一日が経った

一日が経った。夜が明けたら何か新しいことが分かるかも、詳しいことが分かるかも、と思っていたけれど分かったのは「春コンが白紙になった」「KAT-TUNの解散の予定はないとしているが今後の話し合い次第」ということだけだった。朝起きたら全部悪い夢だったどころか事態が悪化した現実でしかなかった。

 

朝起きた時には悲しいしわけわかんないままだったけど涙はもう出なかった。けどZIPの山口くんやビビットの太一くんやevery.の小山くんのコメントにまた鼻がツンとしたしさっきまた昨日のべスアを見たらまた泣いてその後この件について書かれたKAT-TUNファンのブログを読んでまた泣いてた。もう何が悲しくて何が悔しくて泣いてるのかよく分からないけど4人、もしかしたらもう本当は3人と1人と書く方が的を得てるのかもしれないけど、の姿を見て、そして覚悟を決めたように怖いくらいいつも通りのKAT-TUNのパフォーマンスを貫く田口くんと全然いつも通りじゃない亀梨くん上田くん中丸くんを見ただけでなんかもう涙腺にきた。

 

私は昔から涙腺が固い方で、最近は歳を重ねたからかけっこう映画とかでもうるうるきたりするんだけど、アイドルの事で涙目レベルじゃなく本気で泣いたのはひみつの嵐ちゃんが終わる時以来の二度目だった。あの時は最終回エンディングのStill...とスタッフさんの愛のこもったアニメーションになんかこみ上げてきてちょっと泣いた。そして今回はあの時の比じゃないくらい長い時間泣いてる。聖くんの時も色々思うことはあったし落ち込んだし不安はあったし怒りもしたけど涙は出なかったのに。びっくりしている。

 

田口くんのことは結局よくわからなくて、近しい人の誰がコメントしても「驚いている」と言っていて、彼が何を考えてどうして大好きだった大事だったKAT-TUNを抜けるという選択しかできなかったのか全くわからない。もう、田口くんがどこかの国の王子様で30歳に王位継承のために国に帰らなきゃいけないからアイドル辞めなきゃいけないんだって言ってくれるのが今なら一番納得できる(真顔で言ってるの、笑うところです)。

 

今さっき、3回目に見たベストアーティスト、最初に見た時は亀梨くんがどうしようもなく心配だった。でも段々中丸くんがものすごく心配になってきた。表情がない。心がここにない、っていうか、あんなにひどい状態の中丸くんを見たことがない。もちろんつかえながら絞り出すようにコメントをした亀梨くんも、歌声が震えていた上田くんもそうだ。私はあんなにボロボロのKAT-TUNを見たことがない。私が見てきたKAT-TUNはいつだって美しく、どんな逆風が吹いてももう一度蘇る強さ、消えない灯火はずっとあった気がしたのだ。あの中で田口くんだけが本当に怖いくらいいつも通り爽やかでアイドルだったのに胸が潰される気持ちだった。4じゃなかった。あの瞬間KAT-TUNは決定的に3と1だった。もう戻れないんだと思い知らされた。

歌っている最中も田口くんだけが残酷なほどいつも通りだった。ビビットで出た太一くんとの写真もそうだ。彼は「来春まではKAT-TUN」という言葉を貫き通すつもりなんだと思った。いっそ嫌いになれたら責められたかもしれないけど、KAT-TUNの曲を伸びやかな歌声で歌い長い手足を大きく動かして豪快かつ綺麗に踊る田口くんは半年前東京ドームで見た大好きなKAT-TUN田口淳之介と1mmの相違もなかった。田口くんのダンスが大好きだった。もうKAT-TUNとしての未来を描くつもりのない彼が最後の瞬間まではKAT-TUNを貫こうと決めたのだろう固い意思が感じられて、いつもと変わらないそのパフォーマンスに安堵して苦しくて悲しくて酷で美しくて大好きでどうすればいいのか分からず涙だけが滲んだ。彼はこんなにも完璧に最後の日まではKAT-TUNを貫こうという意思があるのにどうしてこの選択だけは覆せなかったのだろう。

 

田口くんが4人のKAT-TUNがそこにいるのが当たり前じゃなかったのと同じように、KAT-TUNというグループがそこに存在することも当たり前じゃないんだと気付かされた。デビューしたからには当たり前だと思ってた、思わせてほしかった。でもギリギリまでずっと話し合いをしていた分、この先のことは多分本当にまだ何も決まっていないんだと思う。「春までは4人のKAT-TUNでやっていく」という保証の言葉は裏を返せば「春から先は何がどうなるかわからない」ということでもある。

 

ファン向けのコメントと、マスコミ向けのコメント、両方読んだ。亀梨くん、「残るKAT-TUN4人の時間を大切に」「今のKAT-TUNにできることを」と「今」についてしか言及しなかった。「時間を過ごして行きたい」ってそんな受動的な言葉、亀梨くんらしくなくて変に胸が騒いだ。何人になってもKAT-TUNでいるって言ってよ、これからも応援して下さいって言ってよ。生真面目で責任感が強い亀梨くんのことだから、全く何も先が分からない状態で無責任なことは言えないんだろうと思う。そう分かっていても怖かった。それがまだ亀梨くんが「言えない」状態にまでなっていることが怖いと思った。

