ROAD TO TOKYO DOME~ジャニーズシングル売上枚数と東京ドーム公演の相関~

『東京ドームでコンサートをすること』

それは若手ジャニーズが一度は掲げる大きな目標であろう。

 

デビュー時からすぐにドーム公演をするグループもいれば、コツコツと何年も活動を続けて念願叶ってドーム公演に辿りつくグループもいる。5万5千のペンライトに囲まれて単独コンサートをする景色はさぞ美しいものだろう。

では、東京ドーム公演を行うための人気のボーダーとは、一体どこなのか。

今回はそれを、シングル売上枚数という観点から調査していきたいと思う。*1

ちなみにこの調査の発案は姉、調査実施と結果執筆は私つきしろでお届けします。スペシャルサンクス:姉。

※個人の調査のため、データの間違いなどあるかもしれません。あくまでお遊びとして、広い心でお読み頂けると嬉しいです。

 

*1:アルバム売上枚数についても何グループか集計してみたが、シングルの方が分かりやすい結果が出たため今回はシングルのみを対象として考察する

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「私が信じた田口くん」の答え合わせをしました――KAT-TUN田口淳之介10000万字インタビュー感想

※MYOJO2016年2月号掲載・KAT-TUN田口くんの10000万字インタビューのネタバレを多分に含みます。まだ読んでいない方はご注意ください。

※あくまでも一個人の感想とファンとしての都合のいい偶像の話です。できれば感想とかのフィルターのない状態で原文を読んでから、この記事をお読みいただければ嬉しいかなと思います。

 

 

ベストアーティストでの田口くんの脱退発表から丸4週間。田口くんの10000字インタビューが掲載されたMYOJOが昨日発売された。

tk46.hatenablog.com

この記事を書いて以来久々に直接田口くんのことでちょっと泣いた*1。涙目になりながら読んだ。久しぶりに、色々考えてあまり寝付けなくて夜中にも目が覚めた。

感想としては、「やっぱり私はKAT-TUN田口淳之介が好きだ、KAT-TUNとして15年間生きた田口淳之介がこれからも多分ずっと好きだ」ということが一番、かな。この一ヵ月色んな憶測で語られていたことをある程度は答え合わせのようなものが出来て、田口くんの言葉で聞くことが出来て、それをようやくきちんと確信に近いものにできたので、私は読んでよかったと思う。

思っていた以上にMYOJOさんが、田口くんに配慮はしつつも、かなり突っ込んだ質問までしてくれていて、ファンとしてだいぶ痒いところに手の届く内容だった。そして「うーん」とか「……」とかも多くて、田口くんの言葉のニュアンスをできる限り正確に届けようとしてくれていることが伺えた。そのおかげで、田口くんが本当にじっくり言葉を選びながら喋ってくれたことが感じられた。入所時からずっとお世話になっている雑誌ってありがたいなと思った。

 

インタビューは、脱退発表時の心境についての質問から始まる。まずいきなりそこからぶっこんでくるとは思わなかった。あの時、一人だけ静かで冷静な佇まいに見えた田口くん。本当は田口くんも色んなことを思いながら、色んな感情がごちゃまぜの中で話していたんだっていうことが分かって、なんていうんだろう。ほっとした。誠意をもって自分の言葉で直接伝えようとした結果の立ち居振る舞いなのではないかと思って、信じたいと思っていたから、そのようなことを語ってくれていて、やっぱりあの瞬間の田口くんも田口くんだったことを確認できてよかった。

「メンバーが嫌いになっての脱退じゃないんだよね?」という質問にまたドギマギした。そんな単刀直入に!?と。でも否定してくれた。インタビュー中何度も田口くんはKAT-TUNやメンバーとのことを「宝物」「友だち、親友」「絆が強い」「大切なもの」「誇り」なんて言葉で形容してくれた。

インタビューの中で、何度か「赤西くん」「聖」という名前が出てきた。田口くんがその名を口にするのを、久しぶりに見ることができた。特に私は5人時代からのファンだから、でんでんシンメはリアルタイムで見てきた。カツスタ、がつーん等々で二人の凸凹だけど暖かいトークを楽しく聴いていた。素敵な関係性だと思っていた。だから久しぶりに田口くんが「聖」と変わらぬ呼び名で呼んでいるのを見て、もう聞けない言葉だと思っていたから、何だか懐かしくて、それにまたグッときてしまった。

 

quarterでの涙の理由。

私はあの日あの場所にいた。田口くんの涙を見て、一瞬心がざわついた。突然だったから。ほんの一瞬、「田口くん、まさか」なんて思ってしまって、脳裏に嫌な二文字が過ってしまった。「いやまさかそんなわけない、この時期に田口くんがまさか、ありえないでしょ~!w感動しただけだよね!」とすぐに頭の中からかき消した。べスアを見た後、その予感が当たってしまった、と思った。

でも田口くんから語られたのは違った。私の予感は完全に不正解ではなかったけど、完全に正解でもない。よかったと思う。別れの涙じゃなくて感動の涙だったから、よかった。あの時既に田口くんは悩んではいたものの、あの時私たちは田口くんに一方的に別れを告げられていたわけではなかったようだ。

シューイチで中丸くんが「半年間話し合いをして…」と話していたのでてっきりあの時にはメンバーはもう知っていたのかと思っていたけれど、「メンバーのそれ(コンサート前のテンション)を崩したくなかった」から言い出せなかったと田口くんは話していて、なんていうかそれもすごく田口くんだなあと思って…。「メンバーは不安な思いを抱えながらコンサートをしていたわけではない」ということはよかったと思うし、でも「田口くんが一人でそれを抱えながらコンサートをしていた」ということにまた色々思ってしまって、難しい。でも、それもすごく田口くんなんだよなあ、と思う。

 

脱退の意思を告げた時のメンバーの反応。

それもまた、どこまでも私が信じたKAT-TUNの姿だった。

田口くんの将来のことを気にしてくれる中丸くん。"これからだろ"って残念がってくれる上田くん。早くから気付いていたかもしれないけど、引っ張ってきてくれた亀梨くん。三者三様で、全部、私の大好きなKAT-TUNだった。

