極彩色

語りたがり考察したがり、めんどくさいじゃにーずをたく

You are Entertainer. ―― ABC座ジャニーズ伝説2017

2017年の年始から夏にかけて、A.B.C-Zは5人がそれぞれに個人で外部の舞台に立っていた。シェイクスピア物語、Defiled、サクラパパオー、のど自慢、デストラップ。これはA.B.C-Z個人舞台を順番に観て最後、橋本くんのデストラップの観劇を終えた後、約半年間の個人舞台期間を振り返っての私のツイート。

 

今年の秋もABC座の幕が開いた。今年も例年通りABC座が観劇できる10月、ありがとう。今年のABC座の演目は2014年の再演以来の「ジャニーズ伝説」。ジャニーズ伝説の再々演。初演と再演ではファンタジックなフィクション要素も入っていたところを排除して、今回は極力真実に近い話に再構成したという形。

 

内容の話とか考察とかは他の方にお任せして(内容は言わずもがなとってもよかったです!)、私が一番心に残った点の話がしたい。それは、5人の演技とパフォーマンスのこと。

前回の上演は2014年5月。あの時点で外部舞台に出たことがあったのは、戸塚くんだけだった。2014年のジャニーズ伝説再演以降、5人はそれぞれに外部舞台で主演を果たし、グループから1人飛び出して舞台の上にも立ってきた。ドラマにも出た。演技だけじゃなく様々な仕事も経験してきた。

パンフレットなどでメンバーは「(同じ演目だから成長がより分かりやすいと思うので)前回よりも成長した自分たちを感じてほしい」というような話をしていた。そして実際、私はものすごく驚かされた。

 

橋本くん。細かい感情の機敏の表現がどんどん上手くなっているし、3年前よりも安定感がものすごい。どうしても舞台に立ってきた期間は5人の中では一番短いけれど、本当に全く引けを取らない。橋本くんの演技が好きだなあと思う。

そして演技だけじゃなく、歌!!歌なんですよ!!橋本くんが歌が上手いというのはずっとだけれど、ただ「上手い」だけじゃなく、役柄、楽曲に合わせて歌声が違う。表現力がもうめきめきと上がっている。これはコインロッカーベイビーズ以降ずっと感じている。コイベビは本当に大きかったんじゃないかなあと思う。橋本くん演じるあおいさんは歌が上手い。「歌が物語を動かす」話は歌唱力や表現力に説得力がないと、歌で観客の心を動かす力がないと難しいという話はコイベビを観た時も安田くんの俺節を観た時も私は散々したけど、やはり橋本くんの歌にはその力が宿っている。どんどんそれが強くなっていると感じる。歌で人の魂を震わせるようになった橋本良亮は絶対最強だ。

 

戸塚くん。前回のジャニーズ伝説上演以降も毎年舞台に立ち続け、ドラマや映画にも出演を果たした我らが演技番長。今回戸塚くんはジャニーさんとバリーディボーゾンの2役を演じていたけれど、ジャニーさんがハケて直後のシーンでバリーディボーゾンが出てきた時、その声色や雰囲気がガラッと変わってすごく驚いた。お茶目な一面も見せるジャニーさんから、髭を拵えたダンディーなバリーディボーゾンへ、ほんの僅かな時間で。これが演技力というやつなんだな…!と実感した。戸塚くんの演技力は知っていたつもりでも驚きが戸塚くんの舞台を観る度に更新される。前回のジャニーズ伝説でもそうだったし前回も思ったけど、一つの作品で何役も演じ分けられる戸塚くんの演技力はやはり素晴らしい。A.B.C-Zの舞台に戸塚祥太がいる強さ。

戸塚くん演じるジャニーさん、我々はジャニーさんに会ったことがないはずなのに、「ジャニーさんだ…!」って思えるのが面白い。戸塚くん演じるジャニーさん、私が勝手にイメージしているジャニーさんとぴたりと一致して、ジャニーさんという存在が我々の中に共通イメージとして内在化されているのも面白いし、戸塚くんの演技の絶妙さも想った。静と動のバランスがすごく好き。

 

河合くん。私はステージの上にいる河合くんが本当に本当に大好き。ステージの上にいるのが楽しくて仕方ない!この仕事が大好き!っていうのがニッコニコのキラキラの笑顔から、ダンスのひとつひとつから溢れ出している姿が大好き、と、今年も強く思った。

そして演技という面でも、表現力の幅がすごく広くなったように思う。橋本くんの話でも言ったけど、感情のグラデーションの中の微妙な色合いの表現が上手いなあと思った。数年前河合くんは特に女性との恋愛シーンなどを演じるのに恥ずかしさがあるという話をしていたけれど、コインロッカーベイビーズを経て、演技が楽しいと言うようになった。日本への帰国が決まった旨を告げるシーンの激しい感情の動きなど、河合くんの中にあった恥じらいの殻はもうないんだなと思った。すごくすごくよかった。

あと、ジャニーズを解散すると決めてそれぞれ一人になり、ステージが下に下がっていくときに、河合くんの表情が泣いているという話を聞いた。私は結局しっかりと確認することはできなかったのが残念だけれど、昨日の夜公演、ステージが下がっていく瞬間河合くんが俯いたのが見えて、遠目でもそれだけですごくぐっときてしまった。細部まで、一瞬一瞬を大切に演じる河合くんの演技、好きです。

 

五関さん。応援屋の時も思ったけれど、言葉も歌もなくただ踊るだけであんなにも人を惹きつけてやまない、心を揺さぶる五関晃一のダンスはとてつもない。橋本くんの歌が人の魂を震わせるならば五関さんにとってのそれはダンスだ。五関さんのダンスが本当に好き!Sing Sing Singで踊る五関さん大好きなので今回も見られてめちゃめちゃ嬉しかった。あまりに美しいダンスで何度でも見入ってしまう。

そして私はファウストの時からずっと思っているのが、舞台の上での五関さんの「声」がすごい。激しい感情と共に台詞を吐き出す時の、劇場の空気を切り裂くような鋭い声色がものすごく舞台に映える。去年の応援屋もそうだし、シェイクスピア物語でもそうだったけれど、今年のえび座ではまた一段とすごかった。1幕ラスト、俺は日本に帰らないと言う真家(塚田くん)に「辛いのはお前だけじゃねぇ!!!」と怒鳴る飯野(五関さん)、このシーン、この台詞は何度見てもハッとさせられるしびりびりくる。本っ当に、こういう瞬間の五関さんの声がたまらなく好きだ…。舞台に立ち続けるべき人だと改めて思う。

