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極彩色

語りたがり考察したがり、めんどくさいじゃにーずをたく

ABC座2015第一幕「サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム」考察

本日・10月23日で私のABC座2015が終わりました。何度でも見たい舞台だった。叶うならもっともっと観劇したかったけれど、ものごとには終わりもあるし私の財布の中身も無尽蔵ではないので、思い残すことはないです。最高の秋だった!!!!!

 

さて、今年のえび座観劇が全て終わったので、今年のえび座1幕についての考察を少ししてみたいと思います。

ネタバレだらけなので、まだ観劇されていない方、ネタバレを見たくない方はご注意ください。

 

今年のえび座の一幕は「サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム」と題された演劇。少年隊の錦織さんが演出をしています。

トーリーは、売れない5人組バンド「プラネッツ」がひょんなことをきっかけに2015年の現代から1966年のビートルズの時代にタイムスリップしてしまう。そこで五郎さんという元バンドマンの男性に出会い、プラネッツはバンドとして再スタートし成長していく…というものです。

仕込まれた60年代小ネタを楽しむもよし、錦織節の効いたセリフとテンポに身を任せるもよし。さらっと楽しくも見られる作品になっている一幕ですが、この物語には数々の謎や伏線ととれるものが隠されています。

その中でも最大の謎と言っていいものとして存在するのが、五郎さんの解散したバンドも、今回の主役である5人組バンドと同じ「プラネッツ」であったということ。ご丁寧にステッカーのロゴまで同じだといいます。

 

私はこの物語を、「プラネッツという新人バンドがABC座のステージを借りて一幕を"演じている"劇中劇」であり、「五郎さんによる"If"の物語」であると解釈しました。

 

(1)劇中劇としての「サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム」

私がこの一幕を劇中劇であると仮定した理由は主に三つあります。

一つ目はOPでSmiling Againを歌った後のA.B.C-Zの会話。

二つ目はマーキュリーが事故で亡くなるという展開とその後の話の流れのある種のチープさというか、急展開かつ突然ファンタジックな要素が入ってきた点。

三つめはマーキュリーが生き返った後にスクリーンに映し出される写真たち。

二つ目と三つ目については後述します。

 

一つ目の理由についてなんですが、これはA.B.C-Zがはっきり言っています。「一幕、A.B.C-Zは出ません!」「プラネッツという新人バンドがどうしてもって言うから…お金の方も貰ってますし」「ちゃんとストーリーも作ってきたみたいですよ」「あいつらすぐ調子に乗るから、素直な反応でいいですよ」「プラネッツも(A.B.C-Zと同じで)この日生劇場がデビュー公演になるんだよね!」と。

また何日かは、二幕のMCだったと思うんですけど、プラネッツが調子に乗ってるエピソードとして「挨拶が適当」「喧嘩ばっかり」といったようなエピソードが語られたり、一幕のことを話すときは必ず「俺一幕見てたんだけど」と言ったり、プラネッツメンバーに関する指摘が出ると「マーキュリーに伝えときます」だとかって言い方をする。

これらのことから、ABC座の中で「プラネッツ」と「A.B.C-Z」は徹底的に区別されていることが分かります。悪ノリのレベルというよりは、意識的に徹底されている印象を受けます。

そこまで徹底するというのは、A.B.C-Zとプラネッツの人格を切り離して構造を単純化し、「プラネッツが一幕のプラネッツを演じる」という設定をより分かりやすくするためなのではないかと考えます。まぁ、単純にOPのA.B.C-Zの話を素直にとればそのまま「プラネッツによる劇中劇」という構図に至るわけですが。笑

 

(2)五郎さんによる"If"としての「サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム」

さて、先程の話は一旦忘れて。ジャニーズ舞台といえば演者の本名(もしくは芸名)と役名が一致していることが殆どです。今回のABC座も例に漏れず、プラネッツのメンバーの名前は「リョウスケ」「ショウタ」「フミト」「コウイチ」「リョウイチ」、ジャニーズではない蔵下穂波さんも、人間役として出るときは「ホナミ」として出ています。

