「“大人”任せにしていた子ども」では私はもういられないから

 夕日が差し込む教室で、僕はひとり小さく絶望した。それでも、どこか他人任せに「きっとこれから社会は良くなっていく。大人たちがいい方法を考えてくれる」と思うことにした。しかし実際、時間だけでは問題は解決しなかった。

 ケシャは現状を変えようと、辛い過去を告白し、世界へメッセージを発信する決意をした。僕はどうだ。あのとき他人任せにした大人の年齢にすでに達しているというのに、同じ年に生まれた彼女のような覚悟を持てているだろうか。

(『できることならスティードで』Trip6 ニューヨーク/著・加藤シゲアキ

私がNEWSを好きになって、加藤シゲアキさんに猛烈に転がり落ちた頃。ちょうどその頃、当時『できることならスティードで』が連載されていた小説トリッパーにこの『ニューヨーク』の章が掲載された。

この文章を読んで以来、今に至るまでずっと、この言葉が胸に刺さって抜けない。

図星だったからだ。私にとっても。あのとき20代の半ばだった私は、ずっと見て見ぬふりをしてきたことをついに目の前に突き付けられてしまった心地だった。

もう私は、「“大人”任せにしていた子ども」ではいられない年齢になっていた。

いい加減、それを自覚しなければいけない年齢になっていたのだ。

 

 

私はド文系なのだが、文系科目の中でも苦手な分野はいくつかある。その筆頭が「政治・経済」だった。

本当に苦手だった。私にとって理系科目と同じように頭にどうしても入ってこない分野で、テストはひたすら丸暗記でどうにかクリアしていた高校時代だった。

そんな感じで生きてきたので、選挙権を持ってからも正直何年かは「どうせよくわかんないしな~…」「この1票で何が変わるでもないし…」という気持ちが強かった。それでも毎回投票には行っていたのは、当時実家暮らしだったので選挙の日家族が投票に行くのと一緒に行くという流れがあったのと、嵐担だったので翔さんが選挙特番をやっているのに行かないわけにはいかんだろうというオタクとしての責任感みたいなものだった。

選挙の日の朝、選挙公報をざっと読んでどこに投票するか決めて、とりあえず形だけでいいから投票に行く。夜は翔さんが出ている選挙特番を見て、なるほどこんな結果ね~ととりあえずざっくりした結果を確認する。

それが20代前半までの私の選挙との付き合い方だった。

「どうせわかんないし」「私が入れたって」と言い訳して、「いつかもっと大人の人たちがなんとかしてくれる」って思って正面から向き合うのを避けてきた。そうこうしているうちに20代も半ばになって、「このままでいいのか」ってじりじりとした焦燥感が心の奥底にはあった。でも何をどうすればいいのか、政治は難しくて私には分からないし、と思って動けずにいた頃、前述の加藤さんの文章を読んだ。

図星で、心に強く刺さってしまった。揺り動かされて、苦しくもなった。

私ももう、「あのとき他人任せにした大人の年齢にすでに達している」。だというのに何もできていない。

私はもうお酒だって飲めるし、吸わないけど煙草だって吸える年齢だし、社会人だし、選挙権だってある。私はもう無責任なままでいられる、大人に責任をとってもらえる、“子ども”ではいられない。

これからの世界に責任をもっていくべき“大人”なのだ。

 

 

そこから少し時は流れて、2020年春。新型コロナウイルスが世界中に蔓延し始めこれまでの「日常」が崩れ、不安な空気が日本中を支配していた頃、ツイッターがにわかに騒がしくなっていた。

検察庁法改正案の問題である。

これまで政治の話をする人も少なかった私のジャニオタアカウントのTLでもツイッターデモに参加する方がちらほらいて、トレンドにも入ったりして、「何か大変なことが起きているらしい」と思った。これに対し何かアクションを起こすべきか。声を上げなければならないのではないか。そう思ったが、しかし付け焼刃の知識だけで空気に流されるように声高に叫ぶのも違う気がする。まずは調べなければ。ツイッターで解説してくれている方もいたが、他の媒体からも自分で調べた方がいいと思って色々検索していた。

しかしここまで政治というものに対して知識も関心も薄くどこか他人事で生きてきた私にとって、専門的な説明をされても頭を上滑りしていくばかりだった。しかしここで理解を放棄してしまったらまた繰り返しだ、と、頭の中にかつての加藤さんの文章が蘇る。

「きっとこれから社会は良くなっていく。大人たちがいい方法を考えてくれる」――そう思って投げだしてしまえば楽だ。だけど、私こそがもうその「大人」の年齢になっているのだ。