「ファンの皆様にずっとKAT-TUNでいると約束したので、自分はファンの皆様が応援してくださる限りKAT-TUNでいたいと思っています」という上田くんのコメント、いる、じゃなくて、いたいと思っています、という言い方だったけれど今はそれで十分だった。上田くんはまだKAT-TUNを諦めようとしていない、それが分かっただけでも今は大きかった。そう言ってくれた勇気と覚悟に縋ってどうにか救われている。

 

数日前まで話し合いをしていた、という言葉に、私は20日のことを思い出した。「KAT-TUN4人がファミクラの関係者入り口にいた」という目撃情報。その日私はオタク友達と昼間ファミクラに寄った後ファミクラからそう遠くない渋谷のカラオケでquarterの映像を見てKAT-TUNの素晴らしさを語り合って、私が持参したシューイチ富士山旅やKAT-TUNの絶対マネたくなるTVの入口出口田口ゲームを見て笑っていた。多分KAT-TUNが目撃されたちょうどその頃は、同じくファミクラからそう遠くない渋谷の居酒屋で「KAT-TUNの春コンの日程早く発表してほしい!ツアーなら遠征もする!」「KAT-TUNの春コン、10周年だし見学とか後輩来てくれるかなぁ」なんて話に楽しく花を咲かせていた。ひどく残酷な話だと思う。あの時もう4人の未来は終わっていたかもしれなかったなんて。

 

3人がもう苦しいなら、3人で背負うには重すぎるなら、無理して続けろなんて酷なことは私には言うことはできない。それで3人が楽になるんならもういい加減解放する方がいいのかもしれない。

でも私はKAT-TUNの名前がなくなることが耐えられない。3人のKAT-TUNがどうなるかなんて想像もつかないし田口くんのいない3人のKAT-TUNを目にしたときどう思うか分からないけれど、KAT-TUNが存在しない2016年以降の未来を歩むことはもっと想像もつかない。

まだ先行きが全く分からないのならば、ここからの未来はこちら側の働きかけでほんの少しでも変えられる可能性があるかもしれないということでもある。ファンにできるのは声を届けることだけだけれど。「KAT-TUNが好きだ」「KAT-TUNが見たい」。微力かもしれないけれど、何もしないで春までの期間を呆然と見守っているよりもマシかもしれない。

とにかく、何が起きようと3人がどんな結論に至ろうと後悔しないように。春までKAT-TUNのファンとして駆け抜ける事しか今できる最大限のことは思いつかない。

 

雪が解けて春になった頃に「4人」はもういない

近いうちに、KAT-TUNの記事をたくさん書こうと思っていた。大好きなcomeHereコンのDVDがいかに素晴らしいか語る記事。4人が今最高に輝いてるからこそ残したかった5人の頃の思い出の記事。私がKAT-TUNで一番大好きな上田くんについて語る記事。10周年に向けて、新規ファンも増えてるし、私の周りでもKAT-TUN気になるって言ってくれてる人が増えてきたし、今静かだけど確実に波が来始めてると思っていた。タメ旅年末SPも決まって、10周年が楽しみで仕方なかった。いっぱいコンサートに行っていっぱい祝おうと思っていた。

10周年のその先を4人で見られないなんて思いもしなかった。

 

こんなツイートをしたのがほんの4日前だった。こんなに素晴らしいコンサートを作れてこんなに素晴らしい番組に恵まれて、これから先のKAT-TUNには光しかないって本気で信じていた。事務所に推されなくたって口コミでファン増えてるし!10周年盛り上がろう!って思っていた。コンサートツアーも下半期にグループの活動もほとんどない年、私は今年だけじゃなく一度経験していたのに。これは前兆だったんだって2年前に理解していたのに。

ほんの1秒前までKAT-TUNきた!赤コートキマってる!なんて思って幸せだったのに、「KAT-TUNから重要なお知らせがあると」と急に真剣になる翔さんの言葉に、メンバーの表情に、今から何が起こるのかと思った。今日は楽しいお祭りの日なのに、なんで、そんな顔を。嫌な予感がした。「私、田口淳之介は」とかしこまった様子で口にする彼に心臓が嫌に高く跳ねた。ドキドキと嫌に早くなる心臓の音を聞きながら、「やめて」「その先を言わないで」「私の予想とは全然違うことを言って」と思っていた。その願いは儚くも崩れ去った。直後私の携帯にはKAT-TUNのメール伝言板から臨時号が届いた。普段はほとんどメールをくれない伝言板。こんな臨時号二度と見たくはなかったのに。

 

明日の朝になったら新聞やテレビでの報道が本格的に始まる。情報は知りたい、田口くんが辞める理由の詳細もKAT-TUNのこの先も知りたい、でも今は夜が明けて報道が一気に世間に出回るのが怖い。他人事のように、しかし揺るぎない事実として報道されるのを私もいつもの日常を送りながら目にするのが怖いのだ。

 

発表されてから2時間、泣いては落ち着いて思い出してまた泣いてを繰り返して、ようやく落ち着いたので、録画したベストアーティストのKAT-TUNの部分だけを見た。

田口くんの脱退についてコメントをする亀梨くんは今まで見たことがないくらい言葉に詰まっていて、それでも最後まで気丈にコメントを終えた。上田くんと中丸くんはただ前を見つめていた。歌の最中、亀梨くんと上田くんは珍しく音を少し外していた。田口くんが歌っている間誰よりもアイドルで、いつもみたいに長い手足を大きく使って綺麗なダンスを見せていたのにまた涙が出そうになった。