メンバーからどういう言葉で引き留められたかについて、『俺がそれを言い出すと美談な感じになっちゃうんでズルいと思うんです。』だから他のメンバーのインタビューで聞いて下さい、と言う田口くん。今回のインタビューの感想を少し見た中で、特にざわついているのを見た部分。私はあまり引っかかりはしなかった。ただ、田口くんはズルいなぁ、と思った。それは嫌な意味ではなく。美談になってしまうからと自ら語ることを避けたこと。だから、他のメンバーに託すところ。メンバーにパスを渡せること。田口くんはまだKAT-TUNのメンバーだから、メンバーへの信頼がある、絆があると信じてるから託せたのではないかと、私は非常に都合がいいかもしれない解釈で受け止めた。

『本当に、なんていうか、"ウソついてないよ"っていうことは信じてほしいというか。自分に正直に生きていきたいなとは思って生きてきていて。』

『"こうだから!"と声高に言おうとも思わないですし、自分だけが言いたいこと言ってスッキリしたいということでも決してなくて……』

田口くんはこの脱退劇を美談にするつもりはなくて、メンバーやファンに申し訳ない気持ちも抱えながらの脱退で。今語れることを語れる分だけ正直に語ろうと努めている様子が伺える。都合のいい嘘もつかず、自己弁護も、自己満足的な釈明もせず。愚直だ。田口くんはひどく愚直な人だ。

『アイドルという夢を与える職業は僕には荷が重すぎた。ひとりの男として、もっと自由に生きたいと感じたというか……』

私は田口くんを「天性のアイドル」だと思っていた。笑うと目がなくなると形容されるほど満開な笑顔、きれいな顔立ち、長い手足、美しいダンス、なんだかんだで周りに許され愛される末っ子気質。KAT-TUNの太陽。アイドルという概念を具現化したような、アイドルになるべくしてなった天賦の才がある人だと勝手に思っていた。

その一方で私はアイドルに多くを求めすぎてしまう節がある。「私はアイドルとして生きるアイドルが好きだ」「アイドルたるもの……」なんて思ってしまう。私は人付き合いが苦手で、現実の人間が苦手だからこそ、アイドルは現実の人間らしさを突きつけてくるのではなく都合のいい偶像でいてくれるから好きなように楽しめるのが心地よかった。彼らの人間性ではなく、彼らが職業アイドルとしてどこまで偶像でいてくれるかという点を消費していた。「アイドル」の逸脱の基準はとても厳しい。普通の人間なら許されることでもアイドルだと許されないことは多々ある。その型に普通の青年をはめ込むのだ。歪さが生まれるのは当然の事なのかもしれない。

田口くんは嘘がつけない。愚直な人間だ、と先程も言った。だからこそ、その歪さを敏感に感じ取ってしまうのかもしれない。本当の、人間としての田口淳之介はその少しのずれが気になってしまって息苦しくなってしまったのかもしれない。自分に与えられた役割を、100%全うできないこと。嘘をついてでも笑って楽しいことを喋らなきゃいけないこと。私も昔から変なところでクソ真面目な方の人間だから、私みたいな人間が言うのはおこがましいと分かっているけれど、そういう点に関してなら何だか少し、ほんの0.000000000000001mmくらいなら、分かるかもしれないのだ。

アイドルを続ける上で最も大切なのは、才ではなく、覚悟だったのかもしれない。「アイドルに人生を捧げる」という、「人間としての普通の幸せを捨てる」という、恐ろしく残酷な覚悟だ。アイドルファンとして私は彼らに酷いことを強いていると思う。

でも、それでも田口くんが、仕事が好きかと聞かれた時に『大好きですね』と答えてくれたことが本当によかったと思う。

仕事が好きで、仲間が好きで、いじられキャラは無理してたわけでもなくて、でもその田口くんの言う「歯車」みたいなものだけ少し違う方向に動き出してしまって。仕事も仲間も手放すという選択をして。田口くんは苦渋の決断だとしつつも、前向きな決断だとも話していたけれど、それでもどうにかなる道はなかったのだろうとどうしても考えてしまう。

 

『俺のKAT-TUNとしての歩みは終わる。だけど、KAT-TUNは歩み続ける。』

この言葉に、「あ、田口くんは、本当にもう辞めるんだ」と思った。田口くん本当に辞めるの?ねぇ辞めるのやめよう?この4週間、何度もそう思った。どうにか説得すれば、なにか原因を取り除くことが出来れば今からでも戻ってきてくれるんじゃないかって、もしくは全部悪い夢なんじゃないかって心のどこかでほんの少しだけ思っていた。

でも、田口くんはもう覚悟を決めてしまったんだ、と思った。

俺のKAT-TUNとしての歩みは終わる。世の中にこんなに悲しい、決意の言葉があるのかと思った。

そして田口くんはKAT-TUNは歩み続けると信じている。それは田口くんのKAT-TUNへの信頼だと思った。どんなことがあってもKAT-TUNは歩み続ける。ファンがKAT-TUNの今後を危惧して要望ハガキを送りまくっている中で、それは去っていく人の無責任な言葉ととられるかもしれない。けれど、KAT-TUNはここで終わる人たちではないという、その中でずっとKAT-TUNを見てきた田口くんの絶対的な信頼のように思えた。

 

――例えば10年後、4人で"あのときはさ"って笑い合う姿って想像できる?

そう聞かれて、田口くんは少し悩みながらも、メンバーが誘ってくれるなら僕はよろこんで会いに行きます、と答えた。その言葉にまた泣けた。

昔から引っ越し・転校が多かった田口くん。田口くんにとって一番付き合いの長い友だちはKAT-TUNだ。だから、付き合いが途切れないでほしいな、なんていうファンとして勝手な思いは持っていた。「メンバーが誘ってくれるなら」という前提がつくところにも、「僕はよろこんで会いに行きます」という意思にも、両方泣けた。

それならもう、いっそのこと、もし全員その意思があれば、その時は4人と言わず6人でも、ね。そんなことも思った。

 

『いつまでも、ずっとずっと"We are KAT-TUN"って手を上げた瞬間に見えた景色は、忘れることはないと思います』

10000字インタビューは、この言葉で締めくくられていた。

なんだろうなあ。うん。嬉しいのと、寂しいのと、美しいと思うのと、色々な感情がある。

私は、quarterの5/10公演に入った。それが私にとっても彼らにとっても一番最近のKAT-TUNコンサート。春コンサートの予定が消えてしまった今、多分、田口くんの最後の「We are KAT-TUN」の景色に私は居た。