そんな中で一人、演者の名前とは違う名前の役の人がいます。曾我泰久さん演じる、黒坂五郎さん。

五郎さんはプラネッツと組んで、プラネッツを育て、マネージャーとして彼らを見守ってきた本作品のキーマンです。けれど、彼の存在にはもっと重大な意味がある気がしてなりません。

何故なら、彼が言う「解散した五郎さんのバンドであるプラネッツ」と「2015年の青年たちによる新人バンドプラネッツ」にはあまりに共通点が多すぎる。グループ名も、ロゴも、下らない事でいつも喧嘩していたことも、そして仲間が(一度)亡くなったことも。

 

私は、五郎さん=サターンであり、亡くなった酒屋の息子=マーキュリーであると考えます。

もっと丁寧に言うと、五郎さん=「フミトが演じる」サターンであり、亡くなった酒屋の息子=「リョウスケが演じる」マーキュリーです。

ここで(1)を思い出してほしいんですが、この「サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム」は劇中劇の体裁をとっています。つまり、プラネッツがこの一幕を「演じて」いるんです。では何のために?

それは、「五郎さんのバンドのやり直し」であり「"If"によって五郎さんのバンドの思い出を昇華させるため」です。

 

唯一役名と演者の本名が違う五郎さん。つまりこの一幕における「特異点」であると言えます。

この一幕は、「五郎さん」という一幕における唯一の「本物」のための演劇なのです。

 

回りくどい言い方をしてしまいましたが、つまりこうです。

2015年に生きる5人組の売れない新人バンド・プラネッツはひょんなことから五郎さんという元バンドマンに出会う。

プラネッツに親近感を感じたか何かで、五郎さんは「自分のバンドの話を演じてくれないか」と頼み、五郎さんのバンド人生を基にしたこの一幕をプラネッツが演じることになる(「自分でストーリーも作ってきたみたいですよ」とA.B.C-Zが言っていたので、ジャニーズ伝説の時のジャニーさんとA.B.C-Zのように五郎さんとプラネッツによる共作なのかもしれない。そう考えると、これはジャニーズ伝説からバトンを継いで形を変えた、去年と地続きになるABC座、「錦織流・プラネッツ伝説」なのかもしれないですね)。

その目的は、五郎さんの苦い思い出を演劇にして"If"を付け加えてハッピーエンドにすることで、五郎さんの思い出を昇華させる。

 

(1)で少し触れた「マーキュリーが生き返った後にスクリーンに映し出される写真たち」について、単純に「A.B.C-Zと曾我さんによる稽古風景」であるとも捉えられます。コンサートの最後などで稽古風景やオフショットを流すことはA.B.C-Zもやったことがあります。でも、まだ一幕は終わっていない。プラネッツと五郎さんの物語が終わったわけじゃない。

だとすると、これは「プラネッツと五郎さんによる稽古風景」「プラネッツがこの物語を演じるにあたって五郎さんに指導を受けている風景」だと捉えられないでしょうか。するとこの作品の「劇中劇」という色がより濃く感じられてきます。

 

さて、先述した五郎さんの苦い思い出というのは勿論、バンドメンバーとの喧嘩の絶えない日々であり、酷い言葉をかけたまま帰らぬ人となってしまった酒屋の息子=マーキュリーとのことであり、そこから解散を余儀なくされ終わってしまったバンド人生。

こう考えると、先程挙げた「マーキュリーが事故で亡くなり、すぐ生き返るという展開」に感じる突然さとチープさからくる違和感に対して説明がつくのです。

マーキュリーが亡くなるところまでは五郎さんの過去としての実話。その後からの展開は五郎さんの願望です。

 