 

塚田くん。もうね、立ち居振る舞い、表情、ダンス、歌、演技、その一瞬一瞬が好き。好きじゃない瞬間がない。私は塚田くんの演技が大好きだということはもう何度も何度も言っているけれど、塚田くんの演技は年々さらに上手くなっていると今回のえび座を観て改めて思った。昨年の応援屋でも桂馬さんに将棋を続けてほしいと懇願するシーンをはじめ塚田くんの演技やっぱりいいなあ好きだなあと思っていたのだけれど、今年はそう感じるシーンがもっと増えて、その思いはもっと強くなった。

特に好きなのは、日本への帰国を告げられて「俺は帰らない」と言うシーンと、ジャニーズ解散の話が持ち上がった時の「俺はもっと先へ行ってみたい」「そんな簡単に解散なんて言うなよ!」と一人解散に反対するシーン、その後の「俺たち幸せすぎたのかもな」のくだりも。単純な喜怒哀楽じゃない、複雑に絡み合った感情が声色や表情から滲み出ていて、塚田くんの演技の引き出しがどんどん多くなっていることに塚田くんの演技を見る度に驚かされる。

そして昨日の公演では、塚田くんの演技が少し変わっていた。4月になってもアメリカに渡れないジャニーズ、というところで先週までは力なくぼうっと椅子に座っていたのが塚田くんは、昨日は椅子に座ったまま項垂れた。あおいさんと橋本くんが歌うシーンで、最初は項垂れたまま、そして顔を上げてコーラスに参加する(ここ少し曖昧なのでタイミング間違ってたらごめんなさい)。そしてその後の「俺たち幸せすぎたのかもな」の言い方。先週までは場の空気を変えるみたいに自分に言い聞かせるみたいに声を大きくして言っていたのが、昨日は静かにぽつりと、噛みしめるみたいに言っていた。真家の明るい声が響かなくなったシーンは解散ということの重みがこれまで以上にじわりと滲んでいくようだった。その後の戸塚くんの「君達が自分で決めたことならば僕は文句は言わない。いや、誰にだって文句を言う権利なんてないさ」も先週までよりも言葉一つ一つを丁寧に重みを持った響きになっていて、この変化は戸塚くん自身だけのことなのか、それとも先の塚田くんの演技の変化からの影響なのか、と考えた。そして後半日程ではっと変わる塚田くんの演技に、ボク穴千秋楽で演技が一気に変化した塚田くんのことが少し頭に過ったりした。役者・塚田くんが好きだし、目が離せない、面白い人だと改めて。

 

私の今年のえび座観劇は初日から始まり、その後大体一週間おきくらいのペースで観劇した。

これは私がA.B.C-Zのファンとして初めて5人の冠がついた現場に足を運んだ時、ABC座2014 ジャニーズ伝説を観た時からいつも思っているのが、5人のステージはいつだって全力だ。例え連日公演が続いていて休みがなくても、昼夜2公演の日でも、どれだけ忙しい時期でも、なんでもない日の公演でも、100%、いや120%のステージを見せてくれる。手を抜くことを知らない。いつ観に行ってもびっくりするくらい全身全霊のステージを見せてくれる。そんなA.B.C-Zのことを知っていてもいつでも新鮮に感動してしまうくらいに。

いやむしろ、彼らは公演を重ねるごとにダレるどころかどんどんギラギラしていく。ある日の公演、一番最後のNever My Loveの時に双眼鏡の視界の端に映った河合くんの目がものすごく楽しそうでステージに立つことに対して貪欲なギラギラした目をしていて、あああ私の大好きな河合くんだ…!!!と思いながら一人一人を双眼鏡で見ていたら5人全員がギラギラした最高にいい目をしていて最高にシビれた。

そして昨日。公演開始からちょうど2週間。2幕後半のショータイム、5BOXの5人の集中力、魅せる力。5BOXのパフォーマンスそのものもそうだけれど、5BOXの中でパフォーマンスをする生身の5人の姿が何よりも美しくて崇高で神聖なもののようにさえ感じられた。緊張の5BOXが終わった後に戸塚くんが叫ぶ、「ッカモン!ユーゲッゲッゲッゲッゲルマイハッッ!!!!!」、昨日は溜めて溜めてパワーを爆発させるみたいな言い方で、なんていうかすごい…ぐっときた…。からのテレパシーOne! Two!、Za ABC~5stars~。あの5BOXを経てもまだまだ踊る、この人たちの体力どうなってるの!!!!!?って本当意味が分からない。しかも全力なんですよ、全力も全力。5BOXの緊張から解き放たれた開放感もあるかもしれないけど笑、それでもMステで1曲踊るだけでも息を切らしていたテレワンをこの流れでキレッキレで楽しそうなキラッキラの表情で歌い、踊り、塚田くん中心に元気に飛び跳ねて会場を煽っていく。

一番最後のNever My Love。先程までの元気なダンスとはまた変わって、キレはそのままに、爪先までぴんと意識を張り巡らせた繊細で美しいダンス。その無駄のない美しい動きに見惚れ、歌声に聴き惚れ、間奏のダンスが素晴らしくてまた見惚れ。そして昨日は5人ともさらにスイッチ入ってたというか脂乗ってたというかもうなんていうかすごかったすごいよかった。表情も、歌声も、ダンスの動きひとつひとつも。特に戸塚くんがすごくて、スタンドマイクを抱きしめたり投げキスしたりもう素晴らしく絶好調だったすごかった。

 

本当、この人たちはとんでもねぇな、と思わされた。そういえば昨年の応援屋だって後半日程のサポーターズはどんどん力強さを増していっていたなと思い出す。客席から見ながら、武者震いが止まらなかった。

 

今年のABC座の中で、ジャニーズが悲しき雨音を戸塚くん演じるディボーゾンの前で踊って見せた翌日、ディボーゾンがジャニーズに「昨日の君たちは素晴らしいエンターテイナーだった」と言うシーンがある。

