だけどそれだけでは説明に足らない気がした。

私は大学卒業以降数年、特に卒業して間もない頃は就活へのトラウマとかコンプレックスがあった。初々しいリクルートスーツの子たちを見てはぎゅっと心がしんどくなったり、同世代の人たちの就活終了エントリを読んだり同年に卒業した人たちが社会で活躍していたりするのを見て心のどこかでなんともいえない感情が生まれたり。……っていうことを「思い出した」。そう、私はいつからかその感情をほとんど思い出さなくなっていたのだ。(現在の新卒就活システムについて思うことは色々と、色々とあることは変わりないが)

トラウマやコンプレックスを脱却できていたことに気が付いた。

「正社員になる」それそのものが私にとって最大の価値なのではなく、それはひとつのわかりやすい「結果」で。

「あの時うまくいかなかった」ことは変わらないけど、でももう負の感情が呼び起こされないのは、それが自己の否定に繋がらなくなったからかな。「正社員になる」と掲げた目標、大学生時代に叶わなかったことを達成できたということ、そしてそこにたどり着くまでの日々によって今の自分はそれなりに気に入っていると思える(=「A.B.C-Zのファンとして胸を張れる自分に近づけた」)っていうことなのかもしれない。

それがあの日から今日までの、「正社員になる」という結果、目標の達成に辿りつくまで、で得られたもの、なのかもしれなかった。

 

この長い長い文章を読んでくれてありがとうございました。

自分の人生がどうでもよかったある一人のジャニオタA.B.C-Z担が、A.B.C-Zに「応援」されてそこから抜け出して正社員になるまでの物語、でした!

 

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oenya-movie.com
A.B.C-Z主演映画「オレたち応援屋!!」2020年秋公開です。
(4年前から練っていたこの記事が応援屋映画の宣伝記事のようになるとは夢にも思っていなかった。本望です

*1:「今後のご活躍をお祈りします」的な、端的に言うと不採用通知

*2:この部分、DVDのMC集に入ってたはずなんですけど今人に貸してて手元に無いので正確な文言はぜひDVDで