そのことを嬉しく思うと同時に、私の周りにはquarterの後にKAT-TUNのファンになった人がたくさんいて、その人たちはもう田口くんと一緒に「We are KAT-TUN」と言えないんだということも寂しく思った。今、田口くんのことを想ってくれている全ての人が、田口くんの思い出の中に何万の光の中の一つ、何百回のコンサートのうちの一回でいいから、彼の思い出の景色の中に入れたらよかった。そう思う。私もまだまだ田口くんが見るその景色の中にいたかった。もう一度、が叶わないかもしれないから、私はせめて手紙で彼に大好きだと伝えたくてあの日から何度かファンレターを送った。山ほどの手紙の中の一つでも、田口くんがこんなに愛されていたと知る一粒になれたらと。

 

私は、田口くんに「KAT-TUNを辞めてまで掴み取るものならば絶対幸せになって、幸せにならないと許さないから!」という気持ちと同時に、ちょっぴり「何年か経った時、ほんの少しだけ、KAT-TUNを辞めたことを後悔すればいいんだ」と思っていた。それは意地悪で思っていたというよりは、あんなに大好きだったKAT-TUNを離れて、いつか田口くんが万が一にもKAT-TUNのことを忘れて、KAT-TUNでいた自分を忘れて、「こっちを選んで正解だった」なんて思われるのがつらかった。嫌だった。KAT-TUNであった時間をもし否定されたりしたらと思うと寂しかった。勝手な私のエゴだ。そんな相反する気持ちがぐるぐると巡っていた。

けれど10000字インタビューを読んで、後者の気持ちは消え去った。

田口くんはKAT-TUNとして生きられたことが誇りだと。いつか死ぬ時まで"俺はKAT-TUNだったんだ"を胸を張れると言った。"We are KAT-TUN"の時の景色は忘れることはないと思うと言った。

KAT-TUNの田口くんを忘れたくない、KAT-TUNでいた時間の田口くんだけはずっとアイドルとして好きで居続けていたいと思う私も救われたような気持ちになった。

田口くんの覚悟は私が思っていた以上に固く、そして田口くんのKAT-TUNとしての自意識、KAT-TUNへの愛情も私が思っていた以上に深かった。

 

田口くん。ずっとずっと忘れないでください。あなたがKAT-TUNであったこと。沢山の人に愛されたこと。KAT-TUN田口淳之介として生きた15年間を誇りとして生きて下さい。そして、KAT-TUN田口淳之介を春までも、春が過ぎても、ずっと美しく愛すべきアイドルとして大好きで居続けさせてください。担当、という言葉を使ったことはない私だけれど、KAT-TUNのファンとして、KAT-TUN田口淳之介のファンの一人で居続けさせてください。

そして、一人の青年である田口淳之介として、絶対に絶対に幸せになってください。その素敵な笑顔を絶やさずに生きてください。

パフォーマンスは好きだから続けたいという希望はある、と言ってくれたこと、嬉しかったです。もしその道を続けるならば、KAT-TUNの15年間で磨き上げた武器を、また新たな場所でも輝かせてください。

勿論寂しいです。辞めてほしくなんかないのも本音です。もっと4人のKAT-TUNの景色を見ていたかった、KAT-TUN田口淳之介をずっと見ていたかった。

でもまずは何よりも、10000字インタビューを読み終わった今、改めて、私は声を大にして言おうと思います。

 

KAT-TUN田口淳之介さん。今までもこれからも、私はあなたが大好きです!

 

 

*1:細かい訂正をするなら、母と暮せばを公開初日に観て田口くんのことと重ねてちょっと泣いた

「可哀想なアイドル」はいない

「メンバー一同、誰1人として、"かわいそうなやつ"はいませんでした。」

 

これは、SexyZoneが1年半ぶりに5人としてリリースするシングル「カラフルEyes」のイベントが行われた後最初に更新された、SexyZoneの菊池風磨くんのブログの一文である。(正直、今回の記事で言いたいことはだいたいこの風磨くんのブログに書かれているので、ジャニーズweb会員の方は是非一度見て頂きたい)

 

私は「可哀想」という言葉が好きではない。

「可哀想」を辞書で引くとこうである。

同情の気持ちが起こるさま。ふびんに思えるさま。(goo辞書より)

 弱い立場にあるものに対して同情を寄せ,その不幸な状況から救ってやりたいと思うさま。同情をさそうさま。 (Weblio辞書より)

 解釈には色々な意見があると思うけれど、私自身は上記の引用のように「同情」「不憫」「自分より弱い立場の者に使う言葉」というニュアンスを強く感じてしまう。そして、それを言う側の人はどこか他人事な安全圏にいて(これは言い方によってニュアンスは変わるかもしれない。純粋に心配として使っている人がいたら申し訳ない)、言われる側の人について「ただ悲劇を被った被害者」「一方的な弱者」というレッテルを貼られているような気がしてしまうのだ。

 

だから私は「可哀想」という言葉が好きではない。特に、アイドルに「可哀想」という言葉がつけられるのが好きではないのだ。

 

私は、3人目の脱退が決まり現在グループの今後の活動が不透明な状態であるKAT-TUNについても、今回の新曲が決まるまで3:2の構図で活動してきたSexyZone・特にデビューしているにも関わらず長くJr.のような扱いを受けてきた松島聡くんとマリウス葉くんについても、デビューまでが長く現在も他グループに比べメディア露出が少なく「苦労人」と呼称されることのあるA.B.C-Zについても、一度たりとも「可哀想」だと思ったことはない。

確かに苦境には立たされてきた。ファンである私が想像もできないくらい辛く苦しい思いをしてきたことも多々あっただろう。

けれど彼らはいつだって全力で仕事に向き合い、ファンに向き合い、スキルを磨き、美しく気高くステージに立ってきた。素晴らしいパフォーマンスを見せつけてきた。今いる場所で、今できる最善のものを提供しようというプロとしてのプライドがあった。

そんな彼らは、弱者だろうか。悲劇のヒロインだろうか。不憫で同情しなければならないような人たちだろうか。

 

私は一つ一つの仕事に一切手を抜くことなく真摯に向き合う、アイドルとしてそのグループの一員としてプライドを持って作品やステージを提供する、信頼し尊敬しついていきたいと思えるアイドルが好きだ。アイドルの美しい生き様や覚悟を見ることが好きだ。