その言葉を借りるならば、A.B.C-Zも、心底エンターテイナーだな、と思う。

「水を得た魚」ということわざがあるけれど、多分それと「ステージの上のA.B.C-Z」は同義だ。ステージの上のA.B.C-Zはとんでもない。A.B.C-Zのステージが素晴らしいのは弛まぬ努力に裏打ちされたスキルの高さや仕事に対する真摯な姿勢なども勿論そうだけれど、何よりも彼らが魂レベルでエンターテイナーであるからだと思う。

えび座期間中は休みらしい休みもないだろうし、約2時間半の公演で演劇にショーに新装置、疲れていないはずがない。けれど彼らの目はどんどん輝きを増す。いつだって楽しくて仕方ないという様子でステージに立つ。ステージの上にいる時の彼らはステージの上の輝きや、観客の期待の目、手拍子や拍手(コンサートであれば歓声)が栄養源なんじゃないかもはや主食なんじゃないかレベルで、ステージの上で舞台のきらめきや観客のワクワクを飲み込んで巻き込んでどんどん自分たちの輝きを増大させていく。彼らの頭の先から爪の先まで、全身にきっとエンターテイナーの血が流れている。私はそんなA.B.C-Zのとてつもないエンターテイナーの血、魂、を感じる度に、ぞくぞくして仕方ない。とんでもねぇ人たちを好きになってしまったと思う。最高だ。

 

そしてA.B.C-Zはただのエンターテイナーではない。舞台の一番最後の最後、挨拶をした後にNever My Loveの大サビをもう一度歌う。まだカーテンコールというわけではない、誰が指示したわけでもないけれど初日から自然と観客が一人、また一人と立ち上がった。最後は劇場全体で立ち上がって、みんなで手拍子をして会場がひとつになって、アウトロと共に幕が下りる。あの空間の多幸感といったらない。

今年のツアーでも強く強く思ったし、応援屋もそうだったし、A.B.C-Zを好きになってから何万回何億回も思ったけれど、A.B.C-Zには、A.B.C-Zのステージには「幸福」がある。A.B.C-Zのステージはいつだってたくさんの幸福がその空間に充満する。びっくりする。びっくりするくらいに幸福なんだA.B.C-Zのステージって。

 

A.B.C-Zのステージは最高のエンターテインメントであり、そして溢れんばかりの幸福をくれる世界。A.B.C-Zの5人でひとつのエンターテイナーがつくりだすのはそういうステージ。ということを、改めて思った今年のABC座でありました。

 

前回の上演から一人一人がまた大きく力をつけて再びつくりあげたABC座ジャニーズ伝説。一人一人のスキルアップをものすごく感じたし、一人一人がすごくすごく輝いていた。本当に5人とも前回よりも何回りも大きくなっていて驚かされた。それぞれ主演を務められる、舞台から絶えずお声がかかる、そんな5人が集結したこのABC座はものすごく豪華で贅沢なことだと思った。

これから先どんどん忙しくなっていくかもしれない、ABC座のチケットも今後もっと取りづらくなっていくかもしれない。でも、A.B.C-Zというエンターテイナーはステージの上に立っていなければいけない、とあのステージを目の当りにしたら思わずにはいられない。

 

 

今年も最高の秋でした。日生劇場、またきっと来年!お会いしましょう!

5人は世界の色を変える

私がA.B.C-Zのファンになる強い後押しになった映像が3つある。

一つ目は2013年に日本テレビで放送されていたバラエティ「J'J A.B.C-Z オーストラリア縦断資金0円ワーホリの旅」。えび担には説明不要のワーホリ。

二つ目は「A.B.C-Z Twinkle×2 Star Tour」。同2013年のコンサートツアーのDVD。これで引き返せなくなった感がある。

三つ目はこちらも2013年に出演した日テレの朝の番組「スッキリ!!」での生ワンカメパフォーマンス、である。

 

2013年頃のA.B.C-Zは音楽番組でもそうでなくてもとにかくワンカメショーをすることが多かった時期で*1、中でもスッキリのワンカメは打ち合わせやパフォーマンスの考案、リハなどから密着してくれていたのだが、何よりもそのパフォーマンスがものすごく印象的だった。

パフォーマンスはスタジオがあるフロアの端の会議室。そこから長い直線の廊下を通って、スタッフさんが沢山いるサブを通り、スタジオに入ってフィニッシュという構成。

「スッキリ!!」は朝の情報番組であり、音楽番組じゃない。派手で豪華なセットもキラキラのスポットライトもない、ごく普通のほのぼのとした番組のセットだ。

 

パフォーマンスが始まる。

何の変哲もない会議室も廊下も、A.B.C-Zがキラキラのアイドルスマイルで歌い踊り駆け回ればそれだけでステージになるということを目の当たりにした。

ホワイトボードで自分たちの今の位置を示してみたと思ったら、長い廊下は塚田くんの連続バク転の花道に変わり、とそっちに気を取られているといつの間にか別のメンバーは衣装を変えている。スタジオに戻ってきたらスタジオ内の窓から顔を覗かせてみたり、セットに置いてあるアイテムはパフォーマンスを楽しくする小道具になる。そしてスタジオの一番広いところで歌って踊ってアクロバット

会議室や廊下、情報番組のスタジオ。そんなありふれた日常のひとつひとつ、そこにただあったものが「楽しい」の材料になる。何の変哲もない景色がA.B.C-Zによって鮮やかな色に塗り替えられる。そんなパフォーマンスにものすごくワクワクした。このパフォーマンスを私は何回繰り返し観たかわからないしA.B.C-Zが気になるという人がいたら絶対この録画を見せている。

 

A.B.C-Zが世界の色を変える」という感覚はA.B.C-Zのファンになってからもずっと更新され続けていて、あれから4年が経っても何度でもびっくりさせられる。

スッキリのワンカメみたいに、ありふれた日常の風景を。「どうせ出番は短いから」「またこの曲だから」なんてファンが勝手に抱いていた諦念を。ただなんとなく停滞した気分を。そういう何となく沈んだ色の景色を、世界の色を、A.B.C-Zのパフォーマンスはほんの数分、あるいは数秒で一気に塗り替える。世界はきらきらとした鮮やかな色に変わる。