 

もうメンバーにあんな顔させたくないって2年前に強く思ったはずなのにどうしてこうなっているんだろう。もう謝らないで自分を責めないでって思ってもきっと残される人はいつだって自分を責める。なかなか繋がらなかったジャニーズネットの会員ページ、ようやく繋がって自分の目で確認した4人の挨拶を見て胸が苦しくなった。悲しさと動揺と不安と色んな感情が入り混じってどう考えればいいのかと思っていたところに中丸くんの「ご迷惑をおかけする方達がいる以上、肯定はできませんが、…」という一文に救われた。田口くんだって人間だ、田口くんの人生だ、だからグループに嫌でも縛りつけるのはいけないんじゃないか。そう思う私もいる。けれど無理して肯定しなくていいんだって思った。聖くんの脱退の時、「正直、怒りもあります」と誤解を臆せず正直な気持ちを口にしてくれた中丸くん。そうだ、怒っていいんだって、この人には2年前も助けられたことを思い出した。

 

中丸くんは今年8月に放送されたザ少年倶楽部プレミアムの中丸くんと田口くんの京都二人旅で、中丸くんは調整役、という話の中で「まとめることができてるんであればメンバー減ってないしね?(笑)まとめることができてなかったってことですから」と自虐を零した。お酒が入っていたのもあるのだと思う。

中丸くんは今、また自分を責めているんだろうか。自分がもっとしっかりしていればって。きっとそれはフロントマンとして立つ亀梨くんも、もう一人の最年長であり一番先輩である上田くんも、それぞれに思うことはあるんだろう。そしてこのたった3か月前に放送された旅、田口くんだってきっとまだ何も考えてなかったわけじゃないだろう。田口くんはこの時どういう気持ちでこの言葉を聞いていたんだろうか。

田口くんは2度、メンバーの脱退を経験をした。残された側の気持ちをこれでもかというくらい味わってきたはずだ。その時のメンバーの思いも知っていたはずだ。「メンバーが脱退する」っていうことがどういうことなのか、痛いほど分かっていたはずなんだ。なのに田口くんはあんなに大好きだとずっと言っていたKAT-TUNを辞め、事務所を辞めるという選択を覆さなかった。そのことがじわじわと心の中に染みてくる。

 

quarterの時東京ドームで見た田口くんはいつもの楽しそうな笑顔で、KAT-TUNがメンバーが大好きって顔をしていて、最高のアイドルだった。けれどその場所を手放す選択をした彼は29歳の人間であることに気付かされてしまった。でも、まだ猶予はある。田口くんはあと数か月の間アイドルでいる。

田口淳之介にかかったアイドルという魔法が解けるまであと数か月。雪が解けて花が咲き乱れる頃彼はKAT-TUNではなくなる。

私は彼の脱退を心から肯定することはきっとない。だって人がこんなに悲しむことを肯定なんてできない。でも彼の人生だから真っ向から否定することもできない。これから情報がどんどん出てきてもっと詳しい色んな事情が明かされることになるんだろうけど、それで私が「何で」ってまた2年前みたいに怒ることになるのかもしれないけど、それでも今この瞬間の私は4人のKAT-TUNがどうしようもなく大好きでKAT-TUNとしてアイドルをしている田口淳之介がどうしようもなく大好きだった。

自分の口から話してくれてありがとう。田口くんのいるKAT-TUNを目に焼き付ける期間をくれてありがとう。「ありがとう」と「さよなら」を言う時間をくれてありがとう。心から肯定はできない、心から彼の決断を赦すことはできない、でも今はそう思っている。だって私はKAT-TUNでいる田口くんにたくさん笑顔と幸せを貰ったわけで、その4年半はたとえ今日から先何があろうとも嘘にはならないから。

 

脱退までの猶予期間が数か月あるのは逆に辛いかもしれないけど、私は4人のKAT-TUNを見届けたい。そして3人のこれからがどうなっていくのかも。

最後にもう一度、4人のKAT-TUNを生で見る機会があることを願って。

そして、来年の春以降も3人が笑ってステージに立っていることを信じて。

 

来年の春までの限られた時間、4人の姿を目に焼き付けます。

ABC座2015第一幕「サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム」考察

本日・10月23日で私のABC座2015が終わりました。何度でも見たい舞台だった。叶うならもっともっと観劇したかったけれど、ものごとには終わりもあるし私の財布の中身も無尽蔵ではないので、思い残すことはないです。最高の秋だった!!!!!

 

さて、今年のえび座観劇が全て終わったので、今年のえび座1幕についての考察を少ししてみたいと思います。

ネタバレだらけなので、まだ観劇されていない方、ネタバレを見たくない方はご注意ください。

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4年半かけて母やヲタ友に「KAT-TUNのコンサート行ってみたいかも」と言わしめた話

KAT-TUN春コンサート決定おめでとうございます!!!!!