私個人の考えだけれど、私自身は好きなアイドルについて「この人たちを支えなきゃ、可哀想だから応援しなきゃ」と思ったらもうダメなんだと思っている。可哀想だなんて同情で支えなきゃいけないほど、私の好きなアイドルたちの生き様は弱弱しいものではない。「可哀想」という言葉は、私が信頼し尊敬しついていきたいと思っていた雲の上の存在であるアイドルを、自ら地上に引きずり下ろす言葉である。

 

今私は毎日のように事務所にKAT-TUN存続やコンサート開催の要望のハガキを送っているし、A.B.C-Zがもっと見たいもっとテレビに出てほしいという思いから番組に感想や要望を送ったりもする。けれどそれは彼らが「可哀想」だからじゃない。「彼らはこんなところで終わる人たちじゃない」と思っているからだ。

彼らは確かに不遇と言えるかもしれないが、そんな世間の声を吹き飛ばして余りあるくらいの実力があることを私は知っている。とんでもなく素晴らしいパフォーマンスができる、最高のコンサートが作れる、そして自分たちのグループやアイドルという仕事について強く美しい覚悟があることを知っている。だからそれをもっと世間に知ってほしい。「うちの人たちすごいでしょ!!????」と自慢したい。もっとでっかいステージに立ってほしい。彼らがその場所で笑っていて欲しい。

アイドルというのはそれを見るファンや視聴者ありきの存在であり、彼らだけでは成立しない商売でもある。彼らだけの希望では届かない部分、もうひと押し足りない部分についてファンが力を添えられるならと思って私は要望を送り続ける。

それは結局のところ、自己満足なのだ。「彼らの為に」じゃなくて「彼らを見たい私の為に」書いている。結局のところアイドルは偶像で、彼らが本当に何を望んでいるのか彼らが表に見せる姿だけでは分からないこともあるんだろう。だから私は私の為に声援を送る。可哀想な彼らの為に、じゃない。最高にかっこよく美しい彼らの姿を見たい私の為に、だ。自己満足だとしてもわたしは信じ、尊んでいるのだ。私が好きになった最高のアイドルたちのアイドルとして生きる覚悟とその生き様の美しさを。

 

「可哀想なアイドル」はいない。少なくとも私が見てきたアイドルたちは、「可哀想」だなんて人様に同情されるような生き様はしてこなかった。彼らはいつだってアイドルとしてプライドを持ち、どんな仕事であろうが全力で向き合ってきた。そこに「弱者」も「被害者」もいなかった。例えどんな茨道に放り込まれようと、その場所で出来る事を探し道をかき分け、茨で体が傷つこうとも歩みも思考も止めることはなかった。

 

私が見てきたアイドルは、どんな逆境であろうといつだって美しく気高かった。そこに、「可哀想」だなんて言葉は似つかわしくない、と私は感じているのだ。

二日目の夜

私の心は24日の夜のあの瞬間に置き去りにされていて、週末から週明けにかけての各番組等々が始まらない限り立ち上がって歩き出すことはできないと思っていた。この感情がなくなることが全く想像もつかなかったし今のこの感情をまだ手放したくないと思った。手放して、忘れていくのが怖かった。田口くんがいなくなるのが悲しいという気持ちをそのうち忘れるのが怖かった。今朝、次のがつーんで田口くんから話をしてくれると聞いて、あぁがつーん聞くまでは無理だな動き出せないなって思っていた。

今日は、色々なことがあった。

 

今日も授業が入っていないのでいつも通り家にひきこもって、そして昨日と同じように色んなツイートやブログを読み漁っては時折少し泣いていた。もう条件反射みたいだなと思った。青い瞳の千秋楽が素敵なものであるように願いながら、とりあえずやるべきことはやらなきゃなと思って、眠かったので(二日間深夜まで起きていたので普段よりも睡眠時間が少なかった)一旦寝てから24日以来放置していた卒論を再開しようと思った。

1時間くらい寝て、起きて、Twitterを開いたら、TLに「亀梨くん」「ファミクラ」の文字があった。何があったんだろうとすぐに色々ツイートを探して、何が起きたのか把握した。

 

私、亀梨くんの心が折れてしまうのが一番怖かった。ずっとKAT-TUNの「顔」として背負ってきた人。背負わされたんじゃなくて、背負ってずっとみんなの前に立ち続けた人。「KAT-TUN亀梨和也」であるプライドと誇りをずっと持ってきた人。彼はいつだって「KAT-TUN亀梨和也」として生き続けていたし「KAT-TUN亀梨和也」であり続ける彼のことが大好きだった。「KAT-TUN亀梨和也」をずっと信じてついてきた。だからこそ彼が折れてしまったら本当にもうダメかもしれない、って思いが心の底で少しだけちらついていた。でも本当に本当にダメならその時はもう無理してでも続けてなんて言えないと思っていた。

ごめんね、少しでも疑ってごめんね、やっぱりKAT-TUN亀梨和也はそんなにヤワじゃなかった。

 

プライベートでたまたま用事で事務所に来ていたという亀梨くんは、自らファミクラに顔を出して、その時にいた人たちに自分の口から話をして一人一人と握手をしたという。

「(自分を責めないで、とファンの方に言われ)自分を責めてはいないよ」「KAT-TUNとして謝る責任があるから」「ファンを悲しませるのが仕事じゃなくてファンを楽しませるのが仕事だから」「田口のこと尊敬してるし大好きだよ」「ドームでライブをするグループだから今後も隅でライブをするようにはなりたくない、ドームでライブをするグループでいたい」「ファンの人たちがいないと自分は何もできない、これからも応援してね」

そんなことを話していたと聞いた。私は実際にその場にはいなかったのでどんな表情でどんなニュアンスでどんなふうに喋っていたのかは分からない。でも、Twitterで流れてきたレポの中にあったこの言葉たちをただ抱きしめていたかった。

以前の記事で、私の見てきたKAT-TUNにはずっと消えない灯火があるように見えた、というようなことを書いた。灯火が消えてしまうかもしれないとベストアーティストの録画を見るたびに不安になっていた。でも、KAT-TUNという消えない灯火は確かにずっと今もそこにあり続けてくれたみたいだ。