そうやって検索をしている中で、辿り着いたひとつのラジオ番組があった。

評論家の荻上チキさんがパーソナリティを務め、フリーアナウンサーの南部広美さんがアシスタントを務めるTBSラジオのニュース番組荻上チキ・Session」である。(※当時は現在とは時間帯が異なり、番組タイトルも『荻上チキ・Session-22』だった)

www.tbsradio.jp

その番組の中で検察庁法改正案の件について解説があると知り、聴いてみることにしたのが最初だった。(当時の放送の記事がこちら

ちょうど当時、コロナ禍の影響でテレワークになり自宅での仕事中何かBGMが欲しい…と思いいくつかラジオを聴き比べた結果平日デイタイムのBGMがTBSラジオに落ち着いた頃で、自分の中でもTBSラジオへの好印象が高まっていた頃だった。

夜22時。ちょっとドキドキしながらラジオをつけて聴いてみる。

分かりやすくて、そしてめちゃくちゃ聴きやすくて驚いた。

勿論当時ニュースにもあまり触れていなかった私なので咄嗟に理解しにくい部分はあったが、そういう部分もチキさんたちがさりげなく説明を加えたり言い換えたりしてできるだけ平易に、誰でも理解しやすいように嚙み砕いてくれる。

それでいて議論は真に迫っており、感情的・イメージだけの論はなく、データや事実に基づき極めて理性的に議論をしてくれる。

聴いていてストレスが全くなかった。

その理由に、私は後に気づく。

番組HPに書かれている番組のモットー。「ポジティブな提案に繋げるための『ポジ出し』」。なるほどなーーー、と思った。

確かにSessionでは「これこれこういう嫌なニュースがありますね」とかだけでは終わらない。特に時間をとって議論する特集コーナー「Main Session」においてはどんなにキツい現実に直面したとしても、聴いているだけで辛くなるような話題だったとしても、「じゃあこれからどうすれば良くなる可能性があるか」「今、自分たちには何ができるか」を必ず一緒に考えてくれる。現実を直視しながらも、それでも諦めず投げ出さず、ポジティブな提案に繋げてくれる。

それがものすごく、聴いていて、私には居心地がよかったのだ。

当時私はテレビをほとんど(好きなアイドルが出ている番組以外)見なくなっていた。テレビをつければコロナコロナで気が滅入るし、映像メディアは私にはがちゃがちゃと情報量が多く感じていた。

でもラジオではそうは感じなかった。必要な情報を過不足なく伝えてくれ、時にパーソナリティの方がリスナーに寄り添いながら話してくれる。そんな世界だけどどうにか生きていこうやっていこうってリスナーの手を取ろうとしてくれる。

「Session」は特にそういう番組だった。

 

以来、私はちょくちょく「Session」という番組を聴くようになった。当時は平日夜22時からの約2時間の放送で終了時間が24時頃となるため、毎日全編をリアルタイムで聴けることは正直あまりなかったが、気になるニュースがある時にはリアルタイムで聴いたり、後から気になるところだけでもradikoのタイムフリー等で聴いたりしていた。

他にもほぼ毎日デイタイムTBSラジオを聴いている生活の中で、「伊集院光とらじおと」の中の「伊集院光とらじおとニュースと」のコーナーであったり、各番組の間に挟まれるニュースコーナーであったりで日々のニュースを知り、そして「Session」で気になるトピックについてより詳しく知っていく。そうしてニュースへの接点がほとんどかったと言っていい私も、少しずつではあるがニュースであったり現在の社会問題について知っていくことができた。

 

その年の9月末にTBSラジオの改変があり、夕方の帯番組であった「ACTION」が終了。その後番組として「Session」が移動してくることになった。

私は「ACTION」リスナーでもあったので終了はかなり寂しかったし、夜の時間帯にしっとりしっかり議論する「Session」が夕方に移動でどうなるのかちょっと不安もあったのだけれど、結果的にその枠移動が私にとってはかなりありがたいな…と思えるようになった。平日夕方=業務時間中になるので、在宅勤務であればその時間はデスクの前に確実におり、毎日習慣的に聴くことができるようになったからだ。(勿論ミーティングが被っている時や仕事内容によっては聴けない日もあるが)

 

 

「Session」を聴いている中で、強く印象に残った言葉がある。

どの回だったかは覚えていない為遡れないし正確な文言ではないと思うのだが、このようなことを言っていた。

(その問題等について)考えないでいられるのは、それだけで特権階級である」

ああそうだな、と思ったし、心に深く刺さった。前述の加藤さんの言葉と同じように。

私もそうだ。ずっとそうだった。考えないでいられた、それだけでもう特権階級にいたのだ。

同時に、「そんな特権階級になんぞ居たくない」と思った。

そこにある問題で苦しんでいる人がたくさんいて、だけどそれを見て見ぬふりをして、考えないようにして、特権階級に当然のような顔で居座り続ける人間になりたくないと思った。