ついにきた10周年イヤーのお知らせ。後は日程のお知らせを待ってお金を用意するのみ。

 

ところで、ジャニヲタになりDDと化した私が最も布教に苦戦したグループがいます。KAT-TUNです。

私がKAT-TUNのファンになったのは2011年の春。その前にたまたまテレビで見た「Going!」のパフォーマンスを見て、KAT-TUN爽やかな曲も歌うんだな、いいじゃん、とそれ以来少し好感は持っていました。そして忘れもしない2011年4月のMステの「PERFECT」。私のジャニヲタ人生、あそこまで一瞬で何かのグループに転げ落ちたことはない。その後しばらく、毎晩毎晩あのパフォーマンスをリピートするのが日課でした。

 

しかしKAT-TUNといえば「ギラギラしてる」「怖い」「調子乗ってる」、あのデビュー当時を知っている人たちからすればそんなイメージがどこまでもついてくるグループ。ジャニヲタ友達含め、周囲に「嵐好き♡」「関ジャニ∞面白い!」と言ってくれる人はいても、KAT-TUNが好きと言うと「KAT-TUN?えぇ~…?」と皆興味を示してくれない。唯一私と同じくらいDDの姉以外、誰もKAT-TUNの話聞いてくれない。良くて「ごくせんの頃ちょっと好きだったよ~」程度。パブイメ強すぎる。

かくして、私のKAT-TUNファンの道のりは「孤独」から幕を開けたのでした。

ちなみに現在のツイッターアカウントも元をたどれば、KAT-TUNのこと語る相手がいなさすぎて壁打ちとして始めたアカウントだった気がする。

 

さて、私の母はどライト茶の間ジャニーズ好きです。ジャニーズの人面白いし好きだよ~っていう、ファンってほどでもないくらい。でも昔から家にはSMAPのアルバムがあり、小学生の頃は毎週リビングでスマスマが流れていました。

私がジャニヲタになり現場に行くようになると、母も気になるグループはちょっと行ってみようかなと年に数回コンサートに一緒に行くようになりました。これまで母がコンサートに行ったグループは、SMAP、V6、嵐、関ジャニ∞

KAT-TUNについての視線は母も最初例外ではありませんでした。でもそれが最初に変わったのは、MJでKAT-TUNが「誰が一番うまく車庫入れできるか」という企画に挑戦したときのこと。母もよく車を運転するので琴線に引っかかったんでしょう。「○○くん上手いね」「その角度じゃだめだよw」とテレビを見て笑いながら口にし始めました。

笑いながら車庫入れに挑戦するメンバーの姿、それが母からのKAT-TUNの評価が「ただギラギラした怖い人たち」ではなくなった瞬間だったと思います。まさかの車庫入れ。

でも私は「そうだよ!!!KAT-TUNって別に怖くないよ!!!!!」って心の中でガッツポーズでした。

 

その後無事に私の受験も終わり、迎えた2012年。春に行われたCHAINツアー東京ドーム3days。色々あって*1予定していた以上の東京3公演分のチケットが手に入った私。

全て2連番で当選して、姉と行く予定だったものの姉の都合が悪く一部チケットが余った日程があった。当時KAT-TUNのコンサートに一緒に行ってくれるような友達もいなかった私、一応母に聞いてみる。

私「KAT-TUNのコンサートとか、行かない?」母「えー行かない」ですよね。

KAT-TUNに対する心の壁多少開いたとはいえまだコンサートに行くほどでもないよね。流石にKAT-TUNのコンサートとかまだ怖いイメージしかないよね。

結局CHAIN東京ドーム公演は3days中2daysぼっち参戦しました。

 

それ以降もしばらく私のKAT-TUNオタ活動は他のグループのオタ活と比べて圧倒的に「孤独」でした。大学でようやく一人KAT-TUNも好き~という子には出会ったものの本命は嵐で、ジャニヲタ自体今はライトになってて現場にしょっちゅう行くような子ではなかった。

当時、KAT-TUNには「とりあえず絶対面白いからこれを見て!!!!」とおすすめできる番組が今と比べてあまりなかった気がします。冠番組は何度かできましたけど期間限定だったり、結構人を選ぶ企画が多いかなぁというものだったり。

ただ、この頃からじわじわと風向きが変わり始める出来事は確実にありました。一番大きかったのは「リーガル・ハイ」。ほか「妖怪人間ベム」「早海さんと呼ばれる日」…そうです、ドラマです。

もうとにかくリーハイの功績は大きい。あそこで蘭丸として顔を売り、もう少し踏み込んで調べてくれた人には「KAT-TUNの田口」の名前をむちゃくちゃ売ったと思う。母もそうだけどうちの父もドラマ好きなので、ごくせんで亀梨くんは知っていたもののリーハイで田口くんを覚え、早海さんで中丸くんを覚えてくれたし、そこでの演技で好感度がぐっと上がっていた。(父は未だに上田くん*2だけ分からないらしいのでまたドラマに出てほしい)

KAT-TUNのドラマ出演が目立ってきた。それは、私の周りにも「KAT-TUN」へのとっかかりを少しずつ作っていった気がします。

そしてもう一つ分かりやすかったのは、中丸くんの「シューイチ」出演開始。出演開始数か月後に始まった冠コーナー「まじっすか」開始が特に大きかった。私がKAT-TUNファンであるため、シューイチ開始以降我が家の日曜日の朝は日本テレビ固定になりました。

メンバーも言っている通り、中丸くんは一見普通*3だからこそ一般層に受け入れられやすい。それは世間一般のパブイメで高くなっていた「KAT-TUNへの敷居」をぐっと下げるものでした。