与えられたステージを最大限に生かしたパフォーマンスの構成であったり、「いつもの曲」でも衣装やパフォーマンスの内容を都度変更して新たに楽しませる要素を絶対に組み込む姿勢、何よりもいつもパフォーマンスに真摯かつ5人がステージを心から楽しんでいるそのキラキラした目。彼らは心底アイドルであり、貪欲だ。常にもっと上を、もっと楽しいステージを、と最高に貪欲でだからこそいつも最高に眩しい。期待して待っていてもいつもそれ以上で応えてくれる。

A.B.C-Zのパフォーマンスが終わった後は5人がびっくりするくらいキラキラして見えて、そして目に映る世界の彩度が一気に上がって、世界の色ががらりと変わったような感覚に陥るのだ。本当に。

 

2017年9月18日、MステウルトラFES。

塚田くんの怪我が心配な中始まったパフォーマンスはこちらの心配なんて一瞬で吹き飛ばすほどのもので、怪我なんて忘れてしまうくらいしっかり踊りながらも塚田くんの足に可能な限り負担がかからないような、それでいて心配するファンを安心させるかのように今できる限りの動きを組み込んだ構成。それだけではなくて、Reboot!!!で使ったキューブを取り入れた新しいアクロバットさえも入れてくる。心配なんて全然する必要なかった。A.B.C-Zときたら、今の状況をものともしない最高のパフォーマンスをまた更新してきてしまった。

一連のパフォーマンスが終わっていつもの5starポーズをキメるA.B.C-Zの5色の衣装がすごく鮮やかで5人の後ろから光が出てるんじゃ!?ってくらいキラキラして見えた。

 

A.B.C-Zのパフォーマンスにあるのは、パフォーマンスの高い技術や派手なアクロバットは勿論だけれどそれだけじゃない。

彼らには、彼らのパフォーマンスには世界の色を変える力がある。私は結構本気でそう信じている。

 

 

A.B.C-Z、今日も本当にほんっっとうに最高のパフォーマンスでした。大好きだ!!!!!

 

*1:Mステ、音楽の日、PON!、徹子の部屋など

きっと愛とはこんなかたちをしている:後編――A.B.C-Z 5Stars 5Years Tour 名古屋

★大阪公演の話はこちら

tk46.hatenablog.com

 

ということで55ツアーブログ後編です。

 

私にはこのツアーの日程が発表された時点からどうしても行きたい会場がありました。
名古屋センチュリーホール

今回のツアーは平日公演が多くて土日が大阪名古屋しかない、関東から一番遠征しやすい会場が名古屋、というのもあるんですけど、個人的にA.B.C-Zと名古屋センチュリーホールにはものすごく思い入れがありました。

3年前のLegendツアー、私の初遠征にして初A.B.C-Zコンサートに足を運んだ会場こそがそこ。もうそれがむっっっっっちゃくちゃ楽しくてまた名古屋でやる時は名古屋に来たい!!と思ってからしばらく名古屋公演のないツアーが続き…そして今年まさかの再び名古屋センチュリー。また名古屋センチュリーで!!!???!!!A.B.C-Zが見られる!!!!!!???????行くしかない!!!!!!!!!!!!(泣)

発表されてからずっと祈って祈ってありがたいことに無事チケットもとれて、行ってきました名古屋3公演。どうしても他の日程は都合がつかず、ここが私のツアー最終地でもありました。久しぶりのホール公演。久しぶりの名古屋センチュリー。ホール公演初日。ドキドキしながら、最後まで全力で楽しもうって思って新幹線に乗車しいざ名古屋へ。最近は大阪遠征が多かったから名古屋めっちゃ近所に感じる。

 

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きっと愛とはこんなかたちをしている:前編――A.B.C-Z 5Stars 5Years Tour 大阪

2017年。A.B.C-Zデビュー5周年。5人グループであり、デビュー曲の「Za ABC~5stars~」をはじめなにかと「5」という数字を大事にしてきた彼らはこの5周年は年が明けるや否やイベントや写真集や個人舞台などなど忙しなく動き続けていた。そんな盛り沢山だったこの半年強。5周年はまだ続くけれどこれが5周年の一つの集大成と言っていいと思う。

 

7月30日、大阪城ホールA.B.C-Zデビュー5周年ツアー「A.B.C-Z 5Stars 5Years Tour」が始まった。

どこから書けばいいだろうな。とりあえず、時系列に沿って書いてみようと思う。簡潔にまとめられないし、今回ばかりはこのツアーのことをしっかり記録しておきたいと思うので、思ったことを思ったままに書いてみるよ。めちゃめちゃ長いよ。

 

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美しくありたければ強くあれ:「あやめ」について

こんにちは、NEVERLANDの感想記事を書いてから1週間足らずで「あやめ」をおよそ50回は再生している私です。

(NEVERLAND感想記事はこちら)

tk46.hatenablog.com

最近はNEVERLAND、QUARTETTOあたりを中心にNEWSを色々聴く日々ですが、コンサート終わってから2日くらいはあやめエンドレスリピート設定で聴いたりしてましたし、この約一週間は頭の中の2割くらいを常にあやめが占め続けていました。あやめこわい。(QUARTETTOといえばWonderがあまりにもかっこいいんですけど何で私は今までこの曲を知らなかったんだ!!!??少プレで歌った回録画見忘れてたと今更気付く…)

今年の楽曲大賞*1「あやめ」と「リメンバー」*2はもう私の中で投票内定ですありがとうございます。

 

あまりにも「あやめ」が好きすぎるので、感情の発散とみんなもおいでよあやめの世界ということで、何でこんなにハマったんだ?という気持ちを詰め込んだだけのブログを書こうと思います。

まず前提として、私には

・音楽的知識は皆無

・文学的知識も以下同文

加藤シゲアキさんのことも茶の間にわか程度の知識しかない

・コンサートも1回しか見ていなく、演出の記憶も曖昧な部分が多いので演出を絡めた考察はあまりない

ということを念頭に置いて頂けたらと思います。音楽的に・文章的にここがスゴい!という話もできませんし、これまでの加藤さんの歴史や思考を浚った考察もできません。ドにわかによるただ「ここが好きだよ!あやめ!」っていう話です。そんな感じで宜しくお願いします。

 

1.音の美しさと加藤さんの歌声

まずとにかく美しいんです、音が。

この曲に出会ったのがコンサート会場だったので演出でのライティングも影響しているかとは思いますが、この曲を聴いて私が思い浮かべる色は「透明度の高い紫或いは藍色」です。透き通った美しい紫~青のイメージ。歌詞の中にも「」という色が出てきます。楽曲の色のイメージというと一番最後にまた違う色が出てくるんですが、それはまた後程お話します。