いや、結局当事者でその痛みの存在を無視したって生きていけるだけで結局特権階級なのかもしれない。だけど。それに安住するような人間になりたくない。せめて私は、「私が特権階級である」ということを自覚していたい。そしてそのうえでできる限り考える人間でありたい。

 

しかし、世の中にある全ての問題に精通して100%で常に24時間365日向き合い続けるなんていうことは、私には難しい。知識も足りないし、それに耐えうる精神的な強さもない。私のキャパではそんなことを目指したらすぐパンクしてしまうだろう。

だけどせめてアンテナだけは立てていたい。アンテナを立てて、知って、知ったなら考えることを諦めずにいたいし、私が特に興味のあるトピックだけでも私にできるだけ都度向き合って考えるようにしていきたい。

世の中、特に政治や社会問題については「分からないやつは黙ってろ」みたいな風潮があると思う。しかし、「分からない」やつでも喋る権利はあると思うし、「100%理解している人間じゃないと喋っちゃいけない、関わっちゃいけない」んだったらそんなの喋れる人はどのくらいいるだろう。政治も、社会も、「私たち」の生活に直結している問題なのに?

「今、生活をしている中でこういうことが大変だ/生きづらい/もっとこうだったらいいのに」と思っていること、ほとんどの人には大なり小なりあるんじゃないかと思う。それは自分の責任だと思う?

いや、突き詰めていけば、それって政治や社会の問題になるんじゃないか。「個人の努力」「自己責任」と思いがちなことだって、政治が変われば何かが変わることがほとんどなんじゃないか。

そしてそういう政治や社会を変える術は、力は、私たち“大人”の手の中にあるのだ。

 

 

第26回参議院議員通常選挙の投票日は、7/10(日)です。

期日前投票は既に始まっています。有権者のもとにはもう各自治体から選挙のお知らせが届いているかと思います。

 

「私の1票」はそれだけで明確に世界を変える劇薬にはなり得ない。けれど私の手にはこの、世界を変えることに繋がる可能性を確かに秘めている「1票」の権利がある。全ての有権者に対等に与えられた重みであるこの「1票」の積み重ねでしか選挙の結果は変わらない。変えられない。逆に言えば、未来を変えられるかもしれない権利が、我々“大人”の手には与えられている。

私たちはもうとっくに“子ども”ではいられない。あの日「大人たちがいい方法を考えてくれる」と思った大人に私たちはもうなってしまった。

だからせめて、遅くはなってしまったが今からでも大人としての責任を自覚して生きていきたいと思うのだ。

 

インターネットを始めて十数年も経つと、知り合った頃はただオタクとして楽しく遊んできた仲良くさせてもらっているフォロワーさんやお友達の生活も変わっていって、家庭を持ったりお子さんができたりという方も多くなった。また、好きなアイドルたちも同じだ。私自身は家庭を持ったり子どもを育てたりというビジョンは全くないけれど、そうやって私の好きな人たち、大切な人たちにとって大切な人が増えていくのを見守ってきた。

そうしていくうちにふと思ったことがある。

私の好きな人たちや大切な人たち、そして彼ら彼女らにとっての大切な人たちがこれからの未来生きていく場所もこの世界、そして(大抵の場合は)この日本なのだと。

たとえばそのお子さんたちが大きくなった時、今と何も世界が変わっていなかったら。いや、もっと悪くなっていたら。そう思ったら、ものすごく嫌だなと思ったし、申し訳が立たないと思った。

そして同時に思ったことは、その未来を変える権利は私たち“大人”に与えられているということ。選挙権をもたない子どもたちは、その権利すらまだ持てないのだということ。

ああ私たちの世代まででなんとかするしかないじゃん、って思ったのだ。

この社会に蔓延る諸問題――例えば女性にとって特に身近に感じられるもののひとつはジェンダーにまつわること、ハラスメントであったり差別や偏見といったものがあると思うが(このあたりは「#未来に残さない偏見」の企画サイトが見やすくまとまっていると思います)、そういうのがフォロワーさんとか好きなアイドルとかのお子さんが大人になる頃まで全然変わらず残ってたら、すごく嫌だなって思いました。嫌じゃないですか!?私は嫌です!!!!