 

そんな出来事がぽつぽつと積み重なっていく中、私の周りでのKAT-TUNへの風向きが急激に変わり始めたのは2014年頃からのこと。

KAT-TUNが4人体制になった(2013年10月)

KAT-TUNが「ザ少年倶楽部プレミアム」の司会になった

・「KAT-TUNの世界一タメになる旅」が特番として年数回の放送を開始(2015年レギュラー化)

このころ起きたのは、この3点です。特に、下の2点。

毎回ではないけれど、私はリビングに家族がいる中ジャニーズの番組を見ることも多いです。それは少プレとタメ旅も例外ではなく、何度か母のいる前でも見てました。

そして、2014年当時の私は既にA.B.C-Zのファンにもなっていました。仲の良いジャニヲタ友達もえび担が多い。つまり、ザ少年倶楽部を見ている。毎週録画している少クラのついでに、毎月第3水曜日も録画すればいいだけ。既存ジャニヲタにとってもKAT-TUNを見るハードルがこの年、がくっと下がりました。

そして放送開始後、少プレとタメ旅のクオリティに感動した私はヲタ友に会うと言うようになりました。「よかったら少プレ見て!!!!最高だから!!!!タメ旅も今度○月×日にやるからよろしくね!!!」少プレもタメ旅も毎回楽しいので、Twitterでも感想ツイートをよく投下していました。

 

少プレが放送開始してから数か月経つと、ヲタ友たちが言うようになりました。KAT-TUNいいね!」「KAT-TUNのパフォーマンスすごい!」と。

今年に入りタメ旅がレギュラー放送を開始して少し経つと、私がタメ旅の話を振ると「録画してあるから今度見るね!」と言ってもらえるようになり始めました。…えっ毎週録画してくれてるの!!!????

そしてcomeHereコンのDVDを見せると、口々にこんな感想が返ってきました。KAT-TUNのコンサートめっちゃすごい」「亀梨くんってこんなにかわいい子だったんだ!?」「いいコンサートだね」と。

それまでもヲタ会にKAT-TUNのDVDを持って行ったことはあります。KAT-TUNすごいよ、楽しいよ、と言ったことはあります。他グループの番組をダビングする時に余った容量にKAT-TUNのおすすめ映像を詰め込むのは常習犯でした。でもその反応が如実によくなり始めたのはここ1~2年です。

「4人になってから爽やかになったというか、とっつきやすくなった」ともよく言われます。4人になってからむちゃくちゃいい番組を貰えて魅力が伝わりやすくなった、というのは絶対的にあると思いますが、 ラップ担当がいなくなった分ゴリゴリしすぎない「綺麗なかっこよさ」というか「二次元感」というか、これまでと違う見え方が新たな魅力を生み出してるのかもしれないなと。確かに第一印象でのゴツさが減ったというかなんか前よりシュッとしてる感あるよね…!

 

さらに先日母と話しているときに、ふと「KAT-TUN来年10周年だから、来年は大規模にコンサートあるかな」なんてことを話しました。母が反応しました。KAT-TUNのコンサートって楽しいの?」と。

えっ、なんか、3年半前(CHAINコンの時)と反応違う。

ぶっこむなら今だ、と思い私は正直な感想という名のマーケティングを開始しました。

「めっちゃ面白いよ!!!!今年の5月のコンサートとか、中丸くんってボイパやるじゃん?ボイパに合わせて心の声みたいなの出しててそれがむちゃくちゃ面白くて」

「あぁ、中丸くん面白いもんね」シューイチやタメ旅のイメージか、母がそう返します。

「そうだよねシューイチとかタメ旅とかね!でもコンサートでは亀梨くんがすごいボケてくるから、中丸くんをおじいちゃんとかっていじるから意外と亀梨くんも面白くて」

「えーそうなんだ意外」

これはいけるかもしれん。これまでと違う反応にそう思う私。

「コンサートも凝ってて見ごたえあるから曲知らなくても全然楽しめると思うし。来年あったら行く?」

「そうだね、ちょっと行ってみたいかも」

 

私、勝訴。

 

母に3年半前に断られたKAT-TUNのコンサート、私がKAT-TUNファンになってから4年半。

最初はKAT-TUNに興味がなかった(というかむしろ斜に構えて見ていた)母についに「行ってみたい」と言わしめるまでに至りました。

母は嵐のDIGITALIANコンをいたく気に入っていたし、コンサートでもドラマでも笑えるものが好きな人なので、厨二感は合わないかもしれないけどきっと気に入ってくれるポイントはあると信じている。とりあえず、qコンのDVDが今日届くはずなので、手始めに中丸Pのシャッフルコーナーを見せてみたいと思います。

 

ちなみに母だけじゃなく、私がKAT-TUNを布教したヲタ友も(ほんの数人だけど)「KAT-TUNのコンサート行ってみたい!」と言ってくれるようになりました。というか、qコンの時点で既に行きたいって言ってくれてたんだけど(席を選ばなければチケも定価で流通してたし)、皆都合がつかなかったり体調が悪かったりでまだ誰も連れて行けてはいません。

でも春コンも決まったことだし、10周年だし、私の名義が息をしている限りはできるだけ行きたいと言ってくれてる友人知人を連れて行けたらなと思っています。

 