この楽曲の雰囲気は、あえて例えるならばKAT-TUNの「Birds」「儚い指先」などの楽曲に似ています。私はこの2曲の雰囲気がものっっっっすごく好きで、昨年開催されたKAT-TUN楽曲大賞*3で私はBirdsのことを「まるで雨の夜にぴんと一本の糸を張ったような、儚く、繊細で、湿度のある、切なく美しい楽曲。」と表現したのだけれど、あやめにもそういう色を感じたというか…「どう表現すればこの美しさが伝わるのだろう」と語彙力の限界を感じながら私が言葉を尽くしたのがこのコメントなのだけど、あやめもどう表現すればこの美しさを伝えられるのだろう?と語彙力の限界を感じながらこの文章を打ち込んでいる。私の言葉なんかでは到底伝えきれないのは承知の上で、でも言葉を尽くして語らずにはいられない。

Birdsが「雨の夜」なのだとしたら、私の中のあやめのイメージは「俄雨の夕方」とでも言いましょうか。強い雨じゃない、小さな雨粒がしとしとと降っているイメージ。気付いたらじっとり濡れている感じの雨です。でも長雨でもない。

と、ここまで書いたところで加藤さん本人によるライナーノーツ*4を読み返してみたところ、序盤のキーワードのひとつはやはり「雨」だったようで、作者本人と解釈が一致していたようで安心しました。

 

イントロなしでいきなり歌い出しという構成も一瞬で心を掴まれる。加藤さんの声がまた効いています。きれいなだけじゃないかっこいいだけじゃない、本人曰くドライな声質ということなんですが、加藤さんの歌声には「人間」「生」の色がある気がしています。

これは上手いとか下手とかそういう意味では全くなくて、加藤さんの歌声って「人間らしい」と感じるんですよ。私が加藤さんの歌声を最初にいいなと思ったのはKAT-TUN×NEWSコラボの少プレでNEWSがReal Faceを歌った時なんですけど、その時KAT-TUNのゴリゴリの曲調に加藤さんのざらっとした歌声がすごく合ってる!と興奮したんです。まだ私がNEWSで加藤さんを気にし始めるより随分前でしたが一番印象に残ったのが加藤さんの歌声でした。(余談ですが、なので加藤さんにはずっとKAT-TUN系楽曲を歌ってほしいと外野ながら思っていて、ゴリッゴリのBLACK FIREの加藤さんのソロパートを聴いたときはキタアアアア!!!!と大興奮しました)

そんな「人間」や「生」を剥き出しにしたような加藤さんの歌声で歌うからこそ、私はあやめにこんなに惹かれたんだと思っています。加藤さんの歌声だからこんなに泥臭くて人間らしくて愛さずにはいられない美しいあやめになったんじゃないかなあ。

 

歌い出しが終わって、一瞬の無音の後に静かに音が始まるのもニクい。Bメロの「あぁあなたの~」の前にドンドン!って力強い音がアクセント的に加わるのも完璧かよ…!って思います。あやめのまた狡いところはここで、繊細で美しいだけじゃなくて力強いんですよ。でもただ力強いだけじゃなくて優しい強さです。これは歌詞についてもそうなんですが。

サビもまた印象的です。ライナーノーツで、サビをキャッチーにしようという意識を今回は極力なくそう、自分の中の芸術観を全部ぶつけようという意識で書いた曲であるということが書かれていましたが、この曲のメロディラインは本当に美しい。サビで無理やり盛り上がるでもなく、美しく流れるような揺蕩うようなサビ。流れる、ということは、聞き流す、という意味では全くありません。サビはキャッチーであれ盛り上がる箇所であれという意識を排除されてつくられたこの曲のサビは、この楽曲の全体を柔らかく包み込んでいるかのようでした。

ちなみにサビは低い音とファルセットを重ねて録音したとのこと。重なった歌声がこのサビの柔らかさをさらに膨らませているのかもしれないなぁと。

 

2番からはコーラスも入ってきます。このコーラスがまた美しい。あやめの芸術作品と形容することが相応しいような美しさはコーラスの美しさによって更に高まります。アイドル楽曲を批判するわけでは全くないのですが(アイドル楽曲にはそれの良さがあるしアイドルっぽい曲は私自身も好きなので)、この楽曲の芸術性についてはアイドル楽曲の域を遥かに超えていると思う。ジャンルを彼方まで飛び越えてる。

 

この曲では意外とピアノの音が使われていないんですが、大サビ前にそっとピアノの音が挟まれます。ぽつりぽつりと雫が落ちてくるかのような繊細で美しいピアノの音色がまた良い…!!

そして大サビでは、歌詞はこれまでとほぼ同じですが、音程が少しだけ変わります。大サビで音程が変わるというと音が上がるというのが一般的だと思うんですが、あやめの場合は下がります。でも音が下がる=盛り下がるという訳では決してなくて、最後のサビで音を落とすことによってこのあやめという世界が地に足がついたというか、大地のような広がりを感じるというか、こう、うまく表現できなくてもどかしいんですけど!!!私はあやめと加藤さんの歌声についてここまで何度も「美しい」と同時に「力強い」「人間くさい」と表現してきましたが、そのどちらもを感じるのが大サビのキーです。ライナーノーツでの言葉を借りるなら「熱を帯びる」ということなんだと思います。

「だから僕は生きていく」という歌詞がサビの中にありますが、キーが変わるだけでその歌詞の印象は変化します。最初のキーでの「だから僕は生きていく」は美しい世界の中で揺蕩うような印象を受けますが、大サビのキーでの「だから僕は生きていく」は美しい世界の中で自分の足でしっかり大地を踏みしめながら歩いていくかのような。まさに、コンサートで加藤さんが裸足でゴンドラの脚を駆け上がった姿のようなイメージです。私は大サビのこのキーが大好きです。

 

最後の「虹を歩いてく」の部分は音数が少なく加藤さんの歌声が強く心に響きます。この曲、イントロもアウトロもないんですよ。余分なものを省く潔さとそれにより強調される加藤さんの歌声、前述した加藤さんの声質によって生きてくる「あやめ」の世界観とメッセージ性がガツンとド直球でくる。この構成は改めて天才的だなと思います。まさに、芸術、であると思います。

 

しかしこれを作曲したのが他でもない加藤シゲアキさんだなんてもう本当にびっくりした。私の中でジャニーズの作詞作曲の天才は安田章大さんと上田竜也さんあと錦戸亮さんだと思っていたけどそこにもう一人加藤シゲアキさんが加わった。

 

2.歌詞が美しい

「決して空想 夢想の彼方 今だけはそばにいて 離さないで」

この曲は加藤さんのほぼアカペラによるこの歌詞から始まります。もうこの時点で、一瞬で心を持っていかれた。加藤さんがこんなに美しくロマンチックな歌詞を書くなんて聞いてない!!!