女性への差別や加害も、家父長制もホモソーシャルな社会も、LGBTQ+への差別も偏見も、他にもたくさんありとあらゆる問題、もうこんなもん私たちの世代までで終わりにしてぇ~~~~!!!!政治に絶望してこんな日本で生きてるの嫌だな…とか思いたくない~~~~~!!!!って思いました。

 

「そうはいっても私は政治に詳しくないし、何から手を付けていいかわからなくて選べない、そんな状態で投票に責任なんて持てない…」と思う方も多いかと思います。私だって正直まだまだそうです。今回の選挙で争点となっていることをしっかり網羅して考えられているわけでもない。でも、それでも胸を張って投票に行っていいと思っています。

例えば、気になる争点だけで考えてもいい。今の自分の生活を振り返って、何がもっと良くなって欲しいか、という点で自分の身近に引き寄せて考えてみたら、何か見えてくるものもあるかもしれない。

お子さんがいる方なら子育て政策に注目してみるとか、生活がキツいから賃金や雇用をどうにかしてほしいと思ったら雇用や経済政策に注目してみるとか、最近よく聞くインボイス制度って結局何?って思ったらインボイスについてちょっと調べてみて各政党のや候補者の考えを比較してみるとか、エンタメが好きだったら文化芸術分野に対する姿勢はこの党や候補者はどうだろう?やエンタメ業界のハラスメント問題について各種ハラスメントに対する姿勢について見てみるとか、戦争は絶対嫌だし外交や安全保障が気になるという方は憲法改正についてとか。

さっきの漏れてしまった叫びでもうバレている気がしますが、私は特にジェンダー、LGBTQ+等の諸問題に関心が強めなので、そのあたりの政策を特に重視して見ていこうと思っています。私自身が現時点でAセク/Aロマ自認であるということもあります。(Aセク/Aロマとはなんぞや?という点に関しては、「AセクAロマ部」さんで丁寧に解説されているのでご紹介します)

そんな感じで、争点はそれぞれで良いのだと思います。前述の「Session」で前回の衆院選の時に話されていたのが、選ぶとき「ワンイシュー=一つの争点だけ」で選ぶのもアリだということ。私はこの争点をとにかくどうにかしてほしい!というのがあれば、それだけで決めたっていいのだと思います。「全てが私の考えにぴったり合致する」候補者や政党がいればそれは理想ですけど、そういうことっておそらくなかなかないことなので、自分の中で優先順位や注目点を決めてその上で色々見てみると整理しやすいしとっつきやすくなるのではないかと思います。

そんなにきっちりひとつひとつ見ている時間がないよ!!!という方は、今は色々一目で比較できるサイトやボートマッチを作ってくださっている方も多いのでいくつか紹介します。これ、比較してみると、「こんなに違うのか!」とか思って面白いし、選ぶのって大事なんだなって思います。

個人的に、現政権の主張にも注目してほしいなと思っています。

選挙権を持ったばかりの頃、私は「現状の生活で満足してるなら現在の与党でいいかな…」ってぼんやり思っていました。

でも、そうじゃなかったなと今になって思っています。

今の形の与党の政治が続いたとして、「今の生活が変わらない」保証なんてない。

(例えば、直近で議題となっているインボイスの件などが分かりやすいと思います)

日々色んなことが国会で議論され、可決され、施行され、私たちの生活は確実に変化していっている。その政党の「これまで」を見ていくのも勿論大事だし特に与党であれば「何を言って、何をして、何をしなかったか」を評価していくことも大事だけれど、同時に「どういう考えのもと動いていて」「これからどうするつもりなのか」という点にもアンテナを立てていったほうがいいんじゃないかなと思っています。

 

choiceisyours2021.jp

www.nhk.or.jp

japanchoice.jp

www.yomiuri.co.jp

他にも各所でボートマッチや比較など沢山あるのでぜひ色々見てみてください~!私も色々見ます!

また、前述の「Session」でも参院選関連の話題や特集が日々放送されています。

例えば公示の日のこちらの放送などは各政党の主張がざっと確認できるかと思います。

anchor.fm

他にも選挙期間の帯企画として著名人に「私の論点」を聞いたり、Main Sessionのコーナーで参院選関連の議論をされていたりします。radiko他、ラジオクラウドSpotify等でも聞き逃し配信がありますのでご興味のある方はぜひ。おすすめです。

 

 

私も正直政治の話をするのは今も委縮するところはあるし、全然知識が足りないと思うから自分の言葉で堂々と喋るのは私にとって簡単なことじゃない。

だけどせめて、無理のない範囲で、できるところから始めたいと思うのだ。

「あれってちょっとどうなの?」「これがもっとこうだったらいいのに」そう思うところから政治へのまなざしは始まっている。始められる。

もう私は子どもぶってはいられないから。選挙に行く権利を持った"大人"だから。

無責任に胡坐をかく"特権階級"などにはなりたくはないから。

私の未来と、私が大切だと思う人の大切な人たちの未来が少しでも良いものになってほしいと思うから。

 

あの加藤さんの言葉に出会ってから数年が経った。今の私は当時の加藤さんの年齢に近づいている。

あの時刺さった言葉は未だ抜けない。いや、抜かないようにしよう、と思っている。チキさんの言葉も同じだ。

もうあの言葉たちに後ろめたさを感じる私では居たくないと、何度でも決意し直したいと思うのだ。

 

まずは7/10、投票に行くところから。