発表されたコメントで、亀梨くんだけ「今」「4人のKAT-TUN」のことしか語らず、「応援してください」という言葉がなかったことも不安だった。

けれど亀梨くんはまだ諦めていない。ファンを楽しませるのが仕事だと言った。ドームでライブをするグループでいたいと言った。応援して、と言ってくれた。

アイドルに「応援してください」と言ってもらえることがこんなにも嬉しくて心強いことだったなんて、ジャニヲタを6年やっていて初めて知った。

KAT-TUNであり続けてくれるならライブ会場はどこだっていい、いてくれるだけでいい」と思っていた私はどうやら日和っていたようだった。ドームに、東京ドームにいるKAT-TUNが好きなんだ最強なんだって私はほんの6日前もいつものように友達に語っていた。私はまだ東京ドームでKAT-TUNにペンライトを振り続けたい。私はまだ東京ドームにいるKAT-TUNを2つのツアーでしか見ていない。

どうするのが正解なのかずっと分からなかった。どうすればもう3人が傷つかずに済むのかとずっと考えていた。KAT-TUNであり続けることが彼らにとって本当に幸せなのか、KAT-TUNでいてって懇願するのは場合によっては酷じゃないかとも思ってしまっていた。

でも、応援していい、ライブに行きたいと言っていい。KAT-TUNがまだ見たいと言っていい。亀梨くんにそう許された気がした。

悲しみをずっと持ち続けることしか選べなかった、この気持ちを忘れて隠して誤魔化すことが嫌だったのはほんの数時間前の朝のことだ。そのとき私はこの気持ちが少しでも晴れる日なんて想像できなかった。

でも亀梨くんは前を見てる。傷が癒えてるはずはないけど、納得はできていないと言っていたそうだけれど、この先の希望の道を考えている。明けることがないと錯覚しそうになっていた暗闇に光が差した気がした。ならばやっぱり私にできることは「KAT-TUNが好きだ」「KAT-TUNが見たい」そう声を上げることだと思った。少しずつ前を向いていいんだと思えた。私のツイートはあの瞬間以来ずっと陰鬱なものばかりだったけれど、今日の夜は久々に「!」をつけて呟けたし素直に他グループのいいニュースを祝うことができた。

 

それから間もなく、ジャニーズwebの「淳之介田口の話」が更新された。あの日以来誰も更新していなかったKAT-TUNのページ。今日彼は更新するだろうかと緊張していたけれど、更新してくれた。震える指先でこのページを開く日が来るとは思わなかった。

理由については発表時や報道と変わらないことしか書かれていなかった。

メンバーから説得があった。何度も悩んだ。そう書かれていた。

その間の仕事一つ一つは、メンバー全員がKAT-TUNのエンターテインメントを届けようという思いで全力で取り組んでいたことに偽りはないと。

もう壊れた涙腺も治っていくかと思ったけれど、「亀、ウエピ、中丸くん」の文字を見た瞬間にやっぱり涙が出た。全然治ってなかった。こらえきれるわけなかった。書きながらまた涙腺が壊れてることを自覚した。宜しくと言うそのKAT-TUNの中に、もう自分は入っていないんだね、田口くん。

この連載、そういえば4年も続いていたんだね。始まった時のこと覚えてるよ。あのころ、一緒に聖くんの「Ole!」の短期集中連載(のちに常設化)もあったよね。最初は週1回更新だったのを、ヤングサイドとアダルトサイドに分けて週2回更新にしてくれたよね。

「始めた当時の自分はまさかこんな文章を書くとは思っていなかったでしょう。」という言葉に、4年前の田口くんはこうなることをまったく考えていなかったんだなってことに、色々感情はあるけど一番は「よかった」だった。KAT-TUNが大好きでKAT-TUNでいることが楽しい田口くんは嘘じゃなかった。

「僕の宝物です。」に、ダメだった。また泣いた。泣いてる。ファンも週2回楽しみにしていたこの場所、宝物だって、過去形じゃなくてそう言ってくれるんだね。

結局田口くんがどうして辞めるのか直接的なところは分からない。尚更よくわからなくて今何が起きてるのか私は何でこんなに泣いてるのか時折よくわからなくなる。

それでも田口くんは今日もまた私の大好きなKAT-TUN田口淳之介だった。

連載だけど強制じゃないから今日更新しなくてもかまわなかった。いつも通りコーナーを始めることも選択肢としてあった。それでも田口くんは「今日は普通にお送りする気分にはならなかったので」と、辞める理由こそぼかしていたけれど、多くの人に向けた固い言葉じゃなくていつもの田口くんの言葉でメッセージを届けてくれた。

人によって色々な意見や思いがあると思うけれど、私は今日の田口くんの言葉でこれからもファンとして「4人のKAT-TUN」を春までまた見届けられると思った。いつも通り明るく楽しい連載じゃなくて、一度立ち止まって話をしてくれたから、この先のKAT-TUNの姿に置いて行かれずについていける、ついていこうと思った。タメ旅でいつものようにイジられたり体を張ったりしながら笑いあってる姿も、少プレでニコニコ笑いながらメンバーの話を聞いている姿もかっこよく歌い踊る姿も、がつーんで中丸くんと下らない話をしている様子も、受け止めて真っ直ぐ見ていけると思った。提供されたKAT-TUNの仕事としていつもみたいに楽しめると思った。とか言ってまだ本当に目にしたらダメでもう少し時間がかかると言い始めるかもしれないけど。そしてまた泣くかもしれないけど。多分泣くと思うけど。笑

 

私、基本的に、「あのときこうしてればよかった」「何であのときこうじゃなかったんだろう」ってぐちぐち後悔するのが嫌な人間で。起こってしまった事にはじゃあ今どうするかって考えるのが建設的だし後悔しても何も変わらないんだからって思っていた。

聖くんが抜けた時も悔しいし怒ったし悲しかったし寂しかったし引きずりはしたけど、最終的には自分の責任で招いたことだし仕方ないって思った。彼がKAT-TUNが大好きなのは知っていた、ずっと言っていた。私は時にKAT-TUNの自担と呼んだ上田くんを凌ぐレベルの勢いで聖くんが好きだと思う時もあった(担当にしようと思うことはなかったけど、自分の中の聖くんブームは強かった)。でもKAT-TUNでいられないかもしれない壊してしまうかもしれないリスクをとってまで彼自身が選んでしまったことがあるんだからって。5人のKAT-TUNは今でも大好きだしあの頃の聖くんを見て好きだな、かわいいな、かっこいいな、とは思うし今は今の場所で頑張ってほしいって思うけど、「今からでも戻ってきてほしい」とは一度も思ったことはなかった。