 

加藤さんが自分のソロを作詞していることは私の中でなぜか当然のことのようになっていました。確かヴァンパイアはかく語りきの時にはもうその意識はあったんだよな~。多分TLでの楽曲の感想とかを見てたから…。あと作家先生だしやるんだろうな~と思ったんだと思う。(逆になぜか作曲もしてるって発想は全くなかった)(楽器のイメージがなかったからかもしれない)しかし私にとっての加藤さんの文章=読了済の長編三作*5とシゲアキのクラウドのイメージしかなくて、ヴァンパイア~もタイトルからして厨二だからそういう小難しい系統が得意なのかと思っていた。から、加藤さんがこんな歌詞を書くんだという…衝撃がすごくて…。

サビの「~今だけはキスしてよ」という歌詞にもギャーッってなりました。加藤さんのアイドルさに激弱です。

 

「あやめ」の歌詞は美しいですが、流れるような美しさだけではなくて、聴いていてひっかかる単語や言い回しが多いです。ひっかかる、は悪い意味じゃなくて、印象に残ってハッとするような、ということです。

例えば最初に挙げた「決して空想 夢想の彼方」というところもそうです。「決して」って単語の強さとその後に続く言葉のふわっとした感じの対比が面白いからかなぁ。あと「時のまにまに」「幼気な」という言い回しの小難しいけど美しい感じだとかも印象的です。「紙で切れた指先のように~それでも前向いて歩こうや」のところもとっても好き。

「紙で切れた指先のように 伝わらない痛みを忘れないように」という比喩表現は流石作家だなぁと思いました。痛み、っていう単語だと色んな痛みをそれぞれに思い浮かべると思うんですけど、紙で切れた指先、伝わらない痛み、って言われると「痛み」の度合いが実感を伴ってむちゃくちゃわかるんですよね。紙で切れた指先って地味に痛いしでも伝わりづらいし一見見えづらいけどスパッといった感じがもう…あー思い出すだけで痛い…笑 そういう微妙な感覚を的確に伝える上手さたるや。

 

「空から落ちる蜘蛛の糸~」から2番サビ手前までは語りのような形になります。歌詞も全体的に美しいこの曲の中で「泥臭さ」「人間臭さ」を象徴するような箇所で、ものすごく印象に残ります。

「空から落ちる蜘蛛の糸 んなもんいらねぇ飛んでやらぁ」

私はコンサート会場でこの歌詞・曲・演出*6・加藤さんの歌い方(語り方)に心臓掴まれて完全にあやめに陥落しました。この部分の感想はNEVERLAND感想記事でも書いたので被るんですけど、んなもんいらねぇ飛んでやらぁ、って裸足でゴンドラを駆け上がる加藤さんの姿があまりにも衝撃でした。「あやめ」の曲に吹き込まれた強さは、きっと加藤さん自身の強さであると感じました。あぁ本当にかっこよかった、強い姿だった。

余談ですが私は櫻井翔のラップを聴いて10代後半を過ごした人間なので、こういう類の反骨精神や強さにめちゃくちゃ弱いです。Hip Pop Boogieの「大卒のアイドルがタイトルを奪い取る」「温室の雑草がマイク持つRAP SONG」やRe(mark)ableの「兎よりもカメ進む猛追」「研いだ爪隠し牙を剥く 予報士たち堪え俯く」とか皮肉や反骨精神バリバリで有無を言わせない強さを纏った翔さんのラップが最高に好きです。

だいぶ話が逸れた。

最後の歌詞が「虹を歩いてく」というのもすごく素敵です。雨がしとしとと降っているかのような最初の雰囲気から、熱を帯びる中盤、最後に雨が止み虹が架かる。

この「虹」は「多様性」の象徴であるとライナーノーツでは語られています。この件に関してはさらに次の項へ。

 

 

3.歌詞に描かれた「多様性」

この楽曲のテーマのひとつは「多様性」であると加藤さんはライナーノーツで語っていました。歌詞の最後に出てくる「虹」はその象徴的存在です。

「青と藍と紫のボーダーライン 見極めるなんてできないんだ」という歌詞がありますが、コンサートが終わってライナーノーツを読んでここの歌詞にむちゃくちゃ合点がいきました。青と藍と紫のボーダーラインを見極めることができないこと、ものごとはグラデーションになっているということを知ることこそ、多様性を理解する第一歩なんじゃないかと思うんです。

 

「あやめ」についての感想を見ていると、「私の為の歌のように感じた」と語っていた方を何人も見かけました。

多分、「あやめ」って、「あなたのためだけの歌」に成り得る歌なんだってこの曲で描かれる多様性について考えていて思いました。面白いですよねこれって。でも、「あやめ」は、聴いた人一人一人に寄り添える歌なんだと思います。

 

「あやめ」は、肯定をしてくれる歌です。世の中の色々なところに、見極める事のできないボーダーラインは転がっていると思います。私たちは日々色んな自己認識やレッテルを背負いながら生きています。「あやめ」はそんな自己認識やレッテルを全て剥がして、「他の何でもない、あなた自身であること」そのものを肯定してくれる歌のように感じました。

現実って、息苦しい。私みたいな人見知りコミュ力0ひねくれ者は特にそうです。

NEVERLAND=理想郷=多様性、というところからこの楽曲の着想を得たと加藤さんは語っていました。

「あやめ」は何も否定しません。多様であることを肯定する世界、自分が自分であることについて否定がされない世界。現実の息苦しさから解放される。美しい世界、まさに理想郷だと思います。

 