こんなに周囲の人たちが「KAT-TUNのコンサートに行きたい」と言ってくれるなんて、4年半前には想像もしていなかった。ずっとKAT-TUNも面白くてかわいくて楽しいのに、そしてコンサートむちゃくちゃ凄いのに。怖いだけじゃないのになあ」と歯がゆい思いをしていた。2014年からの突然の私の周りでのKAT-TUN株の上昇に少し戸惑っているし、とてもとても嬉しい。

そしてやっぱりテレビの力って凄いなと思うし、KAT-TUNの魅力をそれぞれの切り口から最大限でテレビに映し出してくれた少プレとタメ旅に感謝してもし切れない。シューイチやリーハイにもね。

 

ということで、私が4年半かけて周囲へのKAT-TUNの布教(というかごくせん時代に形成されたパブイメの払拭)が成功した話でした。

またKAT-TUNのコンサートが見られること、そしてやっと色んな人にKAT-TUNのコンサートを見せられること、KAT-TUNの魅力がようやく伝わり始めたこと、コンサートでもっと伝えられるかもしれないこと。それが今すごく嬉しいです。

春コン楽しみだ~~~!!!!

 

 明日発売です。

*1:FC枠で落選したと聞いて慌ててJチケで申し込んだらFC枠もJチケ枠も両方チケットが届いてしまった

*2:私のKAT-TUNでの推し

*3:ヲタ目線から見れば「普通…?」ってなるかもしれないけど

キラキラの海の中で未来を描く――人生初のJUMPコンに行ってきました

昨日、人生初のHey!Say!JUMPのコンサートに行ってきた。JUMPing CARNIVAL、10月9日横浜アリーナ公演。

元々チケットは外れていて*1倍率も高いらしいし私のJUMPコンデビューはおあずけかな~と思っていたところに、2週間前くらいに急に姉から「友達がチケット1枚余ってるらしいんだけど、行く?」というLINEが飛んできた。私は食い気味で答えた。「え!行きたい!!!」

 

茶の間でいただきハイジャンプやリトラやヒルナンデスや音楽番組等々は見ていたけれど、DVDも含めてフルでJUMPコンを見るのは今回が初めて。以前姉が実家に帰省した時に「JUMPコンのおすすめ教えて」と聞いてみたら、smartコンの「Oh!アイドル!」「Come back…?」あたりを見せてもらった程度の知識しかない。「Come back…?」とんでもなくかっこよかった。

本当であればDVDでC&Rなど予習できたらよかったのだけれど、JUMPコン行きが決定してから前日の8日まで姉に会う機会がなかったので、せめて曲だけ予習していくことにした。JUMPコンに行く前日、日生劇場でJUMPing CARアルバムの初回1,2を受け取る。そうです、前日はABC座に行っていました。別に遠征とかでもないのになかなかのスケジュール感。

ABC座から大満足で帰宅し、JUMPコン前日の23時、ようやくJUMPing CARを音楽プレイヤーに入れる。その日は力尽きてそのまま就寝。自宅から新横浜までの道中で余裕でアルバム1周はできると踏んで、行きの電車で予習をすることにした。

 

ここまで読んでお分かりの通り、私はほぼJUMP初心者だ。DDな他担である。高倍率のチケットを手にすることが出来たのが申し訳ないくらいの初心者なので、だいぶ的外れな感想になるかもしれない。

でも私自身他担の方の視点からのコンサート等々の感想を読むのが大好きなので、私も他担のJUMP初心者なりに感じたことを色々書き残していきたいと思う。

 

座席は文字通りの天井席。でも私は東京ドームが一番行き慣れた会場なので、横アリって天井でもこんなに見えるんだ!やったね!と思った。天井でも多くの人が手作りのカンペうちわなどを持っているのに驚いた。みんなアツいな~と思っていたけれど、その意味は後にアンコールで知ることになる。

 

開演前にペンラでのダンス指導などが入って、5分前くらいからJUMPコールがどんどん大きくなってくる。時刻は18:00ちょうど、客電が落ちて、沸き起こる歓声。会場は鮮やかなペンライトの光の海に包まれ、そしてOP映像が始まった。

(本編感想はまた長くなるので追記に畳んでおきますね)

*1:姉がJUMP好きでFC会員なのでついでに連れて行ってもらおうと別日に申し込んでいた。結局姉のFC枠では9日の姉の分のチケット1枚しか当たらなかった

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新たな船を漕ぎ出す君たちへ――A.B.C-Z初シングルCD発売日によせて

2015年9月29日。A.B.C-Zの初のシングルCD「Moonlight walker」を無事にフライングゲットし、自宅のPCに音源を取り込んで聴いていた。

表題曲のMoonlight walkerを含め全種合わせて新曲は4曲。そして通常盤にはこれまでのシングルDVD表題曲をメドレー形式で集めた「A.B.C-Z Title Songs Medley」が収録されている。

新曲4曲は発売日前にメンバーが出演していた各種ラジオで既に流れていたので、CD音源として手に入った嬉しさを噛みしめながら順番に聴いた。そして最後に聴いたのが、今日初めて聴くこととなる「A.B.C-Z Title Songs Medley」。

 