でもね、田口くん、今日の昼間思ったんだよ。今からでもいいから戻ってきてよって。彼が覚悟して決断したのは分かってる。でも田口くんがこの先のKAT-TUNにいないなんて嫌だよずっといてよって思った。戻らないことだと分かっていても思ってしまったんだよ田口くんにだけは。それくらい大きい存在だったってことだけは言わせて。

 

春までの猶予期間があることは双方にとってひどく残酷でもあるかもしれないけど、色々またこの2日で考えたけれどやっぱり私はよかったという結論に至った。私個人の思いだけど。だってあの日が最後だったらもう田口くんに大好きって言えなかった。ありがとうって言えなかった。今ならまだ言える。手紙も出せるしラジオにメールも送れる。最後を見守れる。

私、やっぱり何度考えても田口くんがKAT-TUNを心から嫌になって辞める、捨てるという気持ちで辞めるとは思えなくて。じゃあどうして、って、理由は推測することしかできないけれど。べスアで2曲歌い踊る時誰よりもKAT-TUNとしての仕事を全うしていた彼が、お別れまでの期間をくれた彼が、今日のじゅんたぐ話で「亀、ウエピ、中丸くん」と仲間を呼んだ、その3人のKAT-TUNをよろしくと言った、この連載を「宝物」と言った彼が、quarterの時大忘年会の前のトークでみんな変なテンションの中丸くんを無視しなきゃいけないのに一人だけすっごい笑顔だった彼が、キラリトで中丸くんと目を合わせて本当に楽しそうに笑っていた彼が、最後の挨拶で涙を流した彼が、全部嘘なんて到底思えない。私が信じたいだけかもしれない。でも私は担当じゃなかったけれど4年半見てきた田口くんを考えて、私はそう思う。思うことにした。私は信じる。

 

そして、タメ旅TwitterさんもKAT-TUNファン・タメ旅ファンにメッセージをくれた。私が願っていた「これから」、今できる範囲での一番欲しかった言葉だった。

少し話の時間軸は戻るけれど、今日の午前中はKAT-TUNがお世話になっている番組各所にメッセージを送っていた。楽しく拝見しています、大好きな番組です、KAT-TUNを愛してくれてありがとうございます、これからの放送も楽しみにしています宜しくお願いします、ということを伝えようと思って。文章を作成していて、どの番組にも本当に伝えきれないくらい感謝ばかりが浮かんでくることに気付いた。KAT-TUNは本当に愛されていた。こんなに愛のあるスタッフさんに囲まれてるんだって改めて気が付いた。KAT-TUN自身の人徳も勿論あるんだろうけど、私はいわゆるジャニーズDDに近いところがあるから色んなグループの番組を見てるけどこんなに自分たちが出ている番組から愛されている人たちなかなかないと思った。私は4年半前にファンになってからしばらくの間「KAT-TUNはなかなか番組に恵まれないなぁ」と思っていた時期があった。でも今彼らはこんなに素敵な仲間に囲まれている。今、改めて気が付いた。本当に感謝しかなかった。

 

暗闇の中で、少しずつ、手探りだけれどほんのわずかかもしれないけれど立ち上がる力のかけらを見つけた気がした、そんな一日でした。

やっぱり私は何度考えても何時間悩んでも「4人のKAT-TUNを春までファンとして全力で見届ける」「できるならこれから先もKAT-TUNが見たい」この二つの結論にたどり着くんだなぁと思った。

昨日と一昨日は3時とか4時とかまで眠れなかったけど、今日は少しゆっくり寝られそうです。もう一度じゅんたぐ話を読んでから、寝ようかと思います。

一日が経った

一日が経った。夜が明けたら何か新しいことが分かるかも、詳しいことが分かるかも、と思っていたけれど分かったのは「春コンが白紙になった」「KAT-TUNの解散の予定はないとしているが今後の話し合い次第」ということだけだった。朝起きたら全部悪い夢だったどころか事態が悪化した現実でしかなかった。

 

朝起きた時には悲しいしわけわかんないままだったけど涙はもう出なかった。けどZIPの山口くんやビビットの太一くんやevery.の小山くんのコメントにまた鼻がツンとしたしさっきまた昨日のべスアを見たらまた泣いてその後この件について書かれたKAT-TUNファンのブログを読んでまた泣いてた。もう何が悲しくて何が悔しくて泣いてるのかよく分からないけど4人、もしかしたらもう本当は3人と1人と書く方が的を得てるのかもしれないけど、の姿を見て、そして覚悟を決めたように怖いくらいいつも通りのKAT-TUNのパフォーマンスを貫く田口くんと全然いつも通りじゃない亀梨くん上田くん中丸くんを見ただけでなんかもう涙腺にきた。

 

私は昔から涙腺が固い方で、最近は歳を重ねたからかけっこう映画とかでもうるうるきたりするんだけど、アイドルの事で涙目レベルじゃなく本気で泣いたのはひみつの嵐ちゃんが終わる時以来の二度目だった。あの時は最終回エンディングのStill...とスタッフさんの愛のこもったアニメーションになんかこみ上げてきてちょっと泣いた。そして今回はあの時の比じゃないくらい長い時間泣いてる。聖くんの時も色々思うことはあったし落ち込んだし不安はあったし怒りもしたけど涙は出なかったのに。びっくりしている。

 

田口くんのことは結局よくわからなくて、近しい人の誰がコメントしても「驚いている」と言っていて、彼が何を考えてどうして大好きだった大事だったKAT-TUNを抜けるという選択しかできなかったのか全くわからない。もう、田口くんがどこかの国の王子様で30歳に王位継承のために国に帰らなきゃいけないからアイドル辞めなきゃいけないんだって言ってくれるのが今なら一番納得できる(真顔で言ってるの、笑うところです)。

 

今さっき、3回目に見たベストアーティスト、最初に見た時は亀梨くんがどうしようもなく心配だった。でも段々中丸くんがものすごく心配になってきた。表情がない。心がここにない、っていうか、あんなにひどい状態の中丸くんを見たことがない。もちろんつかえながら絞り出すようにコメントをした亀梨くんも、歌声が震えていた上田くんもそうだ。私はあんなにボロボロのKAT-TUNを見たことがない。私が見てきたKAT-TUNはいつだって美しく、どんな逆風が吹いてももう一度蘇る強さ、消えない灯火はずっとあった気がしたのだ。あの中で田口くんだけが本当に怖いくらいいつも通り爽やかでアイドルだったのに胸が潰される気持ちだった。4じゃなかった。あの瞬間KAT-TUNは決定的に3と1だった。もう戻れないんだと思い知らされた。