でも理想郷には、きっと強さが必要です。ここでもう一度語りたいのが「美しさ」と「強さ」。もう何度も語ったワードです。もう少しだけお付き合いください。

「never give up, beautiful world」

「消して嘘 感傷よ放て」

多様性について考えた時、印象に残ったのはここの歌詞でした。

美しい世界を諦めない。嘘を消して感傷を放て。「あやめ」は美しいだけじゃなくて、人間くさくて強い歌です。美しい世界を諦めない強さがあるからこそ、理想郷は生まれる。嘘を吐かなくてもいい、感傷も吐き出していい、と言われているように感じました。美しい世界を諦めない為の強さ、それこそがあの時東京ドームの真ん中で白い旗を掲げた加藤シゲアキさんという人の人間くさい強さなのではないか。

 

「世界は心の奥底にある だから僕は生きていく」

この歌詞なんですが、世界は私たちの心の中に存在するものなんだ、ってことなのかなぁと感じました。つまり、「世界」っていうのは我々の外側にあるものじゃなくて、我々が勝手に内在化しているもの。世界のボーダーラインを勝手に見極めようとしているのは私たち自身であるのかもしれません。私たちの心の奥底にある世界をもう一度見つめ直すことで、世界は美しいものに変わる可能性を秘めている。なんてこの詞を聴いて思ったりしました。

 

 

以上で「あやめ」の感想を終わります。

ここまで実に7,000字オーバー、この記事の執筆にあたって延々と「あやめ」をリピート再生していたらもうすぐ再生回数が90回に届きそうです。ワーオ…。

とはいえ「百聞は一見に如かず」という言葉の通り、私がここでいくら拙い言葉を振りかざそうと伝わるものはほんの少ししかないと思います。聴くのが一番早い。

 

「あやめ」がこんなにも美しく強く人の心を打つ作品となったのは、加藤さんだったから、だと思います。勿論他の人がカバーすることはできるし、他の人がカバーしたらまた新たな魅力も生まれるかもしれない。ただ、この楽曲が持つ真価は加藤さん自身の歌声と表現力があったからこそだと思っています。強く在るからこそ美しいこの曲は、加藤シゲアキという表現者によるひとつの芸術であり、聴いた人を柔らかく包み込む優しい楽曲でありました。

 

 

*ちなみにタイトルですが、ポルノグラフィティの「2012Spark」という楽曲の歌詞の中にある『優しくありたければ強くあれ』からもじらせて頂きました。この歌詞のこと、今まで実感を伴って理解することができていなかったんですが、今この一文を読んで加藤さんのことを思い浮かべています。

 

*1:毎年好きな楽曲に投票して皆で一年のジャニーズ楽曲シーンを振り返る非公式のファン企画「ジャニーズ楽曲大賞

*2:A.B.C-Z5周年記念シングル「Reboot!!!」通常盤に収録されているドチャクソかっこいいロック曲

*3:前述したジャニーズ楽曲大賞のスピンオフ企画

*4:ジャニーズウェブにて連載中の「シゲアキのクラウド」にて掲載されたNEVERLAND楽曲ライナーノーツ

*5:ピンクとグレー、閃光スクランブル、Burn.

*6:ゴンドラの脚を駆け上がる

拝啓、親愛なる神様

なんだか気が向いたので、今年は久しぶりに君の話をしてみようと思う。

(今回は自分語りを普段より多めにお送りしています)

 


私にとって二宮和也とは、「何」だったんだろう、とたまに考えることがある。

一番最初に好きになったアイドル。最初の自担。それは間違いない。だけど今私が熱を入れて「応援」しているアイドルたちとは「自担」に込められた感情はどこか違う。もちろん好きなアイドルやこれまでの自担それぞれに対する感情はそれぞれ少しずつ違うのだけれど。例えば今私が「誰担ですか?」って聞かれてまず名前を出す塚田僚一くんと、二宮さんに対してのスタンスはかなり違う。

 

私が嵐、及び二宮さんのファンになったのは2009年の夏~秋にかけて、私が高校一年生の頃のことだった。

それまで私は二次元が好きなオタク(正直オタクというほど詳しくはなかったけど、言動や性格は完全にオタクのそれだった)で、アイドルに全く興味はなかった。そのころはドラマもほとんど見なくなっていたし。ただたまたまチャンネルを回した当時土曜昼にやっていたVS嵐が面白かった、そこからじわじわと嵐が私の生活の中に浸食してくることになる(ちなみに私が二宮さんを推しに定めたのは「ゲーマーである」という情報*1、自担と言えるまでに昇格したのは嵐について色々調べていたときに出会ったかの二宮さんソロ曲「虹」である)

かくしてじわじわと嵐オタになっていった私は、テレビだけでなくCD、DVD、雑誌と嵐が出ているものはとにかくチェックする生活になっていく。今思えば当時の私は「ジャニオタ」ではなくただの「嵐オタ」で、「自担」は「一番好きなアイドル」という意味でしか使っていなかった。

 

さて、当時の私というのは典型的なコミュ障・オタク・ひねくれ人間の三拍子が揃っていた残念な女子高生だった。*2

友達:少ない。恋愛:興味ない。結婚:以下同文。子ども:苦手。動物:以下同文。運動:無理。チームプレイ:超無理。夢:適当に暮らせればそれでいい。

30~40人くらいの小さな教室の中で、週5日ずっと過ごす。学力とか選択科目とか進路とかが似通った者同士で組まれたクラス、そんな小さな箱庭の中で、友達をつくって、角が立たないように話を合わせて、恋愛の話とか部活の話とかクラスの話とかしたりして、なんとなく過ごして、みたいな、私はそういうのが苦手だった。

ありがたいことに出席番号が近い子たちにご飯に誘われて1~2年生の時はなんとなく一緒に過ごしていたけど…漫画の話しても向こうは一般人でこっちはオタク!オタクの深淵を覗かせない程度に表面的な話しかできない!なんか合わない!!!恋したーいって言われてもごめん私全くそういう感性ないからソウダネーって相槌打つ以上の回答ができない!!正直この会話を続けるより昼休みのうちに課題終わらせておきたい!!そして午後の授業に備えて睡眠をとりたい!!!!!!でも言えねぇ!!!!!!