正直既存曲のアレンジ音源がCDになるということにそこまで興味がない方なので、ちょっとしたオマケ程度の気持ちでいた。通常盤にしか収録されていないものといえばこのメドレーくらいなので、今回は初シングルCDのご祝儀の気持ちも込めて通常版含め全種購入したけれど、初シングルCDという箔がなければ買っていなかっただろうと思う。

 

最初はDVDデビュー曲であるZa ABCをオルゴールのような音も交えながらとても綺麗なアレンジのイントロ。そして始まるZa ABC、続いてSPACE TRAVELERS、Legend Story…とこれまでのシングルDVDの表題曲が続く。

そして、聴きながら、ハッと色んなことがフラッシュバックしてきた。

SPACE TRAVELERSのPVは勿論、帝劇まで買いに走った劇場限定盤の自担プロデュースの映像が楽しすぎて何度も何度も繰り返し見たこと。

昨年夏初めて行ったA.B.C-Zのコンサートの一番最後、名古屋センチュリーホールでLegend Storyを歌い踊る5人の姿。少クラで見てA.B.C-Zに降りることを決めた曲もLegend Storyだった。

Twinkle Twinkle A.B.C-Zを引っ提げて行ったTwinkleツアーのDVDを初めて見た時に「この人たち本当にデビューして1年なの!?コンサート最高すぎない!!?」と衝撃を受けたこと。

Never My Loveは初めて自分で買ったA.B.C-ZのシングルDVDで、嵐担時代から仲良くさせてもらっている私と同時期にA.B.C-Zファンになった友達とネバマイの各盤を持ち寄って鑑賞会もした。

A.B.C-Zいいなと思い始めて間もないころにテレビで見て5人のパフォーマンススキルと楽しそうな笑顔に惹かれたワンカメメドレーのWalking on Clouds。

私にA.B.C-Zを勧めてくれた戸塚担の友達は、私がえびが気になると言うとずっとLOVEのPVを見せてくれてその時の番協のことや戸塚くんの詞が素敵だということを楽しそうに語ってくれた。

そして地上波の音楽特番に出るときは必ずと言っていいほど歌ってきた、これまでの彼らがずっと看板にしてきた楽曲、ここからデビュー組としてのキャリアが始まったZa ABC~5stars~。

 

全部に思い出が詰まってる。ファンになって約2年半、えび担と名乗るようになってまだ1年と少しの私でさえも、この6分半のメドレーを聴くだけで沢山の思い出が蘇ってくる。

 

これまでのシングルDVDの表題曲のメドレーを、初めてのシングルCDに収録するということ。これまでDVDで培ってきた自分たちの歴史をぎゅっと濃縮して、今ここでまとめるということ。

「シングルCD」というこれまでよりずっと厳しくてずっと強い光の当たる、新たな船を漕ぎ出すんだと思った。頭ではずっと分かっていたけれど、ここからもう一度始まるんだって、これまでの経験を武器に変えて、また一から新たなステージで戦うんだっていうことを強く強く感じた。

そしてこれを単価が安く手に取りやすい通常盤に収録するというのは、これまでのA.B.C-Zを色んな人に知ってもらうという意味合いもきっとあるんだろう。このメドレーはいわば名刺であり、彼らがこれまで磨き上げてきた武器だ。「シングルCDでは初めまして、A.B.C-Zです。改めて宜しくどうぞ」という自己紹介代わりの名刺。油断したら彼らの魅力と鋭い野心に人々が目が離せなくなってしまうような、彼らの武器。

 

ジャニーズ史上初の「DVDデビュー」から3年と7ヶ月。初めてのCDであるCDアルバムから1年と6ヶ月。ついにこの日が来ましたね。

これまで以上に競争の激しい市場、色んな目線に晒される世界。「シングルCDじゃないから」という言葉はもう効かない。ここからどうなるのか、この新たな船が波に晒されどこに向かうのかはまだ誰にも分からない。

けれど、A.B.C-Zは最強だから。そう我らがセンターも言っている。

新たな船出をする彼らに、これまでよりもっともっと光多からんことを。

 

2015年9月30日。

A.B.C-Z、シングルCDデビューおめでとう!!!!!

もっともっともっと大きな星になれ

A.B.C-Zに売れてほしいと思う。

本人たちがそう望んでいるから、というのが私がこの言葉を迷いなく口に出せる理由に確かになっている。売れたらできなくなることは沢山ある。適度に活躍してファンと付かず離れずの距離を保って楽しくやっていくスタイルもアリだと思う。そうした方が皆が皆、幸せにやっていけるのかもしれない。彼らがそっちを望むのなら私は売れるべきだと押し付けるつもりはない。

けれど彼らが「売れたい」とそう言うのなら、私は心の奥にある思いを、迷いなく声高に叫ぼうと思う。「A.B.C-Zには売れてほしい」と。

 

「いつかもっともっと広い会場でやったら、もっともっと綺麗なんだろうなって思います!僕たちを東京ドームに連れて行って下さい!」

ペンライトがきらきら煌めくホール、数千人の観衆の中でそう早口で力強く言ったのは2014年夏の塚田くんだった。それを受けて「俺たちが連れて行くんだろ」と返したのは河合くんだ。

 