歌っている最中も田口くんだけが残酷なほどいつも通りだった。ビビットで出た太一くんとの写真もそうだ。彼は「来春まではKAT-TUN」という言葉を貫き通すつもりなんだと思った。いっそ嫌いになれたら責められたかもしれないけど、KAT-TUNの曲を伸びやかな歌声で歌い長い手足を大きく動かして豪快かつ綺麗に踊る田口くんは半年前東京ドームで見た大好きなKAT-TUN田口淳之介と1mmの相違もなかった。田口くんのダンスが大好きだった。もうKAT-TUNとしての未来を描くつもりのない彼が最後の瞬間まではKAT-TUNを貫こうと決めたのだろう固い意思が感じられて、いつもと変わらないそのパフォーマンスに安堵して苦しくて悲しくて酷で美しくて大好きでどうすればいいのか分からず涙だけが滲んだ。彼はこんなにも完璧に最後の日まではKAT-TUNを貫こうという意思があるのにどうしてこの選択だけは覆せなかったのだろう。

 

田口くんが4人のKAT-TUNがそこにいるのが当たり前じゃなかったのと同じように、KAT-TUNというグループがそこに存在することも当たり前じゃないんだと気付かされた。デビューしたからには当たり前だと思ってた、思わせてほしかった。でもギリギリまでずっと話し合いをしていた分、この先のことは多分本当にまだ何も決まっていないんだと思う。「春までは4人のKAT-TUNでやっていく」という保証の言葉は裏を返せば「春から先は何がどうなるかわからない」ということでもある。

 

ファン向けのコメントと、マスコミ向けのコメント、両方読んだ。亀梨くん、「残るKAT-TUN4人の時間を大切に」「今のKAT-TUNにできることを」と「今」についてしか言及しなかった。「時間を過ごして行きたい」ってそんな受動的な言葉、亀梨くんらしくなくて変に胸が騒いだ。何人になってもKAT-TUNでいるって言ってよ、これからも応援して下さいって言ってよ。生真面目で責任感が強い亀梨くんのことだから、全く何も先が分からない状態で無責任なことは言えないんだろうと思う。そう分かっていても怖かった。それがまだ亀梨くんが「言えない」状態にまでなっていることが怖いと思った。

「ファンの皆様にずっとKAT-TUNでいると約束したので、自分はファンの皆様が応援してくださる限りKAT-TUNでいたいと思っています」という上田くんのコメント、いる、じゃなくて、いたいと思っています、という言い方だったけれど今はそれで十分だった。上田くんはまだKAT-TUNを諦めようとしていない、それが分かっただけでも今は大きかった。そう言ってくれた勇気と覚悟に縋ってどうにか救われている。

 

数日前まで話し合いをしていた、という言葉に、私は20日のことを思い出した。「KAT-TUN4人がファミクラの関係者入り口にいた」という目撃情報。その日私はオタク友達と昼間ファミクラに寄った後ファミクラからそう遠くない渋谷のカラオケでquarterの映像を見てKAT-TUNの素晴らしさを語り合って、私が持参したシューイチ富士山旅やKAT-TUNの絶対マネたくなるTVの入口出口田口ゲームを見て笑っていた。多分KAT-TUNが目撃されたちょうどその頃は、同じくファミクラからそう遠くない渋谷の居酒屋で「KAT-TUNの春コンの日程早く発表してほしい!ツアーなら遠征もする!」「KAT-TUNの春コン、10周年だし見学とか後輩来てくれるかなぁ」なんて話に楽しく花を咲かせていた。ひどく残酷な話だと思う。あの時もう4人の未来は終わっていたかもしれなかったなんて。

 

3人がもう苦しいなら、3人で背負うには重すぎるなら、無理して続けろなんて酷なことは私には言うことはできない。それで3人が楽になるんならもういい加減解放する方がいいのかもしれない。

でも私はKAT-TUNの名前がなくなることが耐えられない。3人のKAT-TUNがどうなるかなんて想像もつかないし田口くんのいない3人のKAT-TUNを目にしたときどう思うか分からないけれど、KAT-TUNが存在しない2016年以降の未来を歩むことはもっと想像もつかない。

まだ先行きが全く分からないのならば、ここからの未来はこちら側の働きかけでほんの少しでも変えられる可能性があるかもしれないということでもある。ファンにできるのは声を届けることだけだけれど。「KAT-TUNが好きだ」「KAT-TUNが見たい」。微力かもしれないけれど、何もしないで春までの期間を呆然と見守っているよりもマシかもしれない。

とにかく、何が起きようと3人がどんな結論に至ろうと後悔しないように。春までKAT-TUNのファンとして駆け抜ける事しか今できる最大限のことは思いつかない。

 

雪が解けて春になった頃に「4人」はもういない

近いうちに、KAT-TUNの記事をたくさん書こうと思っていた。大好きなcomeHereコンのDVDがいかに素晴らしいか語る記事。4人が今最高に輝いてるからこそ残したかった5人の頃の思い出の記事。私がKAT-TUNで一番大好きな上田くんについて語る記事。10周年に向けて、新規ファンも増えてるし、私の周りでもKAT-TUN気になるって言ってくれてる人が増えてきたし、今静かだけど確実に波が来始めてると思っていた。タメ旅年末SPも決まって、10周年が楽しみで仕方なかった。いっぱいコンサートに行っていっぱい祝おうと思っていた。

10周年のその先を4人で見られないなんて思いもしなかった。

 

こんなツイートをしたのがほんの4日前だった。こんなに素晴らしいコンサートを作れてこんなに素晴らしい番組に恵まれて、これから先のKAT-TUNには光しかないって本気で信じていた。事務所に推されなくたって口コミでファン増えてるし!10周年盛り上がろう!って思っていた。コンサートツアーも下半期にグループの活動もほとんどない年、私は今年だけじゃなく一度経験していたのに。これは前兆だったんだって2年前に理解していたのに。