話が合わなくても、こっちの時間を無為に浪費してでも、お弁当一緒に食べる友達って必要?ぼっちってダメなこと?だいたい、クラスのたった30人とか40人とかの中で気が合う人見つけろって誰が決めた?うちのクラスリア充ばっかなんだけど?恋ってなに?恋愛に興味ないっておかしいのか?

世の中の「普通」、世の中が要求する「見えない規範」がどこか息苦しかった。窮屈だった。でもその窮屈さを感じる自分が間違っているのかなー「普通」に順応しなきゃいけないのかなー(できないけど)とか思う自分も当時はいた。辛うじて。
そんなことをぼんやり考えながら、帰り道、途中で本屋に寄った。二宮さんの雑誌連載「It」をチェックするためだ。

 

いつの号だったかも覚えてないし、言い回しも覚えてない。ただ私の記憶が正しければ、二宮さんは「自分は友達がほとんどいない」「友達って必要?無理してつくる必要ないんじゃない?」みたいなことを言っていた。

私が考えていたことズバリ、だった。私の好きなアイドルは、私以上にめんどくさくて、そしてとんでもなく達観している人だった。いやアイドルが言うことじゃないこれ。笑。でも「友達って無理してつくる必要ある?」そう疑問に思っていたのは自分だけじゃないこと、「別にいいんじゃない?」と言う人がいてくれたこと、これは当時の私にとって結構びっくりなことで、そして結構自信になった。

 

また別の時には、テレビ(ひみつの嵐ちゃん「モテ嵐!ダメ嵐!」)で、何の話だったかは忘れたけれどダメ嵐=恋愛的に残念回答をして氷水かなにかに落とされた二宮さんが女性ゲストから非難轟々の中「俺は人間的に大事なものが欠けてるんですよ」みたいなことを言って開き直っていた。

 

これだ、と私は思った。「人間的に大事なものが欠けてる」、いやまじでこれ。自分にむちゃくちゃ当てはまる表現が自担から飛び出して膝を打った。そうなんだよ私大事なもの欠けてるんだよ!なるほどー!!人間というのは「名前がない状況」というのが苦手で、名前がつくと途端に落ち着くものだと思う。自分を表現する言葉って安心に繋がる。そして私以外にもそういう人がいる、しかも一番好きなアイドルから、それでも大人になってるしトップアイドルしてる、っていうのは余計に私の心を安心させるものだった。

 

あれから7~8年が経って、私はとっくに成人して、めんどくさい性格のままどうにかこうにか生きている。友達は少ない(日常的に遊ぶ友達はほぼいない)し、恋愛は興味ないし、結婚する気もないし、働いて夢を掴むみたいな野望もさらさらない。ちなみに高校3年生になるともう開き直って友達最初から作る気ゼロでずっとぼっち弁当・休み時間は課題と睡眠な日々を過ごした。今になると高校で友達つくっておけばよかったなーと思わないではないが、それはすごく気楽で私としてはとても効率的に時間を使えて満足している。友達らしい友達いなくても、それなりに楽しかったし。

 

紆余曲折あって私は「嵐オタ」から自他共に認める「ジャニオタ」になり、「嵐・二宮担」から「A.B.C-Z・塚田担」になった。

私にとって、塚田くんは「太陽」であり「希望」であり「未来」だ。塚田くんが笑顔でお仕事しているのを見るとこっちも元気を貰える。A.B.C-Zががむしゃらに走り続けている姿を見ると応援したくなる。私もがんばって生きよう…って思う。この人たちに恥じないファンでありたいと思う。応援して、一緒にこの人たちと未来を見たいと思う。前に進むための力をくれる人。

私にとって、二宮さんは「肯定」だった。存在の肯定。思考の肯定。「そのまま生きても別にいいんじゃない?」「変でもいいんじゃない?」って思わせてくれる人。私は二宮さんという人を知って、「人間として大事なものが欠けてるんで!」と開き直るという手段を手に入れた。(それが人間的にいいのか悪いのかは別として…)

 

私は、自担って「自分に今必要な存在だから」自担にしているものなのかもしれない、と少し思っている。必要、と言うと大げさかもしれないけど、いてくれたら人生もっと楽しく生きられる存在。回復魔法みたいなもの。私にとって今塚田くんとA.B.C-Zは日々を生きるために必要な存在。そして高校生だった頃の私には、二宮さんという存在はきっと必要だった…かもしれない。

あの時私が二宮さんに出会えたのは、嵐や二宮さんにとってはただファンが一人増えただけでしかなかったけど、私の人生において意味があったことだと思う。

 

もちろん、二宮さんのことはアイドルとしても好きだ。二宮さんの演じるように踊るダンス、歌声、大事なところでキメてくるアイドルセンス。バラエティでの圧倒的な頭の回転の速さ。どんな役でも器用にこなす相当な演技力。嵐が大好きなところも、自分が辛くても言わないところも、意外と照れ屋なところも、「アンチがいる方が面白い」という超ひねくれたところも、少年時代から食べ物の好みも趣味趣向もついでに顔も全然変わらないところも。

 

嵐と二宮さんのことは今もすごく好きで、大事で、宝物だ。でも「担当」と言うほど私は二宮さんのことを今は「担って」いない。毎週録画をだらだら続けてるVS嵐嵐にしやがれを暇なときに消化して、ニノさんはほとんど見てなくて、Itもベイストもほとんどチェックしなくなって、コンサートは嵐コンがむちゃくちゃ大好きだから応募し続けるしツアーDVDが出たら即予約するけど(今の私は言うなれば「嵐コン担」)、CDはよっぽど気になったものじゃないと買わない。

あえて私にとっての嵐と二宮さんを形容する言葉を探すのなら、実家であり、ある種の神様だったんだと思ってる。優先順位は変わっても、私にとって絶対的な存在。

今はいろんなグループにホイホイされている軽率なジャニオタだけれど、一番最初に好きになったのが嵐そして二宮さんでよかったと私は心から思うよ。

 

二宮和也さん、34歳(!)のお誕生日おめでとうございます。

私は私の世界に君が存在する人生でよかったと思います。

ありがとう。軽率で軽薄なファンではありますが、これからもどうぞ君の活躍を少し遠くなった距離からとはなりますが見させてください。

 

 

*1:オタクによくある親近感

*2:この三拍子については今も変わっていない

安田章大、の生き様――舞台「俺節」

※舞台「俺節」のネタバレがあります。

 

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