「売れる」ということは「『できること』の選択肢が増える」ことだと私は思っている。

もっと噛み砕いて言うなら、「売れる」ということは「使えるお金とパイプが増える」ということだ。

私はDD気味のジャニヲタなので、色んなグループのコンサートに足を運んでいる。そんな中で強く印象に残っているのは嵐とSMAPのコンサート。

もう、とにかく、お金かかってる。勿論両者のコンサートの魅力はそれだけではない。けれど豪華で大規模なセット、演出。例えばSMAPなら超大規模なセットが自在に動くし、ステージ上に車も乗り入れるし、ロボットやキティちゃんだって呼べてしまう。例えば嵐なら大掛かりな噴水や巨大ムービングステージは勿論、特筆すべきは昨年のコンサートの核となった「嵐ファンライト」。うちわ型のペンライトは観客が自腹で購入するものの、ドーム規模でのライトの無線制御は圧巻としか言いようがなかった。さらに先日の宮城でのコンサートでは、メンバーがそれぞれCMキャラクターを務めている商品各種との東北限定コラボレーション商品も話題になった。

頭で考えるだけなら他の人だってできた人はいるかもしれない。けれどそれを実現するとなったら話は別だ。言ってしまえば、まず莫大な予算が必要になる。そしてそれを回収できる見込みもなければならない。それができなければただの机上の空論だ。

「机上の空論」を現実にする力。それがお金であり、パイプであり、集客力であり、一言でいうなら「売れる」ということ。

 

私はA.B.C-Zを信頼している。A.B.C-Zのパフォーマンスを、コンサートを構築するセンスを、いい商品をプロデュースする力を、アイドルとしての実力を信頼している。

だからこそ、私は売れてほしい。「できること」がもっともっと増えてほしい。

A.B.C-Zについて、PVやコンサートや特典映像など、先輩グループや売れてる若手グループと比べて「お金があまりかかっていない」という気がする。PVはスタジオや関東内でのロケが基本だし、コンサートでも装置や映像は使うものの基本的にメンバー自身の身体能力とファンとの連携を軸に構成されている。特典映像も撮影や仕事の合間を縫ってメンバープロデュースでこぢんまりと進められることが多い。

それが悪いと言うつもりは一切ない。むしろ私はそんなA.B.C-Zが大好きだ。私がA.B.C-Zを好きになった理由に、ワンカメショーを見て「その場にあるもの」をどんどん生かしていく姿勢に惹かれたということもあるくらい。ちなみに嵐の宿題くんで好きだった回はお金がないSP、関ジャニ∞で一番好きな番組は関パニ、KAT-TUNのCD特典の楽屋コーナーも大好きだ。話が若干逸れた。

今のA.B.C-Zが提供するものについて、本当に不満はない。手作り感溢れる今のA.B.C-Zが大好き。けれどその上で考えたい。「もしA.B.C-Zというチームが、もっとお金を使えるようになったら」ということについて。

 

昨年のLegendツアー、そしてアーリーサマーコンサート、サマーパラダイスA.B.C-Z公演を経て、河合くんを中心にA.B.C-Zが構築するコンサートに対しての信頼が私の中で確信に変わった。そしてこの人たちはもっともっと隠した爪が、牙があるんじゃないかと思った。

 

「金がないといいものは作れない」なんてわけはない。けれど、「いいものを作るために金があるともっといい」「金がないとできないものもある」ことは確かだ。

彼らの頭の中にあるもの、彼らの思い描く夢、それらが「売れてない」「金がない」から叶えられないなんてこと、あってほしくはない。私は彼らのつくる世界がもっと見たい。そして彼らのつくる世界に、「選択肢」がもっと増えて欲しい。

 

コンサートの話を中心にしているけれど、例えばテレビだってそう。売れれば視聴率が取れる。視聴率が取れると判断されれば、もっといい時間にもっと長い時間テレビに出られる。もっとテレビでパフォーマンスを見てもらえる。番組だってたくさんお金をかけてもらえるからできることがもっと増える。

 

実際、今回のCDシングルの発売は「CDアルバムで1位をとれたから」という背景はあるだろうと思う。最初はDVDでのデビューだった彼らが、どんどん活動の場やリリースする形態の選択肢が増えているのは、「売れてきたから」に他ならないと思う。天下のジャニーズ事務所様が、1位を絶対にとれないだろう人たちをCDシングルの場で戦わせるなんてことしないだろう。だからこそ、私は「CDシングル」という選択肢を潰さないためにも今回のシングルには1位を獲ってほしいという思いは少なからずある。

 

売れたら勿論沢山の制約が出てくる。社会的な責任も大きくなる。スキャンダルがご法度なのは言うまでもないし、今まで通り街を歩くことも難しくなる。企業で言うCSR的なことも求められるかもしれない。プライベートもなくなる。隙を狙って悪いことをしようとする人も出てくるかもしれない。ちょっとした言動もすぐニュースになってしまうから気を付けなければいけない。自分たちでグループの舵をとることが難しくなる。ファン内外の色んな意見や目線も受け止めなければいけないだろう。昔からのファンと新しいファンの意見はきっと分裂してどっちもを取ることは難しくなる。自分の好きなことができなくなって、大人から求められることを優先してやらなければいけなくなることもきっと増える。

 

でもそれを覚悟したうえで「売れたい」という夢を選び取るなら、全部受け止めて消化できる自信があるのなら、私は何度でも彼らの背中に叫びたい。

今はまだ小さな星かもしれないけれど、もっともっともっと大きな星になって。

どこまでだって売れていってよ、A.B.C-Z