ほんの1秒前までKAT-TUNきた!赤コートキマってる!なんて思って幸せだったのに、「KAT-TUNから重要なお知らせがあると」と急に真剣になる翔さんの言葉に、メンバーの表情に、今から何が起こるのかと思った。今日は楽しいお祭りの日なのに、なんで、そんな顔を。嫌な予感がした。「私、田口淳之介は」とかしこまった様子で口にする彼に心臓が嫌に高く跳ねた。ドキドキと嫌に早くなる心臓の音を聞きながら、「やめて」「その先を言わないで」「私の予想とは全然違うことを言って」と思っていた。その願いは儚くも崩れ去った。直後私の携帯にはKAT-TUNのメール伝言板から臨時号が届いた。普段はほとんどメールをくれない伝言板。こんな臨時号二度と見たくはなかったのに。

 

明日の朝になったら新聞やテレビでの報道が本格的に始まる。情報は知りたい、田口くんが辞める理由の詳細もKAT-TUNのこの先も知りたい、でも今は夜が明けて報道が一気に世間に出回るのが怖い。他人事のように、しかし揺るぎない事実として報道されるのを私もいつもの日常を送りながら目にするのが怖いのだ。

 

発表されてから2時間、泣いては落ち着いて思い出してまた泣いてを繰り返して、ようやく落ち着いたので、録画したベストアーティストのKAT-TUNの部分だけを見た。

田口くんの脱退についてコメントをする亀梨くんは今まで見たことがないくらい言葉に詰まっていて、それでも最後まで気丈にコメントを終えた。上田くんと中丸くんはただ前を見つめていた。歌の最中、亀梨くんと上田くんは珍しく音を少し外していた。田口くんが歌っている間誰よりもアイドルで、いつもみたいに長い手足を大きく使って綺麗なダンスを見せていたのにまた涙が出そうになった。

 

もうメンバーにあんな顔させたくないって2年前に強く思ったはずなのにどうしてこうなっているんだろう。もう謝らないで自分を責めないでって思ってもきっと残される人はいつだって自分を責める。なかなか繋がらなかったジャニーズネットの会員ページ、ようやく繋がって自分の目で確認した4人の挨拶を見て胸が苦しくなった。悲しさと動揺と不安と色んな感情が入り混じってどう考えればいいのかと思っていたところに中丸くんの「ご迷惑をおかけする方達がいる以上、肯定はできませんが、…」という一文に救われた。田口くんだって人間だ、田口くんの人生だ、だからグループに嫌でも縛りつけるのはいけないんじゃないか。そう思う私もいる。けれど無理して肯定しなくていいんだって思った。聖くんの脱退の時、「正直、怒りもあります」と誤解を臆せず正直な気持ちを口にしてくれた中丸くん。そうだ、怒っていいんだって、この人には2年前も助けられたことを思い出した。

 

中丸くんは今年8月に放送されたザ少年倶楽部プレミアムの中丸くんと田口くんの京都二人旅で、中丸くんは調整役、という話の中で「まとめることができてるんであればメンバー減ってないしね?(笑)まとめることができてなかったってことですから」と自虐を零した。お酒が入っていたのもあるのだと思う。

中丸くんは今、また自分を責めているんだろうか。自分がもっとしっかりしていればって。きっとそれはフロントマンとして立つ亀梨くんも、もう一人の最年長であり一番先輩である上田くんも、それぞれに思うことはあるんだろう。そしてこのたった3か月前に放送された旅、田口くんだってきっとまだ何も考えてなかったわけじゃないだろう。田口くんはこの時どういう気持ちでこの言葉を聞いていたんだろうか。

田口くんは2度、メンバーの脱退を経験をした。残された側の気持ちをこれでもかというくらい味わってきたはずだ。その時のメンバーの思いも知っていたはずだ。「メンバーが脱退する」っていうことがどういうことなのか、痛いほど分かっていたはずなんだ。なのに田口くんはあんなに大好きだとずっと言っていたKAT-TUNを辞め、事務所を辞めるという選択を覆さなかった。そのことがじわじわと心の中に染みてくる。

 

quarterの時東京ドームで見た田口くんはいつもの楽しそうな笑顔で、KAT-TUNがメンバーが大好きって顔をしていて、最高のアイドルだった。けれどその場所を手放す選択をした彼は29歳の人間であることに気付かされてしまった。でも、まだ猶予はある。田口くんはあと数か月の間アイドルでいる。

田口淳之介にかかったアイドルという魔法が解けるまであと数か月。雪が解けて花が咲き乱れる頃彼はKAT-TUNではなくなる。

私は彼の脱退を心から肯定することはきっとない。だって人がこんなに悲しむことを肯定なんてできない。でも彼の人生だから真っ向から否定することもできない。これから情報がどんどん出てきてもっと詳しい色んな事情が明かされることになるんだろうけど、それで私が「何で」ってまた2年前みたいに怒ることになるのかもしれないけど、それでも今この瞬間の私は4人のKAT-TUNがどうしようもなく大好きでKAT-TUNとしてアイドルをしている田口淳之介がどうしようもなく大好きだった。

自分の口から話してくれてありがとう。田口くんのいるKAT-TUNを目に焼き付ける期間をくれてありがとう。「ありがとう」と「さよなら」を言う時間をくれてありがとう。心から肯定はできない、心から彼の決断を赦すことはできない、でも今はそう思っている。だって私はKAT-TUNでいる田口くんにたくさん笑顔と幸せを貰ったわけで、その4年半はたとえ今日から先何があろうとも嘘にはならないから。

 

脱退までの猶予期間が数か月あるのは逆に辛いかもしれないけど、私は4人のKAT-TUNを見届けたい。そして3人のこれからがどうなっていくのかも。

最後にもう一度、4人のKAT-TUNを生で見る機会があることを願って。

そして、来年の春以降も3人が笑ってステージに立っていることを信じて。

 

来年の春までの限られた時間、4人の姿を目に焼き付けます。

ABC座2015第一幕「サンズ・オブ・ザ・マッシュルーム」考察

本日・10月23日で私のABC座2015が終わりました。何度でも見たい舞台だった。叶うならもっともっと観劇したかったけれど、ものごとには終わりもあるし私の財布の中身も無尽蔵ではないので、思い残すことはないです。最高の秋だった!!!!!

 

さて、今年のえび座観劇が全て終わったので、今年のえび座1幕についての考察を少ししてみたいと思います。

ネタバレだらけなので、まだ観劇されていない方、ネタバレを見たくない方はご注意ください。

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