バンドのリーダーであり、売れてから天狗になり自己中心的になってしまったサターン=五郎さんは、マーキュリー=酒屋の息子に最後にかけた言葉を取り消したかった。違うって言いたかった。ただ一緒にバンドをしていたかった。兄弟喧嘩をしていたかった。5人でバンドをしていたかった。けれどそれはもう叶わない。きっと五郎さんが「ライブハウス公演に穴をあけた責任を全て背負った」のはマーキュリーにかけた言葉への後悔と自責からでしょう。五郎さんが繰り返しプラネッツに「(自分たちも)下らない事でいつも喧嘩してたよ」「喧嘩するな」と言うのもそんな過去のせいなのかなと思います。

 

「あの時喧嘩をしていなければ」「マーキュリーが生き返れば」

五郎さんがずっと繰り返してきたであろうそんな"If"を、空想の中だけでも実現させたかった。マーキュリーが生き返って、ごめんって言って、仲直りして、また5人でバンドをしていたかった。

そんな"If"を叶えるために、五郎さんはマーキュリーが亡くなって以降の物語を真実から書き換えます。マーキュリーが猫の力で生き返り、また元通り5人でバンドを続けるという物語に。

 

もう戻らない過去。届かない言葉。五郎さんは、未来ある新人バンド・プラネッツにその思い出を書き換えて貰うことで、終わらない後悔をこれで止めようとした。ずっと囚われていた思い出を昇華し、マーキュリーへの罪(だと五郎さんが思っていること)を償い、未来に進むために。

 

一幕の中で唯一使用されたA.B.C-Z楽曲であり、OPとEDの両方を飾った「Smiling Again」。これまでの考察を踏まえてその歌詞を見てみると、物語とリンクする部分が多いように思えます。

ジャニーズ伝説でも、一幕の最後に使った唯一のA.B.C-Zとしての楽曲(ネバマイ除く)は「Walking on Clouds」。「ジャニーズの伝説を未来へ繋ぐ」という意思が込められたものだと解釈しました。

だからきっと、今回もこの選曲には意味があるのだと思ったのです。

人生が ここから始まると

ささやいてる 誰なんだろ 顔を見せてよ

Hello! まちがいだらけの 運命もそれなり いいじゃないか

(中略)

悪い事なんかも そのうちにはso, やってくるでしょう、、

でも不思議なことに I'm smiling again.

他にもたくさんたくさんあるので、是非もう一度歌詞を意識しながら聴いてみてほしいなと思います。

この物語は、五郎さんが「まちがいだらけの運命」を悔やむところからすべてが始まる。でもこの曲では「まちがいだらけの運命もそれなり いいじゃないか」と言ってみせる。

一幕の物語は、五郎さんが「人生を」「ここから」もう一度始める物語。五郎さんが「もう一度笑う」ため、つまり「五郎さんのSmiling Again」のために。

希望にあふれたこの歌詞は、もしかしたらまだ若く未来のあるプラネッツにも手向けたものなのかもしれません。

 

 

以上が、えび座を何度か見て、他の方の考察も色々見て、私なりに出してみた「ABC座2015第一幕『サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム』」へのひとつの解です。

勿論これが正解だなんて思いません。全然拾い切れていないところもあるので!それぞれの口上とか、リョウスケの孤児設定とか、ラムについてとかも、色々深い意味があったりするのかな(サターンの口上に出てくる「悪魔」と「趣味:破壊」は自己中心的になる暗示なのかなと捉えてます)。

今回のえび座一幕は人によってきっと拾う所も違うし、解釈も違うし、感じ方も違うし、見る人によってものすごく多様な目線があることがものすごく面白いなと思います。「A.B.C-Zとジャニーさん」「プラネッツと五郎さん」や「ジャニーズ伝説」「サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム」の比較論もがっつりやってみたら面白いだろうし、全く別の点を掘り下げてみても全然違うものが見えるかもしれないし…。

この記事も、観客の一人として、こういう見方もしてみたよ!というもののひとつとしてお楽しみ頂けていたら幸いです。

 

あと5日間の公演、怪我や大きなトラブルなく無事に千秋楽が迎